紡いでゆく宝物

 目を開いたら誰も居ない砂浜に立っていた。突然の場面転換にはさすがの大倶利伽羅も狼狽え、先ほどまで一緒に居たはずの短刀たちの姿を求めて視線を周囲に慌ただしく這わせた。しかし見渡す限りどこにも居ない。隠れられるような物陰もなければ、何かの気配すら感じ取れない。自分はつい先ほどまで短刀の男士たちと共に長期遠征に出ていたはず。その遠征を無事に終え、こんのすけと連絡を取り本丸への帰還ゲートを潜ったことはきちんと記憶している。それがどうして本丸ではなくこのような場所になったのか。皆目見当もつかないまま、大倶利伽羅は自身に出来る術はないか必死に考えを巡らせる。

「――……し、もしもし……」

 照らしつける日差しを鬱陶しく思い、舌打ちしながら木陰に移動するのと同じタイミングで懐に入れていた端末からノイズが放たれた。

「ここはどこだ」
「分かりません」
「チッ」

 未だノイズの激しい端末の向こう。いつもなら相手の顔が見えるはずなのに、画面は暗いまま。それでもかろうじて聞こえる声の主は本丸の管狐。端的に自分が置かれている状況を尋ねたにも関わらず、端的に“不明”と進展のない答えを返され思わず舌打ちが鳴る。

「短刀のヤツらは」
「他の男士は無――丸へと帰還――ました。しかしなぜ大倶――羅様だけがこ――な状況に陥ってしま――原因が――……」

 プツリと通信が途絶える。音すら出さなくなった端末に何度目かの舌打ちをし懐に仕舞い込む。先ほどの通信で一緒に居た短刀たちは無事帰還していることは分かった。それに、通信もまったく出来ないというわけではなかった。それらが分かっただけでも幾分マシにはなっただろう。
 あまり好転はしていないが、ひとまずの状況確認はとれた。あとはこんのすけがどうにかするはず。あまり日除け出来ていない日差しを見据え、大倶利伽羅はふぅっと人知れず溜息を漏らす。

 日差しから逃れるように目を閉じ、耳に届けられる波音に思考を泳がせていると、ある1つの情景に辿り着いた。あれは修行へと旅立つ前日の夜だったか。閉じた瞼にはらりと舞う桜。あの夜、大倶利伽羅は自身の気持ちを主に伝えた。「あんたのことが好きだ」と。あの時の主の顔は今でも容易に思い出すことが出来る。あの日だけではない。浸れば途端に主の色んな表情で大倶利伽羅は自身の脳内を埋め尽くすことが出来る。

「ふっ」

 思わず出た自嘲。ここまで主への想いを募らせているというのに、あの時大倶利伽羅は「だが。あんたを想う気持ちがどこまでかは分からん。それを確かめる為にも俺は修行へ行く」などと宣った。もちろん「俺が戻るまでの間、考えてみてくれ」と主にも考える時間を与えたかったという思いも本音ではある。かくいう大倶利伽羅は修行先で自身にとって主がどれだけ必要不可欠な人間であるのかを痛感することになり、早く主に会いたいと思ってしまう程だった。恋焦がれるという言葉の意味を初めて知ったのはあの時だ。
 ――あぁ、そうか。あの夜桜は修行から戻った時に“同じ気持ちだ”と主が自身の気持ちを重ねてくれた日だったか。だから脳内を舞う夜桜はこんなにも美しく映えているのだ。

 目を開き再び空に視線を飛ばす。じりじり照りつける日光に左腕の倶利伽羅竜が焦れている。うずく倶利伽羅竜の気を引くように、大倶利伽羅は近くに転がっていた貝殻を手にし弄ぶ。ざざぁと響く音と共に頬を撫でる浜風は、大倶利伽羅の思考を再び本丸へと誘う。自身の本丸も今、景趣を海辺にしている。そして遠征前、主に誘われ2人きりで海辺を散歩した。あの時主は海辺に転がる貝殻を探してはどれが1番綺麗かと楽しそうに笑っていた。その顔が日に照らされとても綺麗で、どうしようもなく愛おしかった。
 「俺と夫婦になって欲しい」そう告げたあの言葉と共に蘇るのは朝焼けか、もしくは夕焼けか。それに負けぬほど熟れた赤を頬に浮かべた主か。

 今回は自身の気持ちに疑いを持つことはなかった。けれど刀剣の付喪神である自身と縁付いてくれと願うことがどういうことか――。その行為の重さを、そしてそれを分かった上で求める己の欲深さを大倶利伽羅は分かっていた。だからこそ1週間という長期に亘る遠征前に告げた。主にしっかりと考えて欲しかったから。例え求婚を断られても、それが主の出した答えならと受け入れる覚悟は出来ている。――出来ている?

 待ったをかける別の感情。その感情に気付いた時、大倶利伽羅は自身が何故このような状況に置かれたのか、その原因に触れたような気がした。

「きれい」
「っ!」

 あどけない声にハッとする。大倶利伽羅のすぐ傍に子供がしゃがみ込んでいた。その視線は大倶利伽羅の手のひらに乗った貝殻に注がれている。こんな近距離に来られても気取れなかったことに少なからずショックを受けつつ、大倶利伽羅は子供に視線をぶつけてみる。怪しい気配はしない。敵意も感じ取れないのを確認し、貝殻をその子供に手渡す。

「くれるの?」
「それを持ってさっさとどっか行け」
「ねぇ、もっときれいなの、一緒にさがして」
「は? 何故俺がそんなことを」
「おっかさんにあげたいんだ」

 子供の視線は既に砂浜に向いていて、宝物を探すかのように真剣みを帯びている。その姿を見て、以前主が「お母さんに貰った宝物なんだ」と言って貝殻を見せてくれたことを思い出した。ただそこら辺に転がっていた物を手にしただけと思っていたが、思っていたより自分は貝殻に思い出を持っているらしい。

「7色の貝は、綺麗じゃないのか」
「えっ! そんな貝がらがあるの!?」
「ここにはない」
「なんだよそれぇ」

 連隊戦で拾う7色の貝。綺麗さを求めるのならば、ああいう貝殻なのではないか。けれど主にとっての宝物であるあの貝殻は、正直言ってそこら辺に転がっている貝殻となんら変わりがないと大倶利伽羅は思う。それこそ、今自分が子供に手渡した貝殻と相違ない。どうしてあの貝殻が主にとっての宝物なのか。貝殻を扱う主の手つきを思い出し、大倶利伽羅の心がほんのりと焦がれる。

「ねぇ、えっと……お兄さん、名前なんていうの?」
「……大倶利伽羅」
「大倶利伽羅! はやく一緒に貝がらさがしてよ」
「どうして俺が探さねばならん。お前1人で探せ」
「だってぇ。大倶利伽羅どうせひまでしょ?」
「なっ……」

 コイツ……と思わず子供を見下ろすも、子供はまったく悪びれる様子もない。時に子供とは、無邪気に容赦もなくこちらの状況をズバッと切り伏せる。事実、大倶利伽羅は暇だった。こんのすけからの連絡を待つほかない今、海を眺めることしか大倶利伽羅に出来ることはない。子供の言葉に言い詰まっていると、「ね? 一緒にさがして!」と尚も喰い下がってくる子供。――慣れ合うつもりなど。以前の大倶利伽羅ならば100パーセントそう口にしていた。けれど、大倶利伽羅が吐き出したのは諦めの舌打ちだった。
 短刀の男士ととても楽しそうに笑い、触れあい、そして慈しむ我が主。大倶利伽羅はそんな主の姿を見るのが嫌いではなかった。むしろ微笑ましさすら覚える。その気持ちがどうも自身の表情に現れてしまっているらしく、鶴丸国永や燭台切光忠ら同派の男士から鬱陶しい視線を送られることもしばしばあった。それでも主を見つめるのを止められないことはもう分かっているので、大倶利伽羅はそこに関しては諦めることにしている。どうせ主との関係は本丸中に知れ渡っていることだ。今更自身の想いを悟られたところで何も変わらない。これは開き直りとも言える。

「んー、大倶利伽羅がくれた貝がらよりデカいのないなぁ」
「別にデカくなくとも良いだろう」
「ダメだよ! きれいはでっかいなんだから!」
「なんだそれは」

 子供にとっては筋の通った理屈なのだろう。子供の押しも押されもせぬ態度を見て、大倶利伽羅の口から思わずふっと笑い声が零れ落ちた。子供の相手はどうも疲れる。けれど主はいつも楽しそうに笑っている。その姿を見ていると、大倶利伽羅自身も不思議と小さい子と関わることに抵抗感が薄れてきた。結果、今では短刀の男士を率いて遠征や出陣に出向くことも多くなった。慣れ合う必要などない、1人で十分――今でも戦場においてはそう思えるくらいに強いと自負している。だが、それ以外の、人として生きる道において。共に歩んでいきたいと思える相手が出来た。
 ――会いたい。自覚してしまった気持ちに、大倶利伽羅は人知れず鼻を啜って誤魔化しをきかせる。

「あ、居た居た! もう、こんなところまで勝手に出歩いて!」
「あ、おっかさん!」
「家でみんな待ってるよ! 早く戻っといで!」

 遠くから姿を見せた女性を見つけるなり、子供が勢い良く駆けてゆく。その姿を見つめそっと立ち去ろうとした大倶利伽羅を子供が指差し母親に何かを告げている。その言葉を聞いた母親がこちらに向かって会釈してくるので、大倶利伽羅は立ち去るタイミングを逃してしまった。どうしたものかと迷っていると、子供が再び母親に何か話しかける。そうして母親の頷きを確認するなりダッと駆け寄って来る子供。

「大倶利伽羅! おれの家おいで!」
「は?」
「おっかさんも良いって!」
「何故俺が」
「大倶利伽羅、迷子じゃん」
「っ、」

 迷子ではないが。迷子ともいえる。いや迷子だ。あまりに分かり易く言い表された自身の状況を素直に認めることが出来ないでいると、子供はそれに構わず大倶利伽羅の手を引いてみせる。

「おれの家、兄弟多いんだ! だから1人増えたくらいへーきだって!」
「いや、そういうわけにもいかんだろう」
「へーきへーき! なぁおっかさん」
「まぁウチはそうやって大家族になったし。大倶利伽羅さんも良ければ。あまり大したもてなしは出来ませんが、日除けくらいは出来るかと」
「……すまない。夜には立ち去る」

 やったぁ! とはしゃぐ子供を間に3人で道を歩く。子供を挟んだその向こうに居る母親をちらりと見つめてみると、母親の視線は子供に向いていた。――似ている。自然と主の姿を重ね、2人の共通点を見いだす。……主に子供が出来たならば。主はきっとこういう表情で我が子を見つめるのだろう。その姿を思い描き、そして彩度を落とす。刀剣男士と人間とでは人間同士に比べ子を成す確率が低い。歴史を見る上で判然としている事実を知っていて、そして主が子供好きであることを知っていて。それでも尚自分と共に生きて欲しいと願うのがどういうことか。その重みを実感し、胸を締めつける。

「着きました」
「……多いな」

 思考を落としていると、母親の声が大倶利伽羅の顔を上げさせた。そしてその先に居た大勢の子供たちを見つめ、思わず見たままの感想を漏らすと「ふふ。いつの間にかこんな大所帯になってました」と母親が笑う。

「いつの間にか……?」
「ここに居る子は皆、私たちの本当の子ではないんです」
「……どういうことだ」
「飢饉や戦。理由は様々ですが、やむを得ない事情で親と暮らせなくなった子を引き取っているうちに、気が付けば大家族に」

 おかげで旦那は今日も朝から出稼ぎに出ていますと言葉を続ける母親。そこで改めて母親の身なりに目が行く。決して綺麗とはいえない着物、整えているとは言い難い髪や爪。それでもみすぼらしさを感じさせないのは、母親から溢れ出る何かが原因だろう。――似ている。再び主の姿を母親に重ねる。けれど目の前の女は旦那との間に自身の子は居ないという。ならば主の先祖というわけでもない。それなのに、どうしてこうも主と雰囲気が似ているのか。

「あ、そうだ! ねぇおっかさん! コレあげる!」
「わぁ。綺麗な貝殻。おっかさんにくれるの?」
「うん! 宝物にして良いよ!」
「ふふ、ありがとう。嬉しい。おっかさん、大事にするね」
「うん!」

 大事そうに手から手へ。そうして渡ってゆく貝殻を見つめ、大倶利伽羅は主にとっての貝殻もそうだったのだろうと理解する。たとえ綺麗でなくとも、そこに人の想いがあればそれは大事な宝物になるのだ。

「なぁ、」
「はい?」
「あんたは、自分の子が欲しいと思うことはないのか」

 踏み込んだことを訊いたかと唇を噛み締める。けれど母親は気を悪くした様子もなく「思いますよ。でも、私たちにはこの子たちが居ます。それに、これから先も子宝に恵まれなかったとしても。私はあの人と夫婦になれて良かったと思います」と答えてくれた。こんな風に想われる男は、きっと幸せ者だろう。「そうか」と返しながら主にとっての自身もそうであれば良いと大倶利伽羅は願った。

「あの人との子供も、もちろん可愛いのでしょう。けれど、私の傍にあの人が居てくれる。それだけでも充分幸せなんです……なんて、ふふっ。ごめんなさい、こんな面白くもない話」

 居ない人間を想い、ここまで表情を緩められる。そうまでさせる相手。そういう人が、大倶利伽羅にも1人居る。自身にとって、この世で唯一の愛おしい人。……会いたい。今度は強くはっきり思う。「すまんが俺はやはり――」ここに居るわけにはいかない。一刻も早く主のもとへ帰らねば。そう口にしようとした時、「大倶利伽羅さん!」とこの場では聞こえるはずのない声が自身の名を呼んだ。

「……は? なんであんたがここに」
「端末の位置情報でどうにか時代と場所の目安が付いたので。思わず来てしまいました」
「あんた1人でか?」

 けろっとした顔で大倶利伽羅の傍に立つ主。見たところ怪我や体調に支障はきたしていないようだが、いち本丸の将である主がたった1人で時間遡行をするのは、いささか向こう見ずが過ぎる。こんな突拍子もないことをするような人間ではなかったはずなのに。思わず来てしまったと照れくさそうに笑う主を見つめ、大倶利伽羅は嬉しいような呆れるような気持ちになる。

「大倶利伽羅さん、怪我とかしてませんか?」
「俺は別に」
「あれ? 大倶利伽羅、もうむかえ来たの?」
「こんにちは。君が大倶利伽羅さんの世話してくれたの?」
「うん! 大倶利伽羅、海で迷子になってたから! おれがお世話してやった!」
「そっかぁ、ありがとう」

 子供と同じ目線まで体を屈ませ微笑む主。やはりその姿は母親に似ている。ちらりと母親に視線を這わせると、主も体を起き上がらせ母親と向かい合う。「ウチの人がご迷惑をおかけしてすませんでした」と謝る口ぶりは、大倶利伽羅と自身が夫婦であると設定しているらしい。その言葉に人知れずじわりと体温が上がるのが分かり、大倶利伽羅は思わず視線をその場から逸らしてしまう。

「いえいえ。こちらこそ息子が振り回してしまったみたいで。この貝殻も大倶利伽羅さんが一緒に探してくれたんですよね? 本当にありがとうございました」
「……別に俺は」

 2つの似た微笑みが飛んでくる。その温かさを気恥ずかしく思い背を向けると、今度はクスクスと笑い声が耳に届けられた。

「じゃあ私たちはそろそろ」
「はい。道中、お気をつけて」
「大倶利伽羅! 今度はちゃんと帰るんだよ〜!」

 ぶんぶんと手を振りながら見送りをする子供たち。その声や動作に主は姿が見えなくなるまで同じように応え続けていた。そうして木が覆い茂る人目のつかない場所まで歩き、ふぅっとひと段落の息を吐いてみせた。

「大倶利伽羅さんと会うの、久しぶりですね」
「……1週間会っていなかったからな」
「大倶利伽羅さんだけ帰って来れないって聞いた時はどうしようかと思いました」

 先ほどまで浮かべていた笑みとは打って変わって、今度は不安げに揺れる表情。心配をかけたことに後ろめたさを感じつつも、大倶利伽羅の感情は鮮やかな色に彩られていた。主が隣に居る。それだけで自分は十分幸せなのだ。そして、主が幸せで居てくれるのならばその隣に自分が居なくても良いと思えるくらい、主を愛している。

「あの時の返事だが、」

 本丸への帰還手続きを主が手持ちの端末で行い、目の前に時空の歪みが生じる。その影響を受けた周囲の景色がみるみるうちに流れてゆくのを眺めながら「私で良ければ、喜んでお受けいたします」と主が返事を寄越す。大倶利伽羅はその言葉をうまく受け取ることが出来ず「は?」と素っ頓狂な声を零してしまった。

「私は、大倶利伽羅さんに想いを告げてもらったあの日の夜桜を一生忘れることはないでしょう。プロポーズをしてくれたあの時のことも。ずっと覚えています」

 青々としていた葉が枯れ、一面を朱が覆う。見事な紅葉を見せた木々を見上げ、「多分きっと、今日の景色も忘れません」と呟く主。その横顔は、やはりあの母親が子供に向けるものとよく似ている。

「これから先、私は何度でも今日のことを思い出すでしょう」
「だが、俺と夫婦になるとあんたは……」
「私、兄弟が多いんです。だから子供は昔から大好きです」

 大倶利伽羅の引っかかっていることがなんなのか。口にせずとも主は見抜き、核心に触れる。紅葉を見ていた視線を大倶利伽羅へと移し、ふっと笑う。慈しみとはまた違うその表情の愛おしさを知れるのは、大倶利伽羅だけ。

「でも私は、大倶利伽羅さんのことを愛しています」
「……良いのか。俺で」
「はい。大倶利伽羅さんと一緒に幸せになりたいです」

 きゅっと握られる手のひら。それを掴まえるように握り返せば「私と結婚してください」と真っ直ぐとした言葉を送られる。今度はそれを取りこぼすことのないよう、大倶利伽羅は主の体をしっかりと抱き締める。
 これまでの日々、そしてこれからの日々。たとえ全てが綺麗なものでないとしても。大倶利伽羅にとって、それらは掛け替えのない宝物になるのだろう。それは主にとってもそうであれば良いと強く願いながら、大倶利伽羅は紅葉の美しさを心に刻み続けた。

BACK
- ナノ -