夢解く指先

 最近気になるというか、引っかかっていることがある。それは初期刀である陸奥くんの私への態度だ。

「陸奥くん、そろそろ近侍の順番なんだけど」
「あー……悪い。わし、まだちっくと1番隊の隊長やりたいがやけんど……」
「……そっか。近侍は一応順繰りだけど、あくまでも希望する男士だけで良いから。気にしないで」
「すまんちや」
「ううん」

 近侍を断る男士は他にも居る。人それぞれに個性があるように、男士だって事務作業を好んだり、逆に戦に出ることが好きだったりと個性は様々だ。だけど陸奥くんはどちらかといえばあまり戦を好まない男士だと思っていた。それなのにここ最近はずっと部隊長として出陣ばかりしている。この本丸にまだ陸奥くんの他に数振りしか男士が居ない頃は、ずっと陸奥くんが近侍をしてくれていたのに。“これだと出陣や内番もこなす陸奥くんに負担がかかり過ぎるから”と近侍の順番制度を取り入れる相談をした時だって「わしは別にこんままでもえいちや」と少し拗ねてさえいたというのに。一体いつからこんな風に距離を取られるようになってしまったのか。

「主、何か考え事かい?」
「蜂須賀さん……。あの、今蜂須賀さんに近侍をお願いしてるじゃないですか」
「そうだね。今週は俺が主の傍仕えだ」
「それを嫌だって思うのって、何が理由だと思います?」
「理由、かい?」

 ふむ、と顎に手を当て考え込む蜂須賀さん。その彼が出した答えは「じっとしているのが嫌い、とかかな」と納得のいく理由だった。確かに、陸奥くんはじっとしているよりも元気いっぱいに庭先を駆けまわるようなタイプだ。でもだからといって断るほど近侍仕事を嫌う男士ではないはず。だから、蜂須賀さんの答えに陸奥くんが当てはまるとはどうしても思えない。

「どうやら俺の答えは正解ではなかったようだね」
「……ごめんなさい。それももちろん1つの答えだとは思うんです……けど」
「けど?」
「今までは快く請け負ってくれていた男士が急に嫌がりだした場合はどうなのかなって」

 前までは“自分の近侍はいつだ”なんて心待ちにしていたくらいだったのに。気が付けばもう長いこと陸奥くんとこの部屋で時間を共にしていない。……前は陸奥くんと2人で居ることが当たり前だったのに。どうしてなんだろう。どうして急に避けるようになったんだろう。

「……私、何かしちゃったんでしょうか」
「どうやらその答えを俺は持っていないようだ」
「えっ」
「真の答えは、本物である本人にしか分からないものだよ」
「蜂須賀さん、」
「自分自身の気持ちを他人に勝手に作られるのは、気持ちの良いものじゃないからね」
「そう、ですね」

 蜂須賀さんの言う通りだ。“どうして、なんで”を知りたいのならば、直接本人に訊くべきだ。私が勝手に想像してマイナスなことばかり考えても仕方ない。そのことに気付かせてくれた蜂須賀さんにお礼を言っている時、言葉が途中で途切れた。

「どうした?」
「直接訊きたいのは山々なんですけど……避けられている相手にどう話しかければ……」
「そうだね。彼は出陣終わりの酒を楽しみにしているようだから、地元の酒でも持って誘ってみたらどうだろう」
「お酒か……。私あまり詳しくないんです」
「土佐といえば日本酒かな」
「なるほど。日本酒……えっ!! な、なんで相手が陸奥くんだって……」
「おや。そうだったのかい?」
「なっ、なっ……! 謀りましたね!?」
「ははは。ある程度目星は付けていたけどね」

 蜂須賀さんはおかしそうに笑いつつも「俺もついこの前まで第1部隊に居たからね。なんとなくは分かるよ」と本物ならではの慧眼を見せてくれた。恐れ入ったと溜息を漏らしつつ、仕事が終わったら万屋に足を運んでみようと計画を立てる。そうと決まれば、第1部隊が帰って来るまでには頑張って仕事を終わらせないとだ。

「俺としては羨ましい限りだけどね」
「ん?」
「主が彼を想う気持ちは本物だろう?」
「えっと……」
「本物を与えられるということは、心地の良いものだから」
「私は蜂須賀さんのことも、他の男士のことも想っていますよ」
「ふふ。そうだね。それももちろん伝わってくるよ。俺が言っているのは色の違いなんだけれど」
「色?」
「さ、早く終わらせよう」
「あ、はい」

 蜂須賀さんはどうやら私の求める答えを知っているらしい。けれど先ほどああやって説得されてそれを受けた手前、もう1度蜂須賀さんに答えを求めることは出来ない。……やっぱり、陸奥くんに直接訊くしかない。



「日本酒……にほんしゅ、」

 どうにか仕事を終わらせ、供すると言ってくれた蜂須賀さんに「私用だから」と断り足早に向かった万屋。夕食の時間まであと少し。第1部隊は夕食の時間と同じくらいに戻って来るので、それを考慮すると時間はあまりない。早く選ばないといけないけど、だからといって適当に選ぶこともしたくない。どうしよう……。

「あ、あのっ」
「はい」
「お、おすすめの日本酒とかって……あります、か」
「おすすめ? 俺の、ですか?」
「は、はい。出来れば土佐の地酒が良いんですけど……私あまりお酒に詳しくなくて……」

 私はどちらかといえば人見知りの部類に入る。そんな私が意を決して同じくお酒コーナーに居た男性審神者に声をかけたのは、我ながらナイスガッツだと思う。そして私のたどたどしい質問に「俺は結構コレ飲んでます」とおすすめのお酒を教えてくれた審神者さんもグッドカインドネスだ。ぺこぺこと頭を下げながら早口でお礼を告げれば「コレ結構重たいので気を付けて。……大丈夫? 持てますか?」と審神者さんは笑いながらゆっくりお酒を手渡してくる。うわ、本当に重たい。

「だ、いじょうぶです……本当に、あ、ありがとうございました……!」

 無事に選んでもらったお酒の会計を終わらせ万屋を出る。端末で確認した時刻は、夕食の時間まですぐそこだった。下手したら夕食にも間に合わないかもしれない。これならもっと早くあの審神者さんに声をかけておくんだった。自分の奥手さを恨みながらぎゅっと唇を噛み締める。1度入ってしまった自己嫌悪の沼。ここからそう簡単に這い上がることが出来ないのは、自分が1番知っている。……自分はいつもこうだ。言いたいこともうまく言えない、伝えるべきこともちゃんと伝えられない。だから陸奥くんは私のこと「嫌いになったのかな……」私は、初期刀に愛想を尽かされた審神者なのかもしれない。

「大丈夫ですか?」
「あ、す、すみません」
「良かったら俺、持ちますよ」
「あ、や、それは……その、」

 先ほどの審神者さんに声をかけられハッとする。時間もないというのに、いつまでも万屋の前でボーっとしてたせいで審神者さんにまで心配をかけてしまった。あぁ、私はとことん鈍間でダメな審神者だ。自分自身に追い打ちをかけた瞬間、つい我慢出来ず視界がぼやけた。慌てて下を向いても、零れ落ちる涙を止めることは叶わなかった。

「え、どうしました? 大丈夫ですか?」
「すみません、本当に大丈夫です」
「どうしよう、ハンカチ……うわ忘れた……! 長谷部に叱られる……!」

 目の前の審神者さんが慌てふためているのを感じ、それにすら罪悪感が込み上がる。こんなに親切な人まで困らせて、私は一体何がしたいんだろう。この行動の先に陸奥くんと分かり合える道があるかどうかすら分からないのに。私は一体、どこに向かえば良いんだろう。どの道を行けばまた陸奥くんと笑い合えるんだろう。もう分からない。何も出来ない。

「と、とりあえず、どこかに座りましょう? ね?」
「うぅ……すみませっ、」
「おんし。いつまでそこにおるつもりかえ」
「む、陸奥くん!? なんでここに、」
「おまんが戻らんとメシが食えんろ。はよう帰るぜよ」
「わっ、」

 後ろから伸びてきた腕が私のお腹に回され、その手に導かれるまま後ずさり固い胸板にぶつかる。こんなに陸奥くんと近い距離に居るの、一体いつぶりだろう。久しぶりに見る顔をまじまじと見つめていると、私の顔を見た陸奥くんの視線が睨め上げるようにして前に居る審神者さんに向いた。

「わしの主がこじゃんとお世話になったようじゃなぁ」
「ち、違うよ陸奥くん! この人はものすごく良くしてくれたんだよ!」
「ほいたら、なんでおまんはそがに泣きゆう」
「それは……」

 どちらかといえば陸奥くんのせいだ。でも本当のことを言ったら陸奥くんはどう思うだろう。私のことを勝手な人間だと忌み嫌うだろうか。……言えない。こんなこと言って陸奥くんに嫌われたくない。

「あー……すまん。どうもわしらの問題みたいじゃ。勘違いしてしもうた。ごめんちや」
「いやいや! 迎えが来たならもう大丈夫そうですね。良かった。じゃあ俺、帰ります」
「気を付けてにゃあ」

 陸奥くんの言葉に倣うように審神者さんにペコっと頭を下げ、そのまま顔を俯かせる。陸奥くんの顔、見れない。見たらなんか、全部ダメになっちゃう気がする。せっかく迎えに来てくれたのに。本当は「お疲れ様、ありがとう」って言わなきゃダメなのに。……なんにも言えない。私はどこまで行ってもダメな審神者なんだ。

「去ぬるぜよ」
「陸奥くん……」
「時間、もうないき。急ぐぜよ」
「う、うん」

 お腹に回されていた腕に触れようとしたけど、それは私が触れるよりも前に離され叶わなかった。空振った手のひらをギュッと握りしめ、前を歩く陸奥くんの背中を追う。……陸奥くんと私。いつの間にこんなに距離が出来てしまったんだろう。



「あら? アンタ良い酒持ってるじゃなぁい。何々、アタシたちと飲もうってかい?」
「あ、いやその、陸奥くんは……」
「えー? 今日は来てないねぇ。縁側で1人しっぽり飲んでんじゃない?」
「縁側……。ありがとうございます」
「えぇ〜? もう行っちゃうの? 寂しいじゃない」
「すみません。また今度是非ご一緒させてください」
「言ったからねぇ? 次郎さん、酒の約束だけは忘れないんだから」
「はい。必ず」

 食事の場でも陸奥くんとは離れてたし、陸奥くんは食事を終えたらすぐに自室へと戻ってしまった。今日もこのまま話せないままなんだろうと審神者部屋で溜息を吐いていると「酒は無事に買えたんだろう?」と蜂須賀さんに微笑まれ、その言葉に気合いを入れ直したのは良いものの。中々陸奥くんに出会うことが出来ない。両腕で抱える酒は未だ鉛のように重たい。まるで私の気持ちを表しているかのようだ。いっそのこと庭先に流してしまおうか。そうすれば簡単に軽く出来る。

「ふてるがか」
「……っ!」

 曲がり角の向こうから陸奥くんの声がする。私が何をしようとしたのか気取ったらしい。その声に慌てて角を曲がり陸奥くんの姿を捉えると、陸奥くんは次郎さんの言う通り1振りだけで月見酒を嗜んでいた。

「そがにえい酒を。勿体ないのう」
「……ごめんなさい」

 付喪神が集まるこの本丸で、私はなんと不躾なことを。捨てるという行為を審神者である私が簡単にして良いわけがないのに。自身がしようとしていた行為の恐ろしさに血の気を引かせながら再び抱えるお酒は、先ほどよりもずっしりと重たい。

「あの、良かったら一緒に……どうかな」
「……えい」
「ほ、ほんと?」
「要らんち言うちょる」
「……あっ、ご、ごめん」

 えい、は“良い”じゃなく“嫌”の方だったらしい。それを汲み取り間違えて顔を輝かせると、陸奥くんはふっと視線を逸らし月を見る。

「陸奥くん、」
「ここは月を見るのに打ってつけじゃ。おんしゃに譲っちゃる」

 くいっと盃を飲み干し、腰を上げる陸奥くん。入れ替わるようにしてそこに腰掛けると、陸奥くんの温もりを感じることが出来る。……名残じゃダメなのに。陸奥くん自身が良いのに。どうしてこんなにもすれ違ってしまうんだろう。もし私が何かしてしまったのなら、それを知りたい。私が嫌いになって関わりたくないのなら、ハッキリそう言って欲しい。あと1回で良い。陸奥くんともう1度だけ話がしたいのに――。もうそれすらも叶わないのか。

「全部飲めるかな」

 捨てることも、分かち合うことも出来ないのならば。このお酒は私の中に流し込むしかない。そうして1人で抱えて、より重たい鉛を背負うしかない。陸奥くんの本当の気持ち、知れなかったな。

「けほっ、ごほっ」
「主!?」
「あつい……」

 喉がきゅうと締まったような感じがする。水とは違う喉ごしに驚いて咳き込むと、その声を聞いた陸奥くんが踵を返した。「コレで一気に飲んだかえ」と背中をさすりながら指差すのは空になったグラス。コクコクと頷けば「コレは焼酎用のやつじゃ」と溜息混じりの声が落とされた。

「水貰ってくるきに。待っちょれ」
「やだ……行かないで」
「主?」

 頭がぐわんぐわんする。それが体に伝わって体も揺れる。そうして混ぜられて零れ落ちたのは、私の本心。もうどこにも行かないで。ここに居て。お願い……。もう避けられるのは嫌だ。

「ここに居て……お願い。もうどこにも行かないで」
「分かった……分かったき」
「陸奥くん……陸奥くんっ、」

 焦がれるように吐き出す名前。その名前を口にすればする程胸が熱くなる。揺れる体はその熱を轟々と燃え上がらせ、苦しさから呼吸が乱れる。その苦しさに意識を手放す寸前、「主!」と陸奥くんの慌てる声が聞こえた。あぁ、私はここまで来てもダメな審神者だったな。折角陸奥くんと話せる機会だったのに。……ごめんね、こんなダメダメな審神者が主になっちゃって。

「ごめんなさい……ごめんなさい」



「中毒症状はないようだ。ここ最近塞ぎ込んでたみたいだし、知恵熱だろ」
「知恵熱……」
「心因性のものだ。原因を取り除くことが1番の薬だな」
「すまんのう。世話かけた」

 意識の向こうで薬研と陸奥くんの声が聞こえる。その会話に導かれるように目を開けると、陸奥くんのホッとした顔が視界に映った。陸奥くんが私にこんな顔を向けてくれるなんて。もしかしてコレは夢なのだろうか。だとしたら随分都合の良い夢だ。だけど、夢でくらいは希望を見いだしても良いだろう。

「陸奥くん、」
「体調はどうじゃ」
「どこにも行かないで……お願い」
「今日はずっとここにおるぜよ」
「今日だけじゃやだ……ずっと居て」
「主、」

 薬研の気配が消える。薬研は夢の中でも気が遣える凄い男士だなぁ。霞む視界の中で微笑むと、額にひやりとした感覚が落とされた。どうやら陸奥くんが手拭いを新しいものに変えてくれたらしい。……この夢、ずっと終わらなければ良いのに。

「起きたくないなぁ」
「縁起でもないこと言いなや」

 風邪はいかんぜよ――ポツリと呟かれた言葉にハッとする。陸奥くんの前の主――坂本龍馬が殺された日、坂本龍馬は風邪を引いていたと聞く。もしあの時風邪を引いていなかったら――陸奥くんがそう思うのは当たり前のこと。そんな陸奥くんの前で、私はまた至らないことを言ってしまった。……夢の中でも私はダメなままだ。

「ごめん陸奥くん……ごめんなさい」
「もうえいき。はよ寝ぇ」
「陸奥くん……私のこと、嫌いにならないで」
「……そうなれんき、こがなことになっとるがよ」

 今、確かに聞こえた。今の言葉は陸奥くんの本心だ。その言葉を手放したくなくて、必死に手を伸ばす。夢の中だけでも良い。陸奥くんの本心を知りたい。その思いで伸ばし続ける手を、陸奥くんの手が掴まえる。

「おんしゃの傍におったら、わしはそこから離れたくなくなるんじゃ」
「居てよ、ずっと傍に」
「わしはこの体を主に与えてもらった。それは、次の時代を生き抜く為の術じゃ」

 握られた手にぎゅっと力がこめられる。確かに、陸奥くんは刀で、私たちが相対している敵を倒す為に顕現された付喪神だ。だけど、私にとって刀剣男士はただの道具なんかじゃない。一緒に生きていく仲間だと思っている。

「このままおんしゃの傍におったら、わしは自身の役目を果たせんくなってしまう。そういたら、わしはおんしゃにとって要らん刀になってしまう。……そう考えたら、おんしゃの傍におるのが怖くなったんじゃ」
「陸奥くん……」
「わしは、おんしゃのことを手放したくない。そうやき、手放されん為におんしゃのこと避けちょった」

 こがに弱い男士と知って、幻滅したかえ――弱く揺れる声。私の声もきっと、こんな風に震えていたのだろう。いつも明るくみんなを引っ張って行ってくれる男士の、色んなものを取り払った本当の気持ち。もしこれが陸奥くんにとっての本物ならば。

「幻滅なんてしない。嬉しい」
「主、」
「私もね、おんなじ気持ちだよ」

 また体が熱を帯びる。お酒の時とは違った、心地の良い熱。いつまでも浸っていたくなるような熱は、繋がれた手から感じる。……私はずっと、ずっと、こうしたかった。

「陸奥くんが好き。大好き」
「主……」
「離れなくて良い。ずっと傍に居て」
「けんど、」
「それで陸奥くんがなまくらになるなんて思えない」

 熱に導かれ開く瞳。その先には陸奥くんの優しい瞳が待っていて、ここが夢の世界なんかじゃないことを知る。今、この瞬間全て。全部が本物だ。

「陸奥くんは私の自慢の初期刀だよ?」
「……そうかえ。そう言ってもろうちゅうのに、わしが自信を持てんいうがはダメやにゃあ」
「陸奥くんはいつだって格好良い男士だよ」
「ほういたら、この気持ちにも自信を持たんといかん」
「陸奥くん……?」

 握っていた手を開き、指と指を絡ませるようにして握り締め直される。その手をゆっくり布団に抑えつけられ、それと同じタイミングで陸奥くんの顔が降りてくる。まじまじと見つめ合う瞳。今まで顔を合わせられなかった分を埋め合わせるように見つめ合い、ゆっくりと閉じる。こうすれば私の望むものが与えられるはず――。その期待に胸を高鳴らせていると、陸奥くんのふっと笑う声が微かに聞こえた。

「おんしゃは病人ぜよ。接吻はまだお預けじゃ」
「っ、」

 陸奥くんの言葉に思わず目を開けようとした瞬間、その目に熱を落とされた。そしてその熱をもう片方の目に与え、仕上げに頬にも落としリップ音と共に離れてゆく陸奥くんの唇。

「今はコレで我慢しとうせ」
「……やだ」
「やだち……どういたがよ主。やけに甘えたじゃのう」

 ゆっくりと目を開き、駄々を捏ねると陸奥くんはポリポリと頬を掻いて笑う。陸奥くんのこういう表情、久しぶりに見る。……もっと見たい。もっとたくさん、陸奥くんに触れたい。

「のわっ!?」

 溢れた思いが陸奥くんの襟を掴みぐいっと引っ張る。その流れに従って再び降りて来た陸奥くんの顔に自身の唇を押し付けようとした――けど、うまくいかず、私の唇は陸奥くんの唇の少し横に着地した。

「よお狙わんと」
「……もう1回」
「ダメじゃ」
「意地悪、ケチ」
「ケチでも意地悪でもない。おんしゃの番はもう終わりじゃ」
「もう1回くらい良いじゃん……」
「ダメじゃ。今度はわしの番やき」
「えっ?」

 私の頬に陸奥くんの手が添えられる。そうしてしっかりと唇の位置を固定した後、陸奥くんがにっこりと笑う。よお狙って――彼が常々口にしている言葉の意味を思い知るまで、あと数秒。

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