春が来るのはあなたのせいです

 これでも私はそれなりの経験を積んだ審神者だ。いくら男士が言葉で「大丈夫」と言い張ってみても、体調の良し悪しくらいは見抜ける。だから目の前の男士が出陣先から赤疲労を抱えて帰って来たのを見た時、どれだけ「俺はまだ戦えるぞ!」と主張しても一切耳を貸さずに待機の指示を出したのが昨日の話。

「あんたって意外と鈍くせぇよな」
「なっ……そ、そんなことは……!」
「自覚ねーのか。質悪ぃな」
「だってそんなこと、長谷部から言われたことないし!」
「その近侍を3日間出陣する部隊に組み込んだのはどこのどいつだよ」
「……私ですけど?」
「ほら見ろ」
「くぅっ……!」

 歯を食いしばるしかないのは、もう言い返せる言葉がなかったから。赤疲労抱えてなお出陣しようとする同田貫をとにかく止めることに必死で、咄嗟に傍に居た長谷部に「長谷部! 代わりに部隊入ってくれない?」と声をかけたのは間違いなく審神者であるこの私だ。あの時、長谷部は珍しく「第1部隊……ですか?」と動揺していたことも今思い返せば引っかかりの1つだけど、あの時の私は「うん。長谷部にしかお願い出来ないから!」という言葉で押し切ったのだ。その結果、毎朝私を起こしてくれる長谷部が居ないせいで寝坊するはめになったのも、この私だ。

「つーか、そのせいで俺が近侍やるはめになってんじゃねーか」
「だって他の男士はみんな内番だったり厨当番だったりで手一杯だったし」
「俺を休ませるのが目的だったんじゃねーのかよ」
「それはほら……同田貫は放っておいたら手合わせとかしそうだし」
「はっ。あんたが近侍が居ねぇと困るからだろ」
「うぐっ……」

 単刀直入。さすが実戦刀、切れ味半端ない。確かに私は長谷部が居ないと朝のスタートからうまく切れないし、仕事も長谷部が居ないとスムーズに終わらせられない。だからその長谷部が居ない今、猫の手も借りたいほどにてんやわんやしているというわけだ。今まで積み重ねてきた審神者としてのキャリアが泣いている。だけど、それが“私が鈍臭い”ということには繋がらないだろう。多分。

「おい、袖」
「あっ」

 頭の中で言い訳を繰り返していると同田貫の声がそれをとめた。端的な言葉のおかげで自身の袖が硯に浸かりそうになっていることに気付き、すんでの所でそれを阻止することが出来た。……鈍臭いとか、そういうのじゃない。今のはちょっと上の空だっただけだ。

「やっぱ鈍くせーよ、あんた」
「い、今までは長谷部がたすき掛けしてくれてたからなんかこう……距離感とか分かんなかっただけ!」
「じゃあたすき掛けしろよ」
「……やり方分かんない」

 数秒沈黙が訪れる。その間を嫌いそっと同田貫に視線を向ける。そこからもう数秒の時をかけて見つめ合い、同田貫が溜息と共に「紐の場所くらいは知ってんだろ?」と言葉を吐きだした。その言葉に慌てて腰紐を収納している引き出しに駆け寄り、手頃な紐を掴んで同田貫に差し出せば「なんだよ?」としたり顔を向けられた。……タダではやってやらんぞということか。

「たすき掛けしてください」
「しゃあねぇな」

 悔しさとちょっとした敗北感を抱えながら同田貫に背を向ける。こんなことになるなら長谷部に甘えずやり方を教わっておけば良かった。くぅっと何度目かの歯噛みをした時、ハッと思い至る。同田貫は質実剛健な男士であり、戦場こそが生きる場所と思っているような男士だ。そんな男士にたすき掛けをお願いしたとなれば、手加減なんて一切なく全力をこめてたすきを掛けられてしまうのではないだろうか。もしかしたら今日1日鳩胸で過ごさないといけなくなるかも……。

「ど、同田貫さん」
「あー?」
「ど、どうかお手柔らかに……」
「たすき掛けに手加減もクソもねーだろー……が」
「うっ!」

 一瞬キュッと締まる背筋。だけどその束縛感は長くはかからず、すぐに袖の部分に解放感がもたらされた。……思ったより綺麗なたすき掛けだ。ちょっと意外。

「ありがとう、同田貫」
「つーか、あんたも俺みたいな服装にしろよ。そしたら楽だろ」
「うーん……長谷部からも言われたことあるけど。なんか私が着たら“っぽ”過ぎない?」
「あー……」

 そこで言い淀まれるのもちょっとなんだか。言ったのは私なんだけども。ジャージが似合い過ぎるだなんて、それなりに複雑なんですよ私だって。そんな思いをこめて頬を膨らませていると「そろそろ昼飯の時間じゃねーか?」と話題を逸らされてしまった。

「確かにお腹空いたね。ご飯食べに行こっか」
「おー」

 今日のメシはなんだろうなぁと言いながら体を伸ばす同田貫。ちょっとした手違いで急遽お願いすることになった近侍だけど、思ったより同田貫は書類仕事も手を抜かずにこなしてくれた。そのおかげで今朝の寝坊はチャラに出来そうだ。



 廊下に出て広間まで歩く道中。隣でお腹をボリボリと掻きながら欠伸までしている同田貫をクスリと笑った時、庭先で風に煽られている洗濯物に目が留まった。

「あの洗濯物飛んでいきそう。ちょっと押さえてくる」
「おい! 留め具、ここにあんぞ」
「あぁ忘れてた……あっ、ま、待って! わ、わわっ」
「…………はぁ」

 慌てて庭に駆け出したは良いものの。洗濯ばさみを持って行くのを忘れ、再び廊下に戻ろうとした瞬間、大きな突風が吹いて物干し竿を揺さぶった。とにかくどうにかしないと、という気持ちで物干し竿を掴んだら勢い余ってこの有様。風に洗濯物を攫われることはなかったけど、自分の体と洗濯物の全てを地面にへばりつかせるという大失態を演じることになった。

「これでも自分が鈍臭くねぇってか?」
「……鈍臭いです。私は鈍臭い審神者です……」
「おまけに泥臭ぇ」
「うぅ〜……。同田貫は先広間行ってて。私はここ片してから行く」
「はぁ。ったく、俺はとんだ日に近侍になっちまったな。さっさと着替えて来い。その間に片しとくから」
「……ごめんね。助かります、ありがとう」

 差し出してくれる手を掴むと力強く引っ張られ、すくっと立ち上がることが出来た。礼を言いながら手に付いた土を払っていると「替えの服も着物か?」と問われる。それに肯定すれば「俺の着ろ。ちょっとおっきいかもしんねーけど。捲りゃなんとかなんだろ」という言葉を返された。

「同田貫の? 借りて良いの?」
「そうでもしねーとあんた、次は袴踏ん付けそうだし」
「……お借りします」
「おー。適当にとってもらって構わねぇ」
「ありがとう。すぐ戻って来る」

 戻って来ない方が早く終わるかもな――背中で聞こえた笑いを含んだ意地悪な声。それにムッとしつつも言い返せる立場ではないと堪え同田貫の部屋に向かう。辿り着いた部屋は筋トレ道具が転がりはしつつも、それ以外は思ったより綺麗に整理されていて、同田貫という男士の意外性を知る。もっと部屋の中を観察してみたいという好奇心が湧いたけれどそれを良心で押さえつけ、一直線に引き出しへと向かう。どの段だろうと悩み、ひとまず1番上を開けてみたら所狭しと褌が敷き詰められていて、勢い良く引き出しを閉め呼吸を整える。そうして2段目でお目当てのジャージを見つけ、1セット取り出す。

「着替え……どうしよう」

 自分の部屋に戻る? いやでもそんなことしてたら時間が勿体ない。今の時間はみんなご飯食べてるだろうし、部屋の主も洗濯物を片付けてくれている……。幸い下着は和装ブラジャーだしジャージからちょっと見えてもキャミソールっぽく見えるだろう。……よし。
 脳内で判断し、たすきを解く。せっかく綺麗に掛けてくれたのになぁと名残惜しく思いつつもひと思いに解き、無事誰にもかち合うことなく着替えを終え、厨に居る歌仙と燭台切さんに食事はあとで取ることを伝えてから急いで戻る庭。同田貫は既に洗濯板を使って汚れ落としに取り掛かっていた。

「ごめん遅くなった!」
「焦んな走んな。そんでこけんなよ」
「はぁい」

 もはや素直に言うことをきくしかない。なるべくゆっくりと早歩きし、同田貫の横に腰を下ろす。今私たち、お揃いの服着てるんだよな。ジャージでペアルックって……。なんかちょっとおかしい。……いやだめだ、笑っちゃったら失礼だ。

「ニヤニヤすんな。さっさと手伝え」
「はいすみません。洗い終わった分、干してくるね」
「留め具忘れんなよ」
「はい」

 言われた通り洗濯ばさみをぎゅっと握りしめ、いつも以上に神経を尖らせながら洗濯物を干し、再び同田貫のもとへと戻る。同田貫は洗濯物のほとんどを洗い終えていて、彼の手際の良さを知る。同田貫は実戦一辺倒というわけではなく、意外と器用な手先の持ち主のようだ。……羨ましい。

「もっと荒々しく洗うのかと思ってた」
「あ? ンなことしたら布が傷むだろーが」
「えっ意外。傷んだり破れたりしたらそれまでって感じなのかと」
「あんた……俺のことなんだと思ってんだ? 確かに俺は見た目とかどーでも良いけどよ。物をぞんざいに扱うのとでは話がちげーだろ」
「とてもものすごく仰る通りです」

 同田貫も付喪神なのだ。物に対する礼儀はきちんとしている。神様相手に思うのも失礼だけど、こういう所は本当に尊敬する。同田貫の言葉を聞いて、私も手にした洗濯物を丁重に扱おうとすれば「ちゃっちゃと干せ。メシ食い損ねるぞ」と同田貫から指導が入った。

「あ、一応歌仙たちにはご飯遅れること伝えておいた」
「おー。あんたのそのちんちくりんな服装、笑われなかったか?」
「ち、ちんちくりんって……。同田貫とお揃いなんですが」
「俺は別にどうでも良いけどよ。それでもあんたが俺と同じ服着てるの見ると……アレだな……ふっ」
「ちょっ、そこで言い淀まれても。既に“ちんちくりん”いただいてますからねこちとら」

 あーだこーだ言い合いながらも無事に洗濯物を干し終え、2人で厨に顔を出す。出迎えてくれた歌仙と燭台切さんは私たちから漂う洗剤の匂いで全てを察してくれたらしい。2人は特に何も言いはしなかったけれど、苦笑と呆れが混ざった顔を浮かべながら昼ご飯を準備してくれた。それに礼を告げ、あとは自分たちで片付けるからと言って厨仕事を終えた2人を見送る。

「ごめんね同田貫。私のせいでご飯食べるの遅くなっちゃった」
「いーよ別に。食いっぱぐれたわけじゃねぇし」
「ありがとう。それじゃ、いただきます」
「いただきます」

 厨の小机で向かい合って座り、2人きりの昼ご飯を味わう。なんだか今日はいつも以上に働いた気分……いや、実際働いたな。それも私の鈍臭さ故。鈍臭い上にちんちくりん……。私って相当ダサいのでは――?

「なんか私なんかが主で申し訳ない……」
「はぁ? なんでそんな話になんだよ」
「いやぁだって私、こんなだよ?」
「そんなだな」

 おかずに手をつけたあと大きな口で白米を頬張る同田貫。そして締めの味噌汁をずぞぞと啜り「だけどそれがあんただろ」と食事の合間に言葉を吐きだす。その言葉を飲み込む前に「それが私?」と問い返せば同田貫は「俺は実戦刀だからよ。そりゃ戦に出る方が楽しい」と再び食事の合間に言葉を差し込む。そうしてあっという間に空になった器に「ごちそうさん」と手を合わせ、食器を流しに持って行きながらも会話は続く。

「けど、こうやってあんたの傍に居んのも悪かねぇ」
「同田貫……」
「あんた見てっと、戦とはまた違った楽しさがある気がする」

 だからたまになら近侍やってやっても良いぜ――流しにもたれ掛かってはにかむ同田貫を見て「私も。長谷部に甘やかされ過ぎたなって思ったら、同田貫に叩き直してもらいたい」と同じように笑う。こんなこと、長谷部が聞いたら悲しむかな。

「ごちそうさま」
「さーて。とっとと洗い物終わらせて残りの仕事も片付けちまうか」
「……あ」
「あ?」

 水に触れているとさっきの洗濯を連想する。そうしてイメージの数珠を繋げた先で思い出したもの。……洗い物、もう1つあった。すっかり忘れてた。

「どうした」
「私同田貫の部屋に着物脱ぎっぱなしだ」
「はぁ!? それぜってぇ誰にも見られんなよ! さっさと回収してこい!」
「でも洗い物……」
「ここは良いから! 早く行け!」
「は、はい!」

 同田貫の部屋に私の服が脱ぎ捨てられているのを見られでもしたら――。あらぬ誤解を防ぐ為に慌てて同田貫の部屋に向かうと、ちょうど遠征から戻って来た御手杵と出くわし、御手杵の視線が部屋の中に脱ぎ捨てられた私の着物と今私が着ているジャージとで右往左往する。……違う。違うよ御手杵。御手杵違う。

「あんた、同田貫と寝たのか?」
「ち、違う! これには深い事情が……!」
「深い事情なぁ。そうだよな、主と刀剣男士の恋愛事情だ。確かに深いよな」
「だから! 違うって!」
「どうしたキネ。ここはたぬきの部屋だろ?」
「聞いてくれよ。遠征先での話を同田貫に聞かせてやろうと思って来てみたらさ、アイツ主とデキてんだよ!」
「……なるほど。それは知らなかった」
「違うから骨喰くん! お願いだから見たものを純粋に受け止めないで2人とも……!」
「大丈夫だって! この本丸にあんたたちのことを反対する男士は居ねぇよ。……いや居るかもだなぁ。でもそん時は俺たちが味方してやっから」
「御手杵ェ……」

 その優しさは嬉しいし頼もしいけれども。刺すことしか出来ないって言うわりには変な方向に察しが良いのはどうかと思います。はい。でもありがたいよ、ほんと。でも違うんだ。

「今夜は祝いの席を設けよう」
「だからほんとに違うんですって……骨喰くぅん……」

 それから数分押し問答を続け、洗い物を終えて戻って来た同田貫を見た時は本当に救いの神に見えた――のに。あの刀剣男士はどんでもないことを言ってのけた。
 「あーもうめんどくせぇ。お前らがそう思うんだったらそれで良いよ」だって。……え? 面倒くさいからそれで良い? はぁ? ちょっと同田貫さんよ。あなたのその見た目とかを気にしない所、良いなとは思いますけどね、自分の相関図くらいはもっとこだわった方が良いと思いますよ。

「おめでとう、主」
「えぇ……あぁ、はい……ありがとうございます」

 まさかの3対1。もうどうにでもなれと礼を述べる私に「つーわけで。なんか、よろしく頼むわ」と頭を掻きながら素っ気なく告げてくる同田貫。その姿を見てたらなんか、これでも良いかなって――私も思っちゃった。

「こちらこそ」
「……おー」

 その後、出陣先から我先にと帰って来た長谷部の看病が待っているだなんて、この時の私には想像もついていなかった。そして同田貫は寝込んだ長谷部の代わりに近侍を続けることになり、もう少しだけ出陣のお預けを喰らうことになるのだけれど、同田貫もこの時はまだそのことに気付いていないようだった。

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