恋の波

「今日も美味しかったです。ご馳走様でした」
「本当にあれだけで足りた?」
「はい。もうお腹いっぱい、です」
「そっか……。お粗末様」

 お腹いっぱいとスムーズに言えなかったのは、お腹が異議を唱えているから。食事の量を減らして欲しいと燭台切さんにお願いしてから数週間。今日も瞬く間にすっからかんになった食膳を厨に持って行くと、それを受け取る燭台切さんは心配そうな表情を浮かべてみせる。無理もない。だって数週間前の私は山盛りと言っても良いくらいの量を食べ、更には夜食まで準備してもらうこともあったくらいなのだから。それが突然ハムスターにでもなったのかという程の量で“お腹いっぱい”などと宣っているのだ。怪しまれない方がおかしい。分かってはいるけれど、それでも量を減らし続けているのにはそれなりのワケがある。

「薬研、今日もあとでお願いしても良い?」
「俺は構わねぇが……大将、ちっとばかし無理してねぇか? 顔色も悪いぞ」
「大丈夫。無理なく減量してる、つもり」

 廊下を歩いていた薬研に近付き、こそっと耳打ちするように願うと、私の顔を見た薬研の表情が燭台切さんと同じように曇った。“無理なく減量している”と言いきれなかったのは、これまたお腹が異議を唱えてきたから。しかも今回は満足に空腹を満たせていない状態で薬研トレーニングを行おうとまでしているのだから、お腹からしてみると“ふざけるな”と言いたいところだろう。その証拠に、今度はまぁまぁな声量でお腹から音が鳴ってしまった。その音に慌てて腕で押さえてみてももう遅い。そうっと移す視線の先で「……今日はだめだ」と医者の顔つきになった薬研から下されるドクターストップが待っていた。

「言っておくが、別のヤツに頼むのもだめだからな」
「……前にそれで山伏さんに頼んでどえらい目に遭ったから、それはしない」
「なら良いけどよ。にしても本当に顔色が悪いぞ。なんなら今から診てやろうか?」
「ううん、大丈夫。ありがとう薬研」
「おう。……つーか、なんでいきなり減量したいなんて言い出したんだ? 大将は痩せる必要ないと俺は思うぜ」

 薬研は優しい。そして格好良い。だから今の言葉ももちろん嬉しい。だけど、みんながみんなそう思ってくれるとは限らない。どうして私がダイエットを決意したか――。それには最近ウチの本丸にやって来た刀剣男士が関わってくるわけだけど、その時のエピソードはちょっと他の男士には言いにくい。
 顕現したての時に自分のお腹と私のお腹に手を当てながら「主とオレの体、なんでこんなにちげーんだ?」と首を捻られただなんて。しかもそのままポンポンと撫でながら「すげー柔らかい。良いねぇ、ずっと触ってたくなるよ」とはにかみながら言われただなんて――。誰にも言えない。加えてそこに夏の連隊戦を頑張ってくれている琉球宝刀組から褒美として海に連れて行って欲しいと願われた日には、己の自堕落な食生活とお別れする決意をするのに時間は要らなかった。

 問題はそこから始まるこの修行の日々だ。1番の問題はやっぱり、燭台切さんたちが作ってくれる美味しいご飯をたらふく食べられなくなったこと。こっちの方が正直山伏さんと一緒に行った山修行よりもキツい。本当はもっと食べたい。だけど食べ始めたら止まらない。海に行くからには可愛い水着だって着たいし、笹貫さんにいつ触られても良いような腹筋にだってしておきたい。……触られないで済むなら触られない方が良いんだけども。

「今度みんなで海に行くでしょ? それでせっかくなら体引き締めたいなぁと思って」
「なるほどなぁ。俺は正直今のままでも充分綺麗だと思うけど。まぁそこら辺は乱とかが言ってる“フクザツな乙女心”ってやつだよな」
「へへ……そんなところです」
「なんにしても、今日は安静にしてろよ。無理は禁物だからな」
「はぁい」

 薬研の言葉を素直に受け取り、今日は大人しく部屋に戻ることにした。今日は仕事もまだ少し残ってるし、そっちの処理に時間を割くことにしようと頭の中でスケジュールを組み直しながら戻った先。そこに私のお腹を撫でた刀剣男士が座って待っていて、一瞬挙動が止まった。けれどすぐさま“今日の近侍だった”と思い出し「食事は無事終えましたか?」と尋ねながら部屋の中へと歩みを進める。笹貫さんって、どうしてこんな色気が凄まじいんだろう? 私この前この男士に自分のみっともないお腹を触られたのか……。うわぁ、恥ずかしい……。

「主〜?」
「わっ! すみません……!」
「意識の波、掴んでる?」
「は、はい。大丈夫です」
「ならいーけど。あ、そうだ。今度海に行く時に着ようと思ってる水着があんだけどさ、似合うかどうか見てくんない?」
「あ、はい。分かりました」
「んじゃ、ちょっと取ってくる。すぐ戻って来るから、待ってて」
「はい」

 手に入れたばかりの体。それを自分の意思で動かしたり着飾ったり出来るのが、笹貫さんは堪らなく嬉しいらしい。あれだけの色気を振りまいているのに、そういうところはなんだかあどけなくて可愛いなぁなんて思う。まぁその経験値の浅さがあの行動を呼んだともいえるけれども。笹貫さんを見送った視線をそのまま漂わせつつ、自分のお腹に手を這わす。……やっぱり脂肪はまだまだここに居るなぁ。

「やっぱ腹筋くらいはしておこうかな?」
「ちょっと良いかい」
「燭台切さん? どうぞ」

 腹筋のポーズをとった瞬間、障子の向こうから声をかけられた。低くて甘い声の持ち主はすぐに脳内に浮かび、その名を口にすると「薬研くんから君の顔色が良くないって聞いてね」という言葉と共に障子がスッと開かれた。薬研……顔色が良くない……その報告を受けて心配して来てくれた燭台切さん……。対する私は、安静を言い渡されたというのにも関わらず腹筋をしようとしている……。瞬時に私のポーズを見た燭台切さんの反応をイメージし、慌てて立ち上がる。

「わわっ、」
「大丈夫!?」
「す、すみません……ちょっと力が入らなくて……」
「……無理もないよ。君、ここ最近全然ご飯食べてないよね?」

 ここまで体に力が入らないとは。ちょっと驚いた。ご飯パワー、なめてた。ふらついた私の体を咄嗟に抱きとめてくれた燭台切さんに礼を言いつつ離れようとすると、それを許さないというかのように燭台切さんの手に力がこめられた。それを不思議に思い顔を見上げれば、燭台切さんは真剣な眼差しでこちらを見つめていた。……もしかして、結構ご機嫌ななめだったりする? なんかちょっと、いつもより表情が険しい気がする。

「燭台切さん?」
「僕は、君が僕の料理を美味しそうに食べてるところが好きなんだ」
「へっ?」
「それなのに、ここ最近の君は僕の料理を前にしても悲しそうな顔ばかりしてる。僕はそれがすごく悲しいし、寂しい」
「……ごめんなさい」

 肩に両手を置かれ、ほんの少し隙間が出来る。その隙間を埋めるかのように額同士をこてんとくっ付けられ、思わず体が膠着する。その状態のまま燭台切さんが「君は今でも充分綺麗だよ。だからちゃんと食事はとって欲しい」と低くて甘い声で囁く。その声を聞いていると不思議と自身の体から力が抜けてゆくのが分かる。そしてその力の緩みが「……お腹、空きました」と自身の本音をも引き出す。その言葉を聞いた燭台切さんがふっと笑いながら顔を離し、ようやく見つめ合えるまでの距離感が戻ってきた。

「任せて。君の為にうんと腕によりをかけた夜食、すぐに持ってくるから」
「ありがとうございます」
「……それと。こんなことをお願いするのはちょっと格好悪いかと思ったんだけど……」
「なんでしょう?」
「あんまり他の男士に君に触れて欲しくないな……なんて」
「……え?」
「お腹の件、聞いちゃったんだ」
「あー……」

 ポリポリと頬を掻く燭台切さん。ということはつまり、燭台切さんはどうして私がご飯の量を減らしてたのかを知っているということ。……格好悪いのは私の方だ。気恥ずかしさを誤魔化そうと私も無意味に頬を掻いていると「その、つまり……僕だけが君に触れたいって言いたいんだけど」という言葉が耳を貫いた。……僕だけが君に触れたい……? なんだこの甘ったるいセリフは。これじゃまるで――。

「ダイエットだって僕が手伝うから。こういう頼み事は全部僕を頼って欲しいんだ」
「それは……その、」
「……ごめんね。こういうことは格好良く決めないとなのに」
「燭台切さん、」
「君のことが好きなんだ。だから君にも僕だけを見て欲しい」
「……っ、」

 なんとなく予想は出来てた。だけど、実際ドストレートに言われると衝撃が凄まじい。すごいな燭台切さん。こんな風に自分の想いを真っ直ぐ伝えられるだなんて。充分格好良い――あれ? 私、めちゃくちゃドキドキしてない? 嘘……え、待って。あの内外面共に格好良い燭台切さんが私のことを好きって言ってくれてる……? 嘘、どうしよう……めちゃくちゃ嬉しい……。

「あの、燭台切さん」
「ん?」
「明日から私専用の別メニューを作ってもらうこととかって、出来ますか?」
「もちろん。君の為ならなんでもするさ」
「あと……。他にもお願いしても良いですか?」
「なんでも言ってよ」
「ダイエット、付き合って欲しいです」
「お安い御用さ」
「ダイエットだけじゃなくって……もっと色んなことに付き合ってってお願いしても、良いですか?」
「……あぁ! もちろん」

 燭台切さんとは違って、少し遠回しの返事をしてしまった。だけど燭台切さんはちゃんと私の気持ちを汲んでくれたらしい。その証拠に、ふわっと抱き締めたかと思えば今度は額に口付けを1つ落とし、溶けそうなくらい甘い視線を贈ってくれた。

「ひとまず、今日はちゃんとご飯を食べること。良いね?」
「はい」
「うん。じゃあすぐに持ってくるね」
「ありがとうございます」

 私の返事にもう1度額にキスをし、軽めのリップ音を鳴らしてから部屋を出てゆく燭台切さん。まだキスの余韻が残る額に手を当て、そのまま顔を俯かせていると「オレ、もう戻って来ても良い?」とニヤニヤと笑う声が障子の向こうから響いた。その声に思わず顔をあげると、私の顔を見た笹貫さんが「あら〜。恋の波、来た感じだねぇ」と今度はおかしそうに笑ってくるのだった。

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