始まりの一振り

 政府職員の仕事の1つに、審神者を辞める者の本丸処理作業がある。辞めたくて辞める者、事情があって続けられない者、資格なしと政府から判断され辞めざるを得ない者。事情は様々とあるが、政府職員として行うことは同じ。今回も政府から指示された仕事を行う為、政府職員はとある本丸へと赴く。



「この本丸は長いこと続いていたんですね」
「もう何十年と時を共にしている」
「歴史を感じます」

 訪れた先で政府職員を出迎えたのは山姥切国広だった。資料をまだきちんと読んでいないが、想像するに山姥切国広がこの本丸の初期刀なのだろう。しかし淡々と喋る山姥切国広はその時の長さを感じさせない。付喪神である彼らが歳をとらないのはなんらおかしい話ではないので、そのこと自体に政府職員が首を傾げることはない。引っかかるのはどちらかといえば審神者の方だ。

「ここの審神者はとある時期から時の流れを止めることをやめていますね?」
「……あぁ」

 審神者になる者は、自身の時を止めることが出来る。つまり、歳をいつまでも取らないということ。付喪神である刀剣男士たちと共に長く居る為に、政府がその力を与えているのだ。ここの本丸の主も当初はその力を使い歳を重ねずにいたようだが、ある時を境にそれを解除している。

「それは一体、どうしてでしょう」
「アイツと約束でもしたんだろう」
「約束?」

 政府職員が喰いついてみても、山姥切国広がそれ以上口を開くことはなかった。そのまま無言状態で廊下を歩き、本丸の中でもひと際静かな場所まで来た瞬間、政府職員は思わず息を呑んだ。
 政府職員自身に審神者ほどの力はない。けれど、それでも分かってしまうほどの死の気配。この部屋からはその気配が漏れ出ている。だというのにこんなにも穏やかな空気で満ちているのは、山姥切国広から発せられる感情のせいだろうか。……いいや、それだけではない。この本丸全体から、この部屋に向けられる何かがこの雰囲気を作っているのだろう。死の気配がひしひしと伝わるけれど、それ以上にこの部屋を守ろうとする温かい感情がそれすらをも包み込んでいる。この部屋に居る人物が誰なのか、政府職員は問わずとも察することが出来た。これほどまでに刀剣男士たちから慕われる審神者。きっととても威厳のある立派な審神者なのだろう。

「そう固くなるな」
「え、」
「俺の主はそう気難しいヤツなんかじゃない」
「はぁ」
「なんせこの俺をここまで大事に扱ってくれたんだからな」

 ふっと漏れ出る笑みの温かさを受け、政府職員の気持ちもほぐれてゆく。どの本丸の山姥切国広も気難しく、そして己を主張することを得意としない。そんな山姥切国広がここまで自身の感情を表に出すというのは、よほどの信頼関係が結ばれている証拠。そう思いふっと肩の力を抜けば、それを見た山姥切国広が「主。入るぞ」と部屋の主へと声をかけた。

「あら、私の可愛いまんばちゃん」
「政府職員を連れて来た」

 部屋の主――この本丸の主でもある審神者は山姥切国広の声を受け、布団に横たえていた体を起こす。その動作をスムーズに手伝う山姥切国広に礼を告げながら「ごめんなさいねぇ。こんな格好で」と政府職員に詫びる様子は、失礼な言い方になるが威厳というものはまるで感じられなかった。この本丸を続けてきただけの歳を相応に取っている女性は、隣に居る山姥切国広に比べるとどう見ても女性の方が年上に見えてしまう。呆然とそう思ってしまった自身の非礼さを恥じつつ、政府職員は「申請を受け、本丸の解体処理に参りました」と仕事内容を告げる。

「はい。よろしくお願いします」
「資材数の確認や刀剣男士との面談、この本丸の戦績なども拝見させていただきます」
「分かりました」
「それと、あなたが審神者としてどういう方針であったかなどの話も聞かせていただきたいのですが……」

 政府職員の言葉が尻すぼみする。どう見ても目の前の審神者は話が出来る状態ではない。今も起きているのがやっとという具合だろう。これは戦績から判断するしかないなと算段を立てていると「それは俺が引き受けよう」と山姥切国広が名乗りをあげた。

「俺はあんたのことをよく知っている」
「そうね。じゃあ、まんばちゃんにお願いしても良いかしら」
「もちろんだ。俺はあんたの為の刀だから」

 山姥切国広はそう言って温かな笑みを審神者に向け、その体を再び布団へと横たわらせる。そうすれば審神者は再び目を閉じ、穏やかな寝息を立てはじめた。その様子を見つめたあと、山姥切国広がそっと立ち上がり部屋から出てゆく。そのあとを追うように政府職員も立ち上がり、最後にもう1度部屋の中へ視線を向けた時、ある1つの物に視線を奪われた。



「まさか全員が即答するとは」
「主から事前に頼まれていたからな」
「そうだったんですか」

 この本丸に顕現されている男士たちに残された道は2つ。1つは本丸解体と同時に刀解すること。そしてもう1つは別の本丸に所属すること。どちらも政府が別の本丸へ報酬として送る際の資材なり刀剣なりになる。そうやってこの世界は成り立っている。しかし、そのどちらかを選べと言われてすぐに選択出来る男士は少ない。政府職員がやって来る前に事前通告をしていても、いざ答えを求めると言葉に詰まる男士がほとんどだ。けれどこの本丸の男士は皆一様に回答を出してみせた。

「主が歳を重ねる決断をした時、そう願われた」
「あの。踏み行ったことを尋ねますが、どうしてこの本丸の審神者は時を止めることをやめられたんですか?」
「時を止めてしまっては、アイツに会えないからだそうだ」
「アイツ……?」

 本丸に着いた時にもした質問。その時も山姥切国広は同じように誰かを指していた。それが気になって「アイツって誰ですか?」と政府職員はもう1歩踏み込む。さっきと同じように躱されるかもしれないと思ったが、どうしても好奇心が抑えられなかった。政府職員が固唾を呑んで山姥切国広を見つめると、山姥切国広は「あまり見るな」と体を捩る。それに慌てて謝罪をすれば溜息を吐きながら「この本丸の初期刀だ」と問いの答えをくれた。

「え? 初期刀はあなたじゃないんですか?」
「違う。この本丸の初期刀は、陸奥守吉行だ」
「……あ」

 瞬間、政府職員の脳裏に審神者の部屋に置かれていた刀がよぎった。そうだ、あの刀は陸奥守吉行だ。審神者の近くに置かれた――折れた刀。それを連想し、ハッとした顔つきになった政府職員を見つめながら山姥切国広が「アイツが折れたのは本丸が襲撃された時だ」と口を開く。

「あの時はちょうど遠征や出陣が重なっていた。それに加え手入れが必要な男士も多かった。その手薄な所を時間遡行軍に狙われたんだ」
「ま、待ってください。確かにこの本丸が襲われたことは資料の中にあります。ですがその襲撃で刀剣が破壊されたという履歴はどこにも、」
「正確には折れていない」
「は?」

 思わず飛び出た疑問の声。それを慌てて咳払いで取り繕いつつ「一体どういうことですか?」と今度はきちんとした言葉にして質問し直せば「破壊まではいっていない。が、姿を保つことが出来なくなった」と山姥切国広が補足をしてくれた。しかし政府職員の理解は今一つ追い付かない。

「大侵寇の際、三日月宗近が同じような感じになったことは知っていますが……それも時間の問題であったと」
「俺らもそれを期待した。だが、アイツが元に戻ることはなかった」
「そうだったんですか……」
「それから何度も鍛刀したが、不思議とアイツが現れることはなかった。そうやって数日過ごしたある時、主が皆を集め“時を止めるのをやめる”と言ったんだ」
「そんなことがあったんですね」

 その時に“時期が来た時は、別の本丸で活躍して欲しい”と願われたのだろう。だから全振りがその選択を瞬時に出来たのだということは容易に想像が着く。それだけの信頼関係を築き上げるには、充分過ぎる程の時をこの本丸は重ねているのだ。

「ズルい――そう思ってしまう俺は、やはり汚いんだろうな」
「え?」
「俺がどれだけの時を共にしても、アイツには勝てない」
「そんな、」
「それでも良い。俺はそんな主の為に在り続けたい」
「山姥切国広……」
「本当はいつまでも主の刀で居続けたい……がそれは主の願いとは相反してしまう」
「自身の気持ちを告げることはしないのですか?」
「そんな気はない。それをしたところで困らせるだけだ」
「それは、」
「良いんだ。俺自身がそれで良いと思っていることだ。さぁ、あんたの仕事ももう終わっただろう。主のもとへ行こう」
「……はい」

 政府職員にこうして本丸の事情を打ち明けてくれたこと。それはきっと山姥切国広にとっての心の準備であったと、政府職員は気付いていた。この仕事が終わる――それはつまり、審神者が主としての役目を終えること。山姥切国広は少しでも長くその時を共にしたいのだという想いが伝わり、政府職員は思わず涙を零しそうになった。



「主、全て滞りなく終わったぞ」
「ありがとう。まんばちゃん」
「あぁ」

 再び訪れた審神者の部屋。その部屋に置かれている刀にちらりと視線を這わしてみれば、やはりその刀は陸奥守吉行で間違いなかった。そしてそれをまじまじと見つめてみると気付くこと。それは、折れているというのに一切の錆が見当たらないことだった。そこにこの審神者の想いがどれだけ込められているのかが分かり、政府職員の胸が再び締め付けられる。

「最後に1つだけ、お願いしても良いかしら」
「なんだ。最後と言わず何度でも言ってくれ」
「ふふ。あのね、刀剣男士を呼びたいの」
「……分かった」

 審神者の言葉を受けた山姥切国広がスッと立ち上がり、折れた刀を手にする。そうしてその刀を審神者に手渡すと、審神者はその刀を大事に撫で「そろそろ迎えに来てくれそうな気がして」と微笑む。その言葉に「あぁ、そうだな」と返す山姥切国広の声はひどく震えていたけれど、どこか嬉しそうでもあった。

「まんばちゃん。私はあなたのことも、ずっと大切に想ってきたのよ。この気持ちは、決して嘘じゃない」
「そんなことは言われずとも分っている」
「みんなのことも、とっても大好きだったわ」
「それも皆知っている」
「そうね。だから私、この本丸の主で居られてとっても幸せだった」
「……俺たちも、あんたが主で……本当に、良かった」
「最後まで審神者として人生を全う出来たこと、誇りに思うわ」
「そうだな。あんたは誰よりも凄い」
「ふふふっ。陸奥守もそろそろ褒めてくれる頃だと思うの」
「……訊いてみると良い」

 審神者の震える手。そこに山姥切国広の手が添えられ、2つの手が重なった先。そこにある刀からまばゆい光が放たれ、部屋中をその光が包み込む。部屋が白む寸前、刀の姿が人影へと変わったのが政府職員のぼんやりとした視界で分かった。その人影が審神者を抱き締めるのを見届けてから瞳を瞑り、すぐさま目を開く。そこは既に光を失い、静かな時が流れるだけの部屋に戻っていた。

「主は……本当に幸せだったんだろうか」
「幸せだったと思いますよ」
「何故そう言える」
「陸奥守吉行が迎えに来た時、とても誇らしそうだったから」
「見えたのか。あんた」
「はっきりとは見えなかったですけど、感じ取れました」
「……そうか。第三者のあんたにもそう見えたということは、俺の自惚れではないんだな」
「山姥切国広、」

 震えている肩にそっと手を添え、折れた刀を抱き締め眠る審神者を見つめる。審神者がこうして穏やかな死を迎えることが出来たのは、陸奥守吉行という刀を失ってからも立派な審神者を続けてこれたからだろう。そして審神者がどうして前を向くことが出来たのか、政府職員にはなんとなく分かる気がした。

「勝ち負け、はよく分かりませんが。きっと、あなたの存在も審神者にとってはかけがえのないものだったと思います」
「そうだな。俺は主にとって傑作だった」
「はい。誇るべき刀剣男士だったと思います」
「俺は、次の本丸でうまくやって行けるだろうか」
「大丈夫です。この本丸でのことはきっとあなたの中に残ります」
「そうか……そうだと良いな」

 目頭を押さえ嗚咽を漏らす山姥切国広。彼もまた、審神者の願い通り別の本丸へ赴くことが決まっている。もしかすると彼は、誰かにとっての初期刀になるかもしれない。彼にとってはまた1からやり直すことになるけれど、山姥切国広なら大丈夫だろう。だって彼は、始まりの一振りに相応しい刀剣男士なのだから。

BACK
- ナノ -