幸せの道中

 オケージョンドレスを着て、髪をまとめ上げて自身を着飾る私の隣を歩く大地。その大地もいつもとは違ったスーツを身に纏っている。今日は大地の妹の結婚式だった。

「アイツが結婚かぁ」
「早いよねぇ」
「ほんと、早すぎるくらいだ」

 大地はどうも自分の兄弟の成長スピードを恐ろしく速いものと認識しているらしい。冷静に考えてみれば私たちが結婚して5年経つので、妹ちゃんももう結婚したってなんにもおかしくはない年齢になっているというのに。もしかしたら大地の中に居る妹ちゃんは、未だに大地にべったりくっ付いて離れようとしなかった小学校低学年のままなのかもしれない。

「大地さ、泣くの我慢してたでしょ?」
「俺まで泣いたら澤村家の大号泣演奏会になってたしな」
「ふふっ。確かに、私も泣いちゃったしね」

 職業柄、大地がお酒を飲むことは滅多にない。だけど今日は特別な日だからとその体に多量のアルコールを取り入れていた。だというのに、隣を歩く大地の頬は夕陽に照らされてオレンジ色になっているだけだ。そこに赤は見当たらない。
 酔いを覚ますという理由で歩いて帰る道は、どうやら私の為だけにあるようだ。だけど申し訳なさを感じることはない。きっとこうなるだろうなということは長年の付き合いの中で分かりきっていたし、それを見越して歩きやすいパンプスを履いてきている。それに、夕方の街並みを眺めながら帰るのは嫌いじゃない。むしろ夫婦共々好きだ。

「あ、今日ここら辺で焼き魚が出る家あるよ」
「ほんとだ。良い匂いだな」
「夕方の通学路ってさ、部活終わりには修行のように感じることもあったよね」
「バレー部は早々に坂ノ下で肉まん買ってたけどな」
「大地月に何回か金欠になってたよね」

 観光地にもならない街並み。それでも私たち夫婦にとってはかけがえのない風景だ。普段はこんな風に特別な場所だとわざわざ思うこともないけれど、今日ばかりは仕方ない。私たちにとって大切な人の幸せを間近で見せてもらったのだ。すぐそこにある幸せにも気付きやすくなるというものだろう。

「ねぇ大地」
「ん?」
「久々に手、繋ごうよ」
「えっ、なんだよ急に」
「良いじゃん。今日は儀礼服じゃないし」
「いやまぁ……良いけど。なんか照れるな」

 照れるな、と言いながらも私の右手をきゅっと握ってくれる大地の左手。大地の手はいつだってザラザラしてて大きい。彼は今、この手で、この体で。私たち市民の安全を守ってくれている。そう思うと途端に繋がれた手の先に居る大地のことを誇らしく思えるのは、私が大地のお嫁さんだから。大地は私の自慢で誇りなのだ。

「あの言葉、嬉しかったなぁ」
「ん?」
「私たちみたいな夫婦になりたいって。言ってくれたじゃん」
「あぁ、アレな」

 結婚報告を受けた時に妹ちゃんが言ってくれた言葉。これから人生を誰かと共に歩もうとする人にそう言われるのは、本当に嬉しかった。嬉しかったし、私の選んだ相手は大地で間違ってなかったのだと思えた。誰かに憧れてもらえる夫婦というのは、私1人じゃ無理だから。相手が大地だったからこそ、憧れを抱いてもらえたのだ。

「私の結婚相手が大地で良かった」
「なんだよ。今日はやけに素直だな」
「幸せな気分だから。お裾分けしてあげようと思って」
「なるほどな。……それじゃあ俺も言うけど、俺の奥さんはなまえしか考えられないって思うよ」
「えーどうしたの大地。顔真っ赤じゃん」

 途端にお酒を入れたかのように染まる大地の耳と頬。クスクスと笑ってしまったけれど、慣れないことに果敢にチャレンジしたその姿勢は褒めてあげようと思う。この人の、いつでも真っ直ぐなところが私は昔から大好きだ。
 真っ直ぐだからこそ。大地はずっとバレーに打ち込み続けた。その後は警察官になる為に必死で、警察官になってからはその身を市民の安全の為に捧げている。そうやって真っ直ぐに生きてきた三十数年の間に、大地は私にも真っ直ぐな想いを抱いてくれた。今だってそうだ。忙しいという言葉では言い表せないレベルで忙しい日々に、私という存在を中心に近い場所に置いてくれている。それがどれだけ幸運なことか。それがどれだけ幸せなことか。

「幸せ者だなぁ、私」
「小っ恥ずかしいついでに言うけど、幸せ者なのは俺もだぞ」
「大地も?」
「おう。仕事ばっかりになりがちな旦那なのに、奥さんは文句1つ言わない。それどころか、そんな俺を“誇り”だって言ってくれる。俺は最高に幸せな旦那だと思ってるよ」
「そっかぁ。へへっ」
「なまえの顔も赤くないか?」
「私のはお酒のせいですぅ」

 手強いなと言って破顔する大地の顔。今の顔、写真に収めておきたかったけどもう間に合わない。だけど別に良い。今この瞬間は、きちんと私の中に日常として収められた。今感じている大地の手の温かさも、町から香る匂いも、頬を撫でる風も、夕陽も。全部、私の日常として組み込まれてゆく。そしていつか人生の終わりが来たら、それらを“幸せ”として振り返るのだ。

「私、大地より先に死にたいな」
「……やだよ。俺なまえに先に死なれたら立ち直れねぇと思う」
「だけどさ、これは大地の義務でもあると思うんだけど」
「俺の義務?」

 警察官という職業の特殊さ。
 何が特殊なのかといえば“死”という概念が他の職業よりも近いところにあるところだと思う。そして大地は誰にも負けない強い優しさを持っている。大地の性格を知っている私が、何度救急車のサイレンに胸を締めつけられたことか。覚悟はしているつもりでも、跳ねる心臓はどうしようもない。だけど自然の摂理となったそれを忌避することなく、受け入れ付き合っていこうとは思っている。だからこそ、その不安と何十年と共に生き続けた先にあるゴールは大地に見守っていて欲しい。そして見送って欲しい。それが私のささやかな願い。

「大地に何かあったらって不安を抱えて生きた私に“よく頑張った”って言って欲しい」
「なまえ……」
「だからこれは大地の義務」
「そっか。じゃあ俺は、絶対なまえよりも長生きしないとだな」
「頼みますよ。大地さん」
「じゃあなまえも、俺が“頑張ったな”って言えるくらい長生きしないとだな」
「だね。お互い、ゆっくりとしたペースで頑張ろ」
「あぁ」

 そうして生きていくこの先にもきっと、たくさんの幸せが私たちを待っていてくれるのだろう。それを楽しみに生きていく日々は、やっぱり幸せの何物でもない。

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