擬人化を解く

 この季節はどうしてこんなにも暑いのか。寒過ぎる冬に繰り越したい。地球にはもう少しうまくやり繰りして欲しい。天に頼めば良いのか、地に頼めば良いのかが分からなかったので、真正面を向いたまま脳内で「頼むよ地球」とぼやく。桑名なら大地だっただろうな――なんて、働き疲れた脳はそういうどうでも良いことにばかり思考を巡らせてしまう。
 だけど、今日で長きに亘る現世での夏季審神者講習も終わりだ。久しぶりにみんなが居る本丸に戻れる。早く帰って留守中の出来事に耳を傾けたい。

「お疲れ」
「えっ豊前? どうしたの」
「一刻もはやく帰りてぇんじゃねぇかと思ってな」
「うん! 一刻もはやく暑過ぎず寒過ぎずなあの最高本丸に帰りたかった!」
「ははっ。そう言うだろうと思ってな。迎えに来てやったぜ」

 はやさを求めると、それに応じるように疾さが売りの男士が現れた――いや、現れていた。ポールに腰掛けていた豊前に駆け寄ると、そのすぐ傍に停まっている機械が目に入る。その機械を見て「あれ?」と驚けば、豊前がハンドル部分に手をかけそれにまたがる。

「バイクじゃないんだ?」
「だって俺、免許持ってねぇし」
「そこは守るんだ」
「当たり前だろ。ま、たまにはこういうのもいーじゃねぇか」
「確かに。でもあれだね、豊前と自転車ってなんか新鮮だね」

 確かに現世でバイクを運転するとなれば、豊前は無免許で捕まってしまう。だから自転車で来たという理由は理解出来る。――だけど。「自転車の2人乗りもダメなんだよ」ルールを守るというのなら、自転車の2人乗りもダメだ。

「別に良いだろ。俺は現世のモンじゃねぇし」
「えぇ? 今ルール口にしたばっかじゃん」
「この時間だし人通りが少ない道通って帰るし。これくらい良いじゃねぇか」
「うーん、まぁ……そうだね。警察に見つからないようにお願いします」
「おう! んじゃ、トばすぜぇ」

 豊前がそう言った瞬間、体全体をグッと引っ張られる。その感覚に慌てて豊前の服を掴むと、「ちゃんと掴まってろよ〜? 遅いと置いてくからな」なんて悪戯に笑われた。豊前のことだ。疾さを求めるあまり、ついてこれず落下した私に気が付かないまま漕いで行ってしまうなんてことも考えられる。
 いい歳して自転車から転げ落ちる自分の姿を想像した瞬間、恐ろしくなって豊前の服を強めに握る。その動作を背中で感じた豊前が「ははっ! どんだけビビっとんかちゃ!」と再び笑うので、「豊前のせいでしょ!」と背中をパシっと叩いておいた。



「こんくれーの風もアリだな」

 青と黒が混ざり合うように、空がゆっくりと夜の色を作っている。そこにほんのりとしたオレンジが残っているのを眺めていると、前に居る豊前がぼんやりと呟く。走り始めは風を感じる為に回しまくっていたペダルを、今はゆっくりと漕ぐ豊前。そのおかげで景色が心地良く流れてゆくのを見ながら「そうだね」と私もぼんやりとした言葉を返す。纏わりついていた暑さもなく、丁度良い風が私たちの横を通りぬけてゆく。豊前に乗せてもらうバイクも好きだけど、たまにはゆっくり会話出来る自転車というのも良いものだ。

「昔さ、夢だったんだよね」
「んー?」
「こんな風に2人乗りして帰るの。青春って感じがしてさ」
「へー? そういうのに憧れる時代があったんだな」
「失礼なっ! 私だって恋に憧れる女子高生だった時代くらいありますぅ」
「ははっ、わりーわりー」

 さっきみたいに背中をパシッと叩くと「痛っ」と大して痛がっていない声があがる。その声に再び「もうっ」と怒る私の声も、大して怒りは含んでいない。そのことに気が付きふふっと笑みを零せば、豊前の背中も同じ理由で震える。他の本丸の審神者が“豊前江は彼氏みたいだ”と言っていたけれど、今の状況は“バカやって笑える友達”という感じかもしれない。

「まーでも。数年越しに夢叶えられたんじゃねぇか?」
「まぁ、そうだね」
「力になれたみてーで良かった」
「……う、ん」

 一瞬だけ顔を横に向けた豊前。あの笑顔は真っ正面から見たらきっと眩しくて直視出来なかったと思う。……前言撤回。豊前は確かに彼氏みたいだ。このドキドキは友達じゃ味わえない。ならば、私の夢をもう1つ叶えてもらっても良いだろうか。

「ついでにもう1つお願いしても良い?」
「良いぜ。なんでも言ってみな」
「迎えに来てもらっといてアレなんだけど、寄り道したい」
「たまにはいーじゃねぇか。行きてぇとこ言えよ。俺がどこでも連れて行ってやんよ」

 豊前のこういう気前の良さが好きだなぁと思いつつ「コンビニ」と告げると、「こんびに?」と少し驚いた声で問い返された。けれどすぐに「あっこでいーか?」と話を前に進めてみせる豊前。やっぱり豊前は全てが疾いな。

「うん。私、もう1つ叶えたい夢があってさ」
「あそこにその夢があんのか?」
「夢、ってレベルのものじゃないんだけど。好きな人と2人乗りしながら帰って、その途中でコンビニ寄ってアイス買って、駐車場で食べるっていうの。1回やってみたかったんだよね」
「へー。良いじゃねぇか。よし! んじゃ、こんびにまでひとっ走りすっか!」
「うわぁ! ちょ、疾い! なんでまた飛ばすの!」
「ちゃんと掴まってろよ〜!」



「はいコレ」
「おー」

 両端の棒を持ってパキっと割り、片方を差し出す。これも私の希望だ。2つで1つのアイスを分け合って食べるのが憧れだった。まさか数年越しに夢をたくさん叶えることになるとは。豊前様様だ。……あぁでも。氷のアイスを爽やかに食べる姿もちょっと見てみたかったかも。まぁ、それはまた今度本丸のみんなとかき氷でも作って食べることにしよう。

「てか疾くない!?」
「食った気がしねぇ」

 私なんてまだ3分の1も食べてないのに。豊前はアイスを食べ終え一緒に買っておいた缶コーヒーを開けている。「会計のとこにあった揚げもんも食っちまうか?」とぼやく豊前。あまり待たせるのも悪いと思ってアイスにかじり付くと「んな急がなくてもいーよ」と優しく笑われる。「味わって食えよ」という言葉が続けられる頃、案の定頭にキーンとした痛みが走り、その痛みに眉根を寄せれば今度はからかいの笑みを吐き出された。

「だから言ったろ」
「んー……!」

 たくっ、と言いながらぎゅっと寄った眉根に人差し指を乗せほぐしてくれる豊前。その皺をゆっくりと伸ばし、そのまま目を開くと「大丈夫か?」と問う豊前の顔が真正面に現れる。……あぁすごい。豊前って本当に彼氏みたい。これ、学生時代の私だったら今頃顔真っ赤だっただろうな。あの頃からモテや青春とは程遠い人生だったから、それを可哀想に思ったどこかの神様が私に疑似体験だけでもさせてくれてるのかもしれない。ありがとう、どこかの神様――この場合は目の前に居る豊前になるのか?

「なんだ急に拝みだして」
「ありがとう……」
「ハハッ、なんか分かんねーけど。良いってことよ!」

 今度はゆっくり味わうようにアイスを食し、豊前がコーヒーを飲み終わる頃に私もアイスを食べ終え再び跨る自転車。今日の帰り道はいつも以上に楽しかった。これは今回の講習のご褒美とも言えるかもしれない。

「今日、ありがとうね」
「おう!」
「豊前が彼氏っぽ過ぎて、ちょっとビックリした」

 今度審神者仲間で集まることがあったら今日のこと話してみよう。きっと他の本丸でも似たようなエピソードがごろごろ転がっているに違いない。なんせ豊前は“彼氏の擬人化”なのだから。

「っぽい、てのはよろしくねぇな」
「ん?」

 言葉の意味が分からず聞き返すと「出来るなら、本当の彼氏になりたいっちゃけど」と想像以上のインパクトを抱えた言葉を返された。豊前は“彼氏の擬人化”で有名な男士で、元々そういう性格っていうハナシのはず。だけど今目の前に居る豊前は“本当の彼氏”を望んでいる。……えっと、ちょっと待って欲しい。

「豊前の言う“彼氏になりたい”って、“彼氏っぽいていうのが嫌”ってこと?」
「ちげぇな」
「えっと……じゃあ、「好きだから。正真正銘、彼氏になりたい」……わ、私、の?」

 前に座る豊前の顔は見えない。だけど、背中越しに肯定しているのが伝わってくる。……うわ、どうしよう。私今絶対顔赤い。こんなの何歳になったって恥ずかしい。……でも、もの凄く嬉しい。

「次は本当の彼氏として。俺と色んなとこ一緒に行かねーか?」
「……うん」

 私の小さな返事に言葉を返されることはなかったけど。自転車のスピードがぐんっと上がったので、きっと返事はちゃんと豊前に届いている。

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