2人の罪名

 目の前に居る男が今や教鞭を執っているだなんて、高校時代の私にはにわかに信じられないことだろう。とはいっても、数秒の時を共にしてしまえば「菅原に違いない」と絶対に言い切るとも思う。

「ちょっとなまえちゃぁん」
「ウザ」
「あらやだ! そんな汚らわしいお言葉遣い、およしになって」
「スガセン、子供たちからナメられてない? 大丈夫?」
「大丈夫。ナメられてるわけじゃなく、親しまれてる」
「そう思えた方が幸せだよね」
「ちょっと! 俺が自己中ポジティブマンみたいな言い方やめろよ!」

 居酒屋おすわりのカウンター。私の隣に座る菅原は、あの頃に比べると確かに大人びた。だけど、性格はそう変わらないものだ。
 菅原はその爽やかな見た目とは裏腹に、どこまでも突き抜けた明るさを持っている。明るすぎてうるさいと思うこともあるけれど、結局はこちらが根負けしていつも爆笑するハメになる。今日も言い合いののちにケラケラと笑い合い、冷えた体に熱が巡った所でホヤサワーのお代わりを頼む。その間に枝豆を口に運ぶ菅原が「んで、話の続きだけど」と真顔に戻って会話を再開させた。

「なんだっけ」
「みょうじの彼氏サンについてだけど」
「大地がどうしたの」

 菅原の会話の中に初めて大地の名前が出る。私の彼氏はきっと今頃書類整理に手を焼いている頃だろう。その姿をぼんやりと思い浮かべながら話の続きを促すと、再び菅原の顔がニヤけたものへと歪んでゆく。

「ちゃんと自分の方に向けてないと、とられちゃうかもだぞ〜?」
「……は? 意味分かんない」
「だからぁ、何年と付き合ってるからといって、その関係性に胡坐かいてちゃダメだぞってこと」
「なんでそんなこと菅原に言われないといけないの。アンタ彼女も居ないクセに」
「なっ……お、俺はあえて……あえて作ってないだけで……うわぁん!」

 わざとらしい泣き声をあげてカウンターに突っ伏す菅原。いつもふざけた男だけど、こんな風に私と大地の関係性に口を出すなんてことは今までになかった。だから今の言葉をうまく流すことが出来ず、「……で、どういう意味?」と努めて軽い口調で尋ねてみる。

「気になるなら押しかけてみれば良いべ?」
「押しかける?」
「公務中だってのにアイツ、だらけた顔浮かべちゃってさぁ」
「……へぇ」

 その会話の後、何度か菅原が「ねぇねぇ。気になる? ライバルの存在、気になる?」とおかしそうに尋ねて来たけど、その全てをガン無視し、「一応聞いておくけど。それって何時くらいに行けば良いの?」と張り付けた笑みで問うてみれば「この時期なら昼に行けば大抵はOK」と答えられた。
 今、私の脳内にはだらけた笑みを浮かべる大地の姿がある。その大地の視線の先には、私たちと同い年くらいの女性が居る。昼頃に行けば大抵はその姿を見られるという菅原の情報を基に考えれば、その相手はきっと同僚か、その時間帯に大地の勤務する交番の前を通る人ということだろう。
 澤村大地という人間に限って浮気なんてことは絶対にないと言い切れる。ただ、女優やアイドルを“可愛い”と思うことは誰にだってあるだろう。それは私だってそうだ。でも、その気持ちを現実世界の相手に抱かれるとやっぱり話は少し違う。そう思ってしまうのは、私が大地に対してそれなりに独占欲を抱いているからだ。

「菅原、今日はもうお開きね」
「えぇ? 話は今からが面白いのに!」
 
 グラスに残っていたビールを飲み干す菅原に「ここは菅原の奢りで」と言うと、グラスに口をつけたまま目を見開き、表情で不満を訴えてきた。

「当たり前でしょ、人の恋愛事情に面白がって口出したんだから」
「クリぼっちだった俺の腹いせ、高くついたなぁ」
「なんで私が腹いせの相手にされなきゃいけないの」

 未だにうじうじと独り言ちていた菅原に「ごちそうさまです」と言い切ると、菅原も手を挙げて応じてみせる。きっと本当にまずい事態になっているのならば、菅原はこんな酒の場では切り出さないのだろう。だから今回のことは決してそこまでの深刻さではないはず。――そう安心する気持ちもある。まぁそれでも、不安にさせられたのは事実だ。奢ってもらうくらいはしてもらわないと。

「誰か俺を癒してくれねぇかなぁ……」
「……缶コーヒーくらいは奢ってあげるから」
「なまえ様……! なんと慈悲深きお心……!」
「やめてウザい」
「なんてお汚いお言葉でございますの!」
「その“ウザい”って言葉にだけ発動するお嬢様言葉はなんなの」

 言い合いしつつ、最終的には笑わせられ。そのおかげで少しだけ気が紛れたのを実感しながら菅原と別れ帰宅した我が家。化粧を落としたりお風呂に入ったりと色々なことを終わらせ、ふぅっと一息吐いた所で届いていたラインたちに返事をしてゆく。その作業の中で新たに届いたラインを開くと“スガ、どうだった?”と今日の飲み会に対する内容が大地から届いていた。

―相変わらずだった
―なら良かった。なまえはもう家?
―うん。お風呂も入ったし、後は寝るだけ
―そっか。温かくして寝ろよ
―ありがとう。大地は仕事、落ち着いた?

 ポンポンと交わされるラインを見る限り、夜間休憩に入ったのだろう。その貴重な時間に連絡をくれていることを嬉しく思いつつ、警察官という職業の大変さを痛感する。交番勤務というハードな仕事は、きっと私には無理だ。それに、警察官とは本当に思い通りに事が進まない職業だと思う。それは彼女という立場で傍に居るだけでも思うこと。だけど大地はそのことに嫌気が差すこともなく、確固たる自信と誇りを持っている。そういう大地のことを私は心の底から尊敬するし、格好良いとも思う。というか、大地が格好良いのは警察官になる前からだ。……私、大地のこと大好きだな。

「……そうだ」

 ニヤニヤと緩んでいた頬を引き締め、“大地って次当番日31日だよね?”と問う。交番勤務のスケジュールで行けば、次に大地が当番日になるのは12月の31日。誕生日だから、という理由でそれが免除されるなんてことは有り得ない。その問いにはやはり“だな”と予想通りの答えが返ってきた。

「にしても誕生日か……」

 なんともまぁ特別な日に当番日が来たものだ。出来ることなら別の日であって欲しかったけど、チャンスはそこしかない。ふぅっと息を吐き、“了解。仕事、頑張って”と送り大地とのやり取りを終える。私は大地の彼女だけど、それ以前に一般市民だ。町の交番を尋ねる権利は、当たり前にある。



 迎えた大晦日の昼時。今年という1年が終わろうとしている今、私は今年1番ともいえるバカげた言い訳を頭に思い浮かべながら街中を歩いている。このご時世にこんな言い分が通るだろうか。まぁでもコレしか思い浮かばなかったんだし、有り得ない話でもないと開き直った辺りで、大地が勤務する交番が見えてきた。

「居た」

 大地は交番の外に立って……いや、屈んでいた。その顔は菅原の言う通り、確かにだらけきっていて、あの頃の主将の姿とは程遠い。その姿を遠巻きに見つめる私の体からふっと力が抜けるのを実感し、自分が思っていたよりも張り詰めていたことを知る。じわじわと湧き出てきた脱力感を緩やかに笑い、大地の姿を写真に収める。そうしてその写真を菅原に送り、“これから修羅場ってくる”とメッセージを付け加えてから大地のもとへと足を踏み出した。

「そっか! それはすごいなぁ!」
「それでね――」
「そうか! へぇ!」
「公務中の警察官が、そんなだらけた顔して良いんですかぁ?」
「えっ!? なまえっ!?」
「駅までの行き方訊きたくて来たんですけど。今大丈夫ですか?」
「駅って……すぐそこ……」
「んん?」
「あぁいや……。駅でしたら、この通りを真っ直ぐ行っていただければ辿り着けます。というかもう見えてます」
「あ、ほんとだ。私ったらうっかり」

 わざとらしく笑う私と、私の行動の意図が読めないのか、目を白黒させる大地。そしてその大人2人の様子を不思議そうに見上げる小さな視線。その視線に目を合わせ「大事な時間の邪魔しちゃってごめんね?」と謝る。そうすれば目線の先に居る小さな女の子は首をふるふると振って、「おまわりさんとわたしは、いつでもおはなしできるから。だいじょうぶだよ」と大人びた返事をされた。……それは私もそうだ。だというのに、誰にも大地をとられたくないという子供染みた焦りに身を任せてここまでノコノコやって来てしまった。緊張、脱力を経て、今度は羞恥心がこみ上げてくる。

「あ! またここにいる! かえるぞ〜!」
「あっ大くん! まって、いまいく!」

 じゃあね! と私たちに手を振り、大くんと呼んだ男の子のもとへ走り出す女の子。その姿を見送り2人きりになった所で「スガか」と大地の呆れた声が放たれた。どうやらこの数分の間に状況の整理をしてみせたらしい。さすがは警察官。

「今の子、スガんところの生徒なんだ」
「そうなんだ」
「この前俺が交通安全教室でスガの学校に行った時、あの子と仲良くなってさ」
「あの子のお気に入り警察官ってことね」
「そっからこうやって、時々俺に会いに来てくれるってわけだ」
「それを私は面白おかしく菅原に教えられたってわけですね」
「そんなところだな」

 次の飲み会も菅原の奢りだなと思いつつ、「真相も分かったことだし。私も帰るね。仕事頑張って」とその場を離れる言葉を口にする。すると大地は「電車に乗らないのか?」と少し目を見開きながら尋ねてきた。その様子に申し訳なさと再び恥ずかしさを抱きながら「交番に出向く理由、捻り出しただけだから」と素直に打ち明ける。

「そんな必死になってくれるなんて。俺は幸せ者だな」
「ちょっと意地悪で言ってるでしょ?」
「そんなことはないぞ? 小学生相手に必死ななまえが見れたし」
「ちょっと。一般市民をやりこめる警察官が居て良いんですかぁ?」
「まぁまぁ。落ち着いてください」

 ムッとした視線で大地を睨み、すぐにその気持ちを静めてふっと笑う。確かに私も必死だったけど。そんな私を見て、大地がこんなにも嬉しそうに笑ってくれているのなら。たまには必死で子供染みた私を見せるのも良いだろう。それに――。

「誕生日に会えたし」
「あぁ、だな。そこはスガに感謝しないとだ」
「……まぁね。菅原の情報のおかげで、大地のあんなだらけた顔も見られたし」
「だらけ……いや確かに、あの子と話してると癒されるけど」
「でも残念大地。あの子には他に好きな子が居るのです」
「あぁ、さっきの男の子な。あの子、いっつもああやって迎えに来てるんだよ」
「大くんだっけ? あの男の子に女の子とられちゃったね? 大くん?」
「だいく……」
「あはは! 大地顔赤い〜!」

 大地は勤務中だし、長居は出来ないけれど。ちょっとの間だけ、一般市民である前に、大地の彼女である私を許して欲しい。

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