推しは彼氏

「おかえり」
「ただいま陸奥くん。近侍仕事ありがとうね」

 事前の連絡を受けた陸奥くんが転送ゲート前で待ってくれていたのを見てへにゃりと笑うと、陸奥くんはニカッと眩しい笑顔を返してくれた。このやり取りだけで私が今どういう気分なのかは通じただろう。

「久々の推し、良かったみたいやにゃあ」

 推しとは、私が審神者になる前から追っていたアイドルグループに所属するメンバーのこと。元々は“誰が好き”とかもなく、いわゆる“箱推し”だった。けれど、いつの間にか特定のメンバーを目で追ってしまうようになり、気付けば“イチ推し”になっていた。
 久々にそのグループのライブに行けると決まってから今日に至るまでの私のテンションは、めちゃくちゃ高かったと思う。無意識に鼻歌を歌い、男士たちから微笑ましかったり生温かったりの視線を頂戴した回数はもはや数えきれない。それくらい待ち焦がれ、ようやく会えた推し。

「もうね、さいっこうだった」
「最高か。そりゃえいのう」

 最高以外の何ものでもない。長らく画面越しでしか会うことのなかった推しと同じ場所で、同じ空気を吸っている。そして同じ時間を共有しているのだと思うと、本気で涙が滲んだほどだった。

「てか聞いて! 私今日ファンサ貰っちゃった!」
「ふぁんさ?」
「うちわに“撃って”って書いてたんだけど、それ見た推しがバーンって! 手でバーンって! もう死んだよね」
「ほーん、なるほど。主は銃で撃ちぬいて欲しいがかえ」
「えっ、あ、あー……まぁ、そう、かも?」

 ゆるゆるになっていた頬に少し力が入る。どうして私が推しにそんなことを書いたうちわを向けたのか――その理由には、目の前に居る刀剣男士が関わっている。けれどこの理由は陸奥くんにも推しにも失礼な気がして、ほんの少し後ろめたい。

「ちっくと気に喰わんのう」
「へっ?」

 にこにこと私の話を聞いていた陸奥くんの表情が少し歪む。とはいっても、本気でイラついているわけではなく、私をからかうような雰囲気だ。けれどどうして陸奥くんがそんなことを言うのかが分からず、つい体を固まらせてしまう。その様子を見た陸奥くんはニヤリと笑って「拳銃の扱いなら、わしのがうまいぜよ?」とカチリと重たい音を鳴らす。

「あ、あはは……。陸奥くんの銃は本当に死んじゃうじゃん〜アハ、アハハ……」
「主、わしになんか隠しちょるな?」
「エッ」

 陸奥守吉行という男士は、実は誰よりも聡い。その男士にファンサの内容を伝えるべきではなかった。今更痛感してももう遅い。今まで1度も推しの顔を見たいだなんて言ってこなかったのに「推しの顔、見てみたいのぉ」なんて言葉でねだられた。……あぁ、バレた。推しが推しになった理由が、よりにもよって陸奥くん本人にバレてしまった。

「ごめんなさい。陸奥くんに似てるからって理由で推しにしちゃいました」
「わはは! 自分から白状するとは、潔いのう」

 素直に認め、謝罪をすれば陸奥くんは笑い飛ばしてくれた。そのことにホッとしたのも束の間、「けんどのう」と再び歪められる表情。後ろめたさ100%なので、こちらも素直につられて表情を硬くする。そんな私の一喜一憂を見つめ、今度は真顔になる陸奥くん。その様子に固唾を呑むと陸奥くんの体が近付いて来た。
 そうして私の手に握られていたうちわを退け、その手に陸奥くんの手を絡ませられる。そのことに驚きつつもきゅっと握り返せば、陸奥くんは表情で是を返す。

「そういうことやったら、おんしゃの推しはここに居るやないか」
「む、陸奥くんは推しじゃなくて彼氏だから、」
「彼氏は、推しと両立出来んがかえ?」
「で、きなくは……ないけど」

 というか推しだから彼氏みたいなところある。彼氏だから推しともいえるけれど。となると、陸奥くんはとっくに彼氏で推しだ。そう言ったらきっと“では何故他に推しを作るのか”と詰められるのだろう。そこには色々と複雑な事情が絡んでくるわけだけど、今は下手に何も言わないでおこう。

「わしを求めて別の人間を推しにしちょるいうがは、ちっくと考えものやのう」
「ご、ごめんなさい……」
「わしに求めることは全部、わしに求めて欲しいぜよ」
「はい……以後気を付けます」
「そういうわけで主。おんしゃは今、わしに何をして欲しい?」

 握られた手をゆっくりとなぞられる。私が求めるものは、もはやファンサでは事足りない。これを推しに求めて良いのだろうかと思うけれど、相手は推しであり彼氏だ。これくらいの願いは求めても良いだろう。

「キス、して欲しい」
「お安い御用じゃ」

 私を優しい力で抱き締めてくれる刀剣男士がこの世で1番の推しで、1番格好良い彼氏だ。

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