君の笑顔が見たい

 学校とは楽しくもあり、面倒臭くもあると思う。朝は練習の為に早くに起きないといけないし、体を動かした後に頭を使うせいで腹も空く。体育は好きだけど、やっぱり部活の時が1番全力出せるし、楽しい。早く部活の時間にならないか、とそんな事を4:32と表示する時計を見ながら木兎はぼんやりと考えていた。

「よし、集まったなー。んじゃこれからペア決めるから、毎週木曜日はそのペアで担当になった区域の掃除をするように」

 早く部活に行きたいという気持ちを抱えたまま、木兎は美化委員担当である教師が受け持つクラスである2年6組の教室に居た。ラクそうだから、という考えで美化委員になる事を選んだ自分にどこを見てラクそうだと思ったのかを問いただしたくなる。“毎週木曜日は放課後に掃除”という呪いをかけられてしまい、一気に気持ちがしょぼくれる。しかし、選んだのは紛れもなく自分なのだから、仕方がない。仕方が無いけど面倒臭い。

「んーじゃまぁ面倒だから、今隣に座ってるヤツ同士でペアって事で! 担当区域は今から俺が適当に決めていくから」

 木兎が面倒臭いと思った様に、教師もまた面倒臭そうにペアと担当区域を決めて、「んじゃ、そういう事で。終わり次第解散して良いから。あ、あとみょうじ! 悪いけど教室に鍵掛けといて」とそそくさと切り上げていってしまう。そんな事で良いのかよ、と机に肘付かせながら黒板へと視線を向けると「木兎・みょうじ:玄関」と走り書きの様に書かれた字が目に入る。みょうじって確かさっき先生から呼ばれてたよな……。と先程耳にした生徒が自分の隣に居る事が分かって、そちらの方へと視線を向ける。

「えと……みょうじさん? 俺、木兎って言います! 3年1組で、バレー部な! 早く部活行きてぇからさ、早速玄関行こうぜ!」
「あっ、はい……。よろしくお願いします。でも、すみません。私、ここのクラスの生徒だから、鍵閉めるのお願いされちゃって」
「あっ、だからさっきみょうじさんに頼んだのか! ったく、自分で締めろってハナシだよなぁ〜。……おーい! 俺、部活行きたいからさ! 皆早く出てくれ〜!」

 自分の相方が鍵締めを任されたのならば、早くこの教室から皆を追い出して鍵を閉めなければ、と木兎は大声を出して皆を急かす。その声に「おい木兎、身も蓋も無ぇ言い方すんなよ」だの「自己中かよ」だのとゴチャゴチャと言ってくる同学年生徒からの野次にも屈せず、どうにか皆を教室から出す事に成功するのだった。



 鍵を無事に返却した後、ようやく玄関へと辿り着き、ほうきで掃き始める。サッサッ、と乾いた音を立てながら床を行ったり来たりするほうきをぼんやりと見つめながら手を動かす。しかし、この動作に果たして意味があるのか、と次第に自分が行っている行為に疑問が湧いてきて、その疑問を黙々とトロフィーを展示しているケースを拭いているみょうじに投げかける。

「掃除ってさぁ、意味あると思うか?」
「えっ?」
「いやだってさー、どんだけ掃除したって結局はみんな汚すんだろ? 雨なんか降っちまったらどうせ水だらけだしさー。1年に1回くらいで良いよなぁ?」

 みょうじさんもそう思わねぇ? と意思を確認する為にみょうじを見るが、首を捻っている。みょうじと木兎の意思が同じでない事に木兎は驚きを隠せなかった。

「えっ! みょうじさんは違う考えなのか!」
「いや……。確かに掃除は面倒臭いですけど、さすがに1年に1回じゃ綺麗するの大変じゃないかなって」
「確かに! そう言われてみれば俺よく後輩から怒られてるわ! “木兎さんはもう少し整理整頓を心がけましょう”って! てかさ、よくよく考えたら片付けとか掃除とかから程遠い俺が美化委員に立候補したの、俺のクラスの奴等は良く止めなかったよな! 赤葦が居たら絶対止められてたわ」
「……ふふっ」

 みょうじの意見になるほど確かにと納得すると同時に、後輩である赤葦の顔が浮かんできて、アイツなら絶対に反対しただろうと顎に手を当てて思考しているとみょうじの顔が破顔する。

「あっ、今! 俺の事バカにしただろ!」
「いいえ、そんなつもりじゃ……っ、」
「ほんとか〜? だって今、にぃって笑ったろ!」

 口をいーっとして、先程のみょうじの顔を真似するとみょうじの顔から血の気が引いていくのが分かった。そして、そのまま慌てた様に「すみませんっ!」と謝ってくるみょうじに木兎の方が慌ててしまう。

「や、そこまでヘコまなくていいぞ? 俺そんなに怒ってないから!」
「はい……」

 そう言ってとりなそうとするが、みょうじの顔は暗いままで、結局その後は目線を合わす事無く、掃除に取り組むみょうじに声をかける事が出来ずに終わってしまった。その事に木兎は何となく胸に突っ掛かりを覚えるのだった。



「なぁあかーし」
「何ですか」
「お前のクラスにさぁみょうじさんて居るだろー?」
「はい。木兎さん、知り合いですか?」
「美化委員で一緒でなー。ペアで掃除してる時に、俺が言った言葉に笑ったからさ、いじったらそっから急に暗くなっちまって。……俺、何か悪い事したのか?」
「さぁ。良く分かりませんね。ただでも、俺はみょうじさんが笑ってるのを見た事ありません」
「えっ、そうなのか? 俺と話した時は普通に笑ってたけどな〜」
「そうなんですか。それは木兎さんのだらしなさに呆れ笑いでもしたんじゃないんですか」

 赤葦の言葉はその場に居なかった割には的を射ていて、さすがだと思わず関心してしまう。失礼な事を言われた様な気もするけれど、みょうじがあまり笑わないという事に意識が向く。もう1度あの時のみょうじの笑顔を思い返してみるけれど、あれは間違いなく作り笑いではなかった。

「なんでみょうじさんは笑わないんだろうな?」
「それは俺にも分かりません。俺はみょうじさんじゃないので」

 思いついた疑問をそのまま赤葦に向けても赤葦は至極真っ当な返事をするだけで、そそくさと体育館へと向かっていってしまう。確かに、何で笑わないのか、という疑問の原因は本人に聞かないと分からないものだ。次の美化委員までは後7日。木兎は面倒臭いと思っていた木曜日を待ち遠しく思った。



 ようやく巡ってきた木曜日。そわそわと授業を過ごし、待ちすぎて眠気が来てしまい、5時間目は夢の中に行ってしまった。そしてそれが先生に見つかり、怒られもしてしまったがなんとか1週間乗り切った。そして、終礼が終わると同時に玄関へと駆け出して行くとそこにはみょうじが居て、既に生徒の邪魔にならない場所から掃除を始めている。


「みょうじさん、はえーな! 俺もすっ飛ばして来たんだけどなぁ〜!」
「木兎先輩よりも教室からここまでの距離近いですし。それに先輩、部活早く行きたいだろうから」

 そう言ってテキパキと掃除をこなすみょうじの顔は凛々しい。1つ年上の自分の方が後輩の様だと思いながらも木兎も掃除用具箱からほうきを取り出して掃除へと取り掛かる。

「なー、聞いてもいいか?」

 暫くは無言のまま掃除を行っていたが、1週間抱えていた疑問をついに我慢出来ずに尋ねる事にした。普段の自分なら開口1番にでも聞くはずなのに、何故出来なかったんだろうと、自分の事ながら木兎は驚いた。

「何でしょうか?」

 みょうじが手を止め、木兎の方を見る。

「赤葦からみょうじさんってあんまり笑わないって聞いたんだけどさ、何でだ?」

 自分の声が緊張から少し上ずっているのが分かった。試合の時でさえも緊張を感じた事が無いのに、何故今目の前に居る彼女に疑問を投げかける事にこんなにも緊張しているのか、自分でも分からない。

「なんでそんな事聞くんですか?」

 声を固くして尋ね返してくるみょうじにドキリと心臓が跳ね上がった気がするが、ここまで来たらいってしまえと思うのが木兎の性分だ。

「ん〜? まぁ何で、って言われると何となくとしか言えねぇけど……。あん時の笑った顔、なんつーか……可愛い……って思ったっていうか……。ん〜?」

 みょうじから何故そんな事を聞くのかと尋ね返され、自分の疑問に自分なりに向き合ってみると更に疑問が深まってしまった。何故疑問に思うのかという疑問に苛まれ、出た答えは「何でだろうな?」という疑問で。迷宮入りを果たした自分の疑問に首を傾げながら困っていると「……あははっ!」とあの時の様にみょうじはまた笑ってみせる。

 その笑顔を改めて見るとやはり可愛いなと思う。そんだけ可愛く笑うのに、なんでもっと笑わないんだ? と思って、ハッとする。そうか、自分はこの笑顔がもっと見たいのか。と自分の中にあった疑問がすうっと無くなっていくのが分かった。

「私、前に……って言っても小学生の時ですけど、良いなって思ってた男子から“笑った顔がキモい”って言われた事があって。それがずっとコンプレックスで、人前で笑うの嫌だったんです。だから、この前木兎先輩に笑った顔見られた事が恥ずかしくって……」

 素っ気ない態度をとってしまってすみませんでした……。と気まずそうに謝るみょうじが何だか妙にいじらしく感じてしまう。

「俺、みょうじさんにそんな事言ったやつに会いてぇなぁ」
「えっ?」
「んで、お前見る目ねぇんだな! って笑ってやりてぇ」
「なっ……」
「だってよー、みょうじさんの笑顔、俺すっげぇ可愛いと思うぜ? 俺は好きだけどなー!」
「……」

 ぽかん、と口をあけたまま俺を見上げてくるみょうじに、木兎は今更ながらに自分がとんでもない事を言ってしまった事に気が付く。

「あ、いや。そのっ! 可愛いっていうのは、何て言うか……その、可愛いっていうか……え、いや、うん。可愛い……可愛い……あー! 可愛いしか伝え方わかんねぇ!」

 会って間もない人物から可愛いなんて言われるのはさぞかしの気味悪い事だろうと思い、何か別の言葉を見つけようとするが、木兎の短絡的な頭では“可愛い”以外の言葉が見つからない。

「……随分ストレートですね」

 赤葦ならなんて言うだろうか、などと頭を抱えていると、「……自分のコンプレックスを認めて貰えるのって、少し照れるけど嬉しいです」と恥ずかしそうにちょっぴり下を向いて笑うみょうじ。やっぱりみょうじの笑った顔は可愛いと木兎は思う。

「うん。みょうじさんの笑顔、俺好きだ」

 木兎は自分がまた突拍子もない事を言った気がするけれど、この笑顔を前にしたらなんでも良いと思った。とにかく俺はみょうじさんの笑顔が見たい。みょうじの笑った顔を見ながら木兎は心が満たされていくのを感じていた。

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