天才ストライカー

 表札に書かれた“赤沢”の文字。見る人が見たら――いや、ここら辺じゃ誰もがとある一家を頭に思い浮かべるだろう。それくらいこの家の息子、赤沢拳心は名を馳せている。こないだもテレビで特集を組まれていたし、彼はテレビ受けするタイプだ。きっとこれからもああやって注目の的としてスター街道を歩んでいくのだろう。心底どうでも良い。

「ゴング、テレビ出てたじゃん。凄いよぉ〜!」

 テレビで赤沢くんに撫でられていたゴングは今、私の腕の中でぶんぶんと尻尾を振っている。うん、やっぱりゴングは可愛い。ゴングの特集だったら録画だってしたのに。ゴングのことはほんのちょっとだけで、番組は赤沢くんのことばかり取り上げていた。それが特集というものだと、頭では分かっている。まぁ、ゴングにはこうやって学校終わりに会いに行けるし、別に良いんだけれども。

 赤沢くんのことを知ったのは、高校に入って間もない頃だった。入学したての、特定のグループが出来る前というのは、高校生活において1番気を遣う時期といっても過言ではない。出だしに失敗するとその後が悲惨なことになると、高校生は中学校で学んでいる。だから口に出さずともクラスの中を走る緊張感は手に取るように分かった。それを蹴破ったのが赤沢くんだった。

「俺は赤沢拳心! 総合格闘技やってます! 応援よろしく!」

 ハキハキと喋り、物怖じしない態度。そして太陽を思わせるはにかんだ笑顔。
 クラスの真ん中に誰を据えるか、全員がその瞬間に判断した。彼は生まれながらにして輝かしい人生を生きていく人物なのだろう。私はそんな彼が苦手だった。
 私は、誰がクラスの中心人物になろうがどうでも良い。関わらなければ良いだけの話だから。世の中、全員が全員中心に位置したいとは思っていない。私のように零れ落ちさえしなければ端っこに居たいと思う人間だって居る。彼はそれを分かっていない。

「みんなでクラス会しようぜ! 俺の激励会も含めてさ!」

 彼の周りからあがる野次のような賛同の声。「お前の為ってのがデカいだろ」とか「なんでクラス会と拳心の激励会が同レベルなんだよ」とか。色々言ってるけど、それら全ては参加の意思があるからこそ。
 行きたい人だけが行けば良い。なのにどうしてデカデカと“みんなで”なんて範囲で声をかけるのだろう。その呼びかけに“行かない”と返したら、私みたいな端に居る人間はクラスの輪から容易く零れ落ちかねない。だから私に“行かない”を選択する余地はない。だって私は、赤沢くんみたいに強くないから。強くないから、端にひっそりと居たいのに。無理矢理引っ張り込もうとするその求心力が、とても苦手だった。

「てか。自分が言い出したくせに自分が都合つかないとか、有り得なくない? いやそっちのが助かるけどさ」

 ねぇ? と首を傾げてゴングに同意を求めてみても、ゴングも同じように首を傾げるだけ。まぁ週6もトレーニングに充ててたらそりゃクラス会する余裕なんてないでしょうよ。じゃあ言うなよ。どうせそういう具体的なことは考えてなかったんだろう。……良いんだけど! 別に。流れてくれた方がありがたいし。

「クラス会行くくらいならゴングの散歩してあげたい」

 私と赤沢くんより、私とゴングの方が付き合いはほんのちょっとだけ長い。帰り道の途中に位置する赤沢家で、ゴングが私に向かって鳴いたのがゴングと私の出会いだ。その時はその家が“赤沢家”だなんて知りもしなかった。ただ、わんっ! と鳴いて私を呼び止めたゴングが可愛くて、私は時間も忘れてゴングと触れ合っていた。ハッと我に返って周囲を見渡し、そこでようやくこの家が“赤沢家”であることを知った。
 その時はまだ“有名人の息子が居るらしい”くらいの認識ではあったけれど、さすがに他人様の家に居座るのは良くないとその日はそそくさと帰った。だけど赤沢家は通学路の途中にあるし、ゴングもそこに居るし、居たら触れ合わないなんて無理だし。結果、私は赤沢くんのことを苦手だと思っている今でもゴングと仲良くやっている。ちなみに、ゴングの名前がゴングだと知れたのは赤沢くんのSNSのおかげだ。ちょっと悔しい。

「ゴングと公園に行きたいな」
「行ったら良いじゃん」
「っ!? っ!?」

 喋った……!? ゴングが……!? あまりの驚きにゴングを二度見してしまった。だけどゴングの視線は私ではなくその上を見上げ、嬉しそうに尻尾を振っている。ゴングの視線に誘導されるように振り向いた先に居たのは、私が避け続けてきた男の子。

「あ、あかさわくん……なんで」
「なんでって。ココ俺ン家」
「あっ……」

 ごもっともな返事をいただいてしまった。確かにココは赤沢家で、赤沢くんはこの家の子。帰る場所はココ以外にない。ちょっと考えなくても分かるはずなのに、私はうっかりしていたのだ。週6でトレーニングに行く赤沢くんが、こんな時間に帰って来るわけがないと、そう高も括っていた。

「す、すぐ帰ります……っ」
「なんで? ゴングも懐いてるし、もっと遊んでやってくれよ」
「や、あの……」

 なぁ? と私の隣にしゃがみこんでゴングを撫でる赤沢くん。というか私のこと知ってるんだ。ちょっと意外。みんなを巻き込むくせに、巻き込んだ相手のことなんて気にも留めてないって思ってた。あ、でも別に私のことを“クラスメイト”としては認識してないのかもしれない。

「みょうじさんが遊んでくれるおかげでさ、ゴングいっつも楽しそうなんだよな」
「名前、知ってたんだ……」
「えー? そりゃ同じクラスだし。ほぼ毎日来てくれてるだろ?」
「な、んで……」
「一応防犯カメラ付いてるし。つーかたまに母ちゃん家の中から見てるって言ってた」
「えっ!」

 勢い良く顔をあげ、大きめの窓を見つめる。けれどそこはカーテンで覆われていて、誰かと視線がかち合うことはなかった。その動作を見ていた赤沢くんが「今日は母ちゃんと親父出掛けてていねーんだ」と教えてくれる。なるほど、だからジムはお休みってわけか。ならば余計早く帰らないと。赤沢くんと2人きりで喋ることなんて何もない。

「これからはなるべく控えます……」
「なんで? 全然良いよ。母ちゃんもゴングと遊ぶみょうじさん見るの楽しいって言ってたし」

 楽しいっつーか、微笑ましい? と首を傾げる赤沢くんを見て、私の脳内がハテナで埋め尽くされてゆく。今までひっそりと会っていたつもりだったのにバレてたの? とか、じゃあゴング相手にデレデレしてたのとかも見られてたってこと? とか、それらを微笑ましいと受け入れてもらってたの? とか……何より。それを赤沢くんが知ってたってこと? ……無理。やっぱ明日からはもう来れない。学校で話題にされたら、私は途端に端っこから真ん中に踊り出されてしまう。そんなのは耐えられない。

「わ、私、帰るね……」
「えっ、もう良いの? 今日は俺も遊べるのに」

 赤沢くんが居るからだよ……! とは言えない。そんなこと言えるはずもない。あぁでも今日がゴングとの触れ合い最終日なんだったら、もっとたくさん撫でてあげたかったなぁ。本当だったらまだまだゴングタイムは続いてるはずだったのに。

「散歩、行かねぇの?」

 ピタっと止まる歩み。ゴングと散歩……? そのワードには勝てなかった。あまりにも魅力的過ぎるワードに固まると、背中で赤沢くんの笑う声が響いた。この人、絶対今のタイミングを狙って言ったな。さすがやるかやられるかの世界で生きる人だ。ここぞというタイミングは外さない。悔しいけど私の負けだ。

「ゴングもみょうじさんと散歩行きてぇよな?」
「わんっ!」

 うわぁ、可愛い。パタパタと尻尾を振って喜びを表すゴング。私よりも小さな体で一生懸命感情を訴える姿が愛らしくて、つい口角が緩んでしまった。もしかしたら笑い声も零れてしまっていたかもしれない。それくらい、気の緩みを見せてしまった。それがいけなかった。

「やっぱみょうじさん、笑ってる方が何倍も可愛いよ」
「……っ、」

 そう言って笑う赤沢くんの笑みは、私の心臓に強烈な一撃としてめり込んでしまった。……違う、私は赤沢くんのことが苦手なんだ。断じてときめいてなんかいない。これは笑った顔を見られた恥ずかしさによるものだ。

「学校じゃ目立たないようにしてるみたいだけどさ、もっと色んな人と話してみたら良いのに」
「別に私は……」
「もし大勢の人と関わるのがヤなら、俺とだけでも良いから喋ってよ」
「え?」

 訊き返しちゃダメだってちゃんと危険は察知出来たのに。反射で訊き返してしまったのが決め手だった。カウンターのように返された「俺、みょうじさんと仲良くなりてーんだ」という言葉と、ほんのり耳を赤く染めて笑う姿は、私をノックダウンするには充分過ぎるものだった。

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