姫プでよろしく

「はぁ〜! 疲れた! 朔、茶」
「勝手に来た上に人を使うんじゃねぇ」

 つうかバレねぇように来たんだろうな? とパソコンから目を離しもせず言葉を返す朔。彼は今日もゲームに忙しいらしい。クソオタクめ。「バレてない。ていうか、私がギークとつるんでるだなんて誰も思いもしないでしょ」とソファに体を沈ませながら言葉を吐きだす。特2を嘲笑う言葉を意地悪で使ってみても、朔は怒りもしない。未だ手と視線をパソコンに集中させ、機械的な音だけを響かせている。

「この部屋エナドリしかないじゃん。ヤバ」
「そこら辺の勝手に飲んで良いぞ。エンゲルのだから」
「自分のじゃないの勝手にやるなっての。……仕方ない。なんか買ってくるか」
「じゃあオレにもよろしく」
「客を使うな」
「いきなり来たくせに客気取りかよ」
「あー、もう。今ので買いに行く気失せた」

 ソファから起こしていた体を再びぼふっと沈ませる。業務時間外まで人の為に働きたくはない。そういうのは業務中だけで充分だ。相手の望むもの、求めるものの為。そういう、他人の為に動くなんてこと、今は絶対にしたくない。

「お前特5向いてねぇだろ」
「向いてない。あんなところに来る金持ちなんて、大体変態じゃん」
「ま、その変態様が居るからこそ、オレらが生きていけてるんだけどな」
「まあね」

 脚が綺麗に見えるピンヒールを脱ぎ、まとめ上げた髪も解き、ピアスも外したところでソファに顔を押し付ける。「んんあ〜……」と零れ出た声は埃っぽいソファが吸い込んでくれた。
 唯一。この場所だけが自分を誰かの為に取り繕わなくて良い場所。そして何より、VIPの機嫌1つで一喜一憂しなくて良い。全ての行動を自分のしたいようにして良い。ここを1歩でも出たら私は特5の銀行員として常に気を張らないといけない。ちょっとの気の緩みが私の序列を危うくする。私が居る場所はそういう所なのだ。

「朔、洗い立ての洋服どこ?」
「あー? 確かヒゲメガネが洗ってくれたやつがそこら辺にねぇか?」
「これ? 他のに比べて良い匂いがする」
「匂いで判断すんなって言いたいが、多分ソレだ」
「ちょっと貸して」
「は? なんで」

 ゲームに一区切りついたのか、クリック音を鳴らしたあとゲーミングチェアを揺らしくるりと私の方を向く朔。本当ならこんな姿、誰にも見られたくないけど相手は朔だし良いだろう。それよりも今はこのカッチリとしたスーツから一刻も早く解放されたい。

「人が着替えようってタイミングで振り向くとか。朔主任ってばスケベ〜」
「生憎オレは3次元には興味ないんだわ」
「へえ? じゃあ私今から脱ぐけど、朔は気にしないでね」
「お前……それとこれとは話がちげぇだろ」
「どう違うってのよ」

 頭をガシガシと掻いて再びパソコンに向かう朔。私の突っかかる言葉なんてまるで無視だ。こちらを向いたのはほんの少しの区切りなだけだったらしい。再びゲームの世界へと入ってしまった朔に舌打ちしつつ、大きめのパーカーに着替え締め付けから解放される。ようやく手にした解放感を全身で実感しようと伸びをし、そのままソファに寝転がって近場の漫画に手を伸ばす。特2は“ギーク”なんて笑われてるけど、正直羨ましくてしょうがない。私みたいに誰かの機嫌を窺わず、自分の好きなことをして良いだなんて。自由で良いなぁと思う。

「ねぇ、次はどんなゲーム造ってんの?」
「言うわけねぇだろ」
「別にどうでも良いけど」
「どうでも良いのかよ。ちょっとは興味持てよ」
「なんにしてもさ、面白いヤツ造ってよね。VIP様方が喜ぶようなヤツ」
「うるせえ。オレは遊んでんだ」
「遊びでもなんでも良いけどさ。頼むよ、ほんとマジで」

 パラパラ捲っていた漫画をテーブルに戻しもう1度伸びをし目を閉じる。色んなことから解放されると、そこでようやく自身が色んなものに囚われて窮屈だったことを思い知る。全てを手放したあと、遠慮がちに残っていた睡魔を手招きし手を取り合う。このままここで寝落ちしてしまっても別に構わない。明日は休みだ。……あでもその前に。

「朔、あとで私の顔拭いといて」
「はぁ? 今拭けよ」
「無理もう動けない。睡魔思ったより強い」
「倒せよ。化粧したまま寝たらやべぇんだろ」
「やべぇよ。やべぇから朔、お願いね」
「はぁ? おい、みょうじ! 起きろ」

 朔の大声が既にぼやけている。霞がかった意識を手放す寸前、化粧を落としてもらうということは、自身のスッピンを見られるということだと気付いたけれど、朔相手なら良いかという結論にすぐ辿り着いた。これでもう安心して眠りに就ける。
 たまには自分の求めるものを優先したって良いだろう。それに、それを他人に求めたって良い。何せ相手は他の誰でもない、朔だから。

BACK
- ナノ -