純楽

 店先のドアが来客を知らせる度、「いらっしゃいませ」よりも「こんにちは、真経津さん」と言いそうになる。その癖をどうにか押し留め「いらっしゃいませ」と明るい声色で放った挨拶は、いつもと同じ人物が受け止めた。

「こんにちは、真経津さん」

 口癖をそのまま言ってしまっても良かった。そんなどうでも良い後悔をぼんやりと浮かべつつ、楽し気な表情を浮かべてカウンターに向かって来る真経津さんを出迎える。

「こんにちは。今日はどんなオモチャが入荷してる?」
「今回はバランスゲーム系です」
「へぇ〜! どんなのどんなの?」
「持って来ますね」

 ウチみたいな個人営業の玩具屋は、細々と営業していかないと正直経営が立ち行かない。けれどこうして絶えず新商品を入荷し、それでもうまく経営が成り立っているのは真経津さんのおかげに他ならない。どうやってウチを知ったのかは分からないけれど、ある日ふらっとやって来て「このお店にあるオモチャ、全部ちょうだい」と言われた日は本当に驚いた。驚き過ぎて「穏やかな強盗ですか?」と失礼なことを訊いてしまったほどだ。今思い返しても冷や汗ものの言葉なのに、あの時真経津さんは「アハハッ! 良いね、穏やかな強盗か。楽しそうだ」と嬉しそうに笑ってみせた。

「お待たせしました」
「ブロックじゃなくてスティックなんだ?」
「はい。ブロックの代わりにこの丸いスティックを積み重ねていって、バランスを崩した方が負けです」
「良いね、良いね。じゃ早速やろうか」
「順番はどうしますか?」
「店員であるみょうじさんから始めて欲しいな。ボクにやり方教えてよ」
「分かりました」

 とはいっても私もこの玩具をプレイするのは初めてだ。箱の中に一緒に入っていた説明書を読み上げながら、手順通りにゲームを始める。
 「同梱しているルーレットをまわして、矢印が止まった数字分だけスティックをこの土台に積んでいく……らしいです」その言葉通りルーレットをまわし、出た数字分のスティックを慎重に積んでいく傍らで、真経津さんが自身のこめかみをトントン、と人差し指で数回叩く。きっと今の数回分のノックだけで私以上にこのゲームを理解してしまったのだろう。私の番が終わったのを見届けるなりノックを止めて「じゃあボクの番だね」と張り切る真経津さん。

「うわぁ、3が出ちゃった。うまく乗せられるかなぁ」

 そうっとスティックを積む真経津さんは、未だに口角を上げたまま玩具に夢中になっている。その姿をぼんやりと見つめ、初めて会ったあの日の笑みを思い出す。
 「でも強盗して捕まっちゃうと思いっきり遊べなくなっちゃうし」と言葉を続けたあと、黒光りするカードをスッと出し「だからちゃんと買ってから楽しむことにするよ」と再びニッと笑ってみせた真経津さん。ブラックカードなんて初めて見たのと、“店内の玩具を全部買うというのを本気で言っているんだ”という驚きと、全部買ってどうするんだ? という疑問がごちゃ混ぜになって「お支払いは現金でしょうか?」とつい会計時に問う口癖を口にしてしまったことも覚えている。

「ほら、みょうじさん。ルーレットまわして」
「あ、はい」
「まったく。ゲームにはちゃんと集中しないと。痛い目見るよ?」
「すみません、」
「まぁ、ボクはみょうじさんとやる純粋なゲームが楽しいから。イカサマなんてしないけどね」
「はぁ、」

 というか、イカサマなんてやろうと思って出来るものなんだろうか? それなりの技術がないと難しそうだけど。私の番が終わり、再びやって来た自分の番でスティックを積むのに苦戦している真経津さんを見ていると、そんなこと出来そうもないように思えてしまう。……まぁ、これは真経津さんには言わないでおこう。



「はぁ〜! 楽しかった!」
「真経津さん、今回のゲームは結構苦戦してましたね」
「んー、このオモチャはボクの芸術センスとは相性が悪いみたいだ」
「あはは、なるほどですね。あ、お茶淹れたんで良かったら」
「わぁ、ありがとう。これ飲んだら次のオモチャで遊ぼうよ」
「ほんと、真経津さんは熱しやすく冷めやすいですよね」
「だって楽しそうなオモチャがたくさんあるんだもん」

 あの日、本当に店内の玩具全てを買った真経津さんは、その後ウチを訪れる必要なんてないだろうと思っていたのに。1ヶ月もしないうちにやって来て「何か面白そうなオモチャ入荷してる?」と問うてきた。あれだけの玩具を郵送したはずだという当然の疑問には、「全部やったけどもう飽きちゃった」なんていう驚愕の理由を返され、その時はさすがに何も言葉が出なかった。
 それから真経津さんは一気に玩具を買うのではなく、定期的に訪れては新しい玩具を買い、他に客が居ないのを良いことに私に遊び相手を求めるようになった。

「でも遊び相手が私ばかりだと、飽きちゃいませんか?」
「遊ぶ友達は他にも居るし。みょうじさんと遊ぶのは息抜きの代わりにもなってるから。別に飽きないよ」
「そ、うですか」

 遊ぶ友達は他にも居る――そりゃそうか。真経津さんが何をしている人なのかも、年齢は私と同じくらいに見えるけど実際はいくつなのかも、何も知らないけど、友達が居ることくらいは分かる。考えなくても思いつく言葉なのに、ちょっとだけ残念だと思ってしまう気持ちを振り払い、「息抜きになれてるのなら良かったです」と笑ってみせる。

「あ、気を悪くしないでね? みょうじさんとの遊びも遊びたくて遊んでるから」
「……え?」
「前に獅子神さん……友達に怒られちゃったんだ」
「なんて怒られたんですか?」
「遊び相手の気持ちもちゃんと考えろ! ってね」
「ふふっ、なんだか小学生を怒ってるみたいな言葉ですね」

 獅子神さんという人がどんな人かは分からないけれど、怒られている真経津さんの姿を想像するとちょっと面白い。脳内イメージに吹きだして笑っていると「だからこれからもボクと遊んでくれると嬉しいな」と私の顔色を窺うように真経津さんが覗き込んできた。その目を見つめ、「もちろんです」と言葉を返せば真経津さんの表情がいつも通りの表情へと戻ってゆく。

「私の大事なお客様ですし」
「ボクにとってみょうじさんは純粋にゲームを楽しめる相手だよ」
「良いですね。ウィンウィンの関係じゃないですか」
「うーん。だけど、それだとちょっと面白くないよね」
「分かりました。じゃあ勝敗は次のゲームで決めましょう」
「良いね。ノった」

 新しいゲームを心待ちにしている真経津さんに笑いながら、次の玩具を探し始める。私の表情もきっと、真経津さんと同じ表情を浮かべているに違いない。

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