優しい味で牙をむく

「主、ちょっと良いかい」

 修行道具の1つである手紙の数が合わない――それは、本丸の資材やら食材やらの管理を担ってくれている歌仙から言われた言葉だった。
 おかしい。そんなはずはない。うちは旅装束と旅道具と手紙一式のすべてを1セットで揃えている。この前男士を修行に出した時も残数は揃っていた。とはいえ“数が合わない”と言ってきているのは数振り居る刀剣男士の中でも比較的しっかりしている歌仙だ。……歌仙だ。

「歌仙、数え間違えてるってこと……ない?」
「…………そんなまさか」

 たっぷりの間が計算ごとは苦手だと伝えてきて、念の為私も数を確認しようと蔵に足を向けることにした。その先ではやはり手紙だけが一式なくなってしまっていて、隣で歌仙が優雅な佇まいでドヤ顔を決めてみせる。

「えぇ? なんでだろ……。短刀の子たちが紙で遊ぶにしても、わざわざ蔵にある手紙を使うなんてことしないだろうし」
「それにこの紙の価値を分からない者はこの本丸には居ないだろうしね」
「歌仙が目利きしたヤツだもんね」
「そうさ。修行に出てその場で感じたことをしたためるんだ。そんじょそこらのちり紙で良い訳がないからね」

 手紙を書くという行為がいかに雅であるかを力説する歌仙の隣で、私は別のことに頭をまわす。つい最近まで揃っていたはずの修行道具のうち、手紙だけがない。そしてこの紙は修行以外で使うことは考えられない。……とすれば。

「あぁ、なんだか僕も手紙を1通「ねぇ歌仙。大倶利伽羅の姿って見た?」……あの田舎侍かい?」

 また小競り合いでもしたのか、大倶利伽羅のことを尋ねた途端眉根を寄せ「さぁ。朝餉の場には居なかった気もするけれど。僕が気にかけていなかっただけかもしれない」なんて棘のある言い方で言葉を返される。その言葉に呆れつつ、この本丸から感じ取れる霊力に意識を集中させる。……おかしい。普段から大倶利伽羅は居場所を悟られるのを嫌って霊力を感じ取れないようにしているけど、今日は何も感じられない。こんなのはおかしい。いつもは微かにではあるけれど、きちんと大倶利伽羅の霊力も感じ取れるのに。

「大倶利伽羅だ……。大倶利伽羅が居なくなった」
「はぁ? どういうことだい」
「大倶利伽羅、前からずっと修行に行きたそうだったんだ。でも修行に行かせる男士は本丸のパワーバランスを見て私が選んでた」
「それが主の仕事だからね」

 打刀はつい最近やっと同田貫さんを修行に出したばかりだ。だから次の修業は太刀を行かせるつもりだった。顕現の順番とか色々なことを鑑みて、今回は同田貫さんにすると大倶利伽羅には説明したし、大倶利伽羅も舌打ちを返してくれたから安心していたのに。あの舌打ちは“了承”の舌打ちではなかったらしい。

「大倶利伽羅を探しに行く」
「探すって……どうやって探すんだい?」

 歌仙の言葉が私の言っていることの無謀さを示している。修行とは、修行道具一式を持たされた者が政府によって指定された時代へ向かうことをいう。今の大倶利伽羅は私が許可をしたわけでもなければ、修行道具の一式全てを持っているわけでもない。だから正直言って大倶利伽羅が今どこに居て、どこに向かおうとしているのかの見当なんてまったくつかない。それでも、主の許可も得ず勝手に本丸を飛び出して行った男士をおいそれと見送ることなんて出来ない。

「どうにかする」
「どうにかって……、」
「その間の本丸運営はみんなに任せても大丈夫だよね?」
「それは別に大丈夫だけど……僕が心配しているのは主のことさ」

 部屋に戻るなり出立の準備を始めると、近侍を務めてくれていた宗三さんも「おやまぁ。一体何事ですか。騒々しい」と言いつつも私の手伝いをしてくれる。そういう部分にこの本丸の一体感を感じて嬉しくなる。「宗三さん。申し訳ないんですが今日残ってる審神者の仕事、宗三さんに任せても良いですか」と言うとさすがの宗三さんも「……全部、ですか?」と固まっていたけれど。
 作業を進めていると歌仙も諦めてくれたのか、「出る前に厨に寄るように」と言って部屋から出て行った。その歌仙にも返事と共に礼を投げ、傍で「僕はやっぱり籠の鳥だ……」と嘆く宗三さんにももう1度詫びを入れておいた。



「歌仙くんに聞いたよ。伽羅ちゃんのことも心配だけど、僕はそれ以上に君のことが心配だな」
「ありがとうございます、燭台切さん。だけど、大倶利伽羅を連れ戻すのは私の役目ですから」
「まったく。伽羅ちゃんも伽羅ちゃんだよね。修行に出さないって言われたわけじゃないのに」
「でもずっと修行に行きたがってるのを知ってたのに、修行に出さなかったのは事実ですし」
「……ごめんね。君に負担ばかりかけることになっちゃうけど、伽羅ちゃんは僕の大事な仲間なんだ。伽羅ちゃんのこと、お願いしても良いかな?」
「もちろんです。絶対連れて帰ります」
「ありがとう。でも無理は禁物だからね? 君は僕たちと違って、人間なんだから」
「……はい。肝に銘じておきます」
「約束だよ? 君はいつもそう言うくせに無茶ばかりするんだから。この前だって「燭台切さん、そろそろ」……あぁ、ごめん」

 ポリポリと頬を掻く燭台切さんに苦笑いを浮かべつつ、歌仙と一緒に作ってくれたお弁当を受け取る。そうして見送りに来てくれた男士たちに行ってきますを告げ、心配そうな見送りを受けつつ本丸から外へと歩き出す。……さて。大倶利伽羅は一体どこに行ったんだろうか。時間遡行は出来ないし、居るとしたらこの時代だろう。とはいっても現世に行くことは大倶利伽羅の性格上嫌がると思うから、きっとひと気の少ない場所を修行場所に選ぶはず。そうやって大倶利伽羅の行きそうな場所にある程度の目星をつけ、その方向に意識を集中させる。色んな生物の霊力が流れ込んでくる中に、体に馴染む霊力が混ざっていないかといつも以上に意識を研ぎ澄ませる。

「居た……」

 付喪神である彼らの方が私より何倍も霊力操作は上手い。けれど、私だって審神者になってからずっとみんなの霊力を感じながら日々を過ごしてきたんだ。相手がどれだけ霊力を隠そうとしたって、染みついたものは簡単に消えはしない。微かに、だけど確かに感じた霊力を掴み、その細い糸を切らさないように意識を集中させながら大倶利伽羅が居るであろう場所へと歩みを急がせる。ちゃんと話し合って、きちんと修行に送り出せるように。ひとまずは本丸に帰って来てもらわないと。



「大倶利伽羅!」
「……チッ」

 やっと大倶利伽羅のことを見つけたのはそれから随分と先のことだった。私が大倶利伽羅の霊力を感じられるということは、大倶利伽羅も私の霊力を感じ取れるということ。大倶利伽羅の霊力が近付いたと思えば遠くへ離れてしまい、どうにか必死の思いで追いついたと思ったらまた離れ。それを数度繰り返し、ついに私の体力が限界に近付いた時、大倶利伽羅の霊力が私に近付いて来た。

「あんた、自分の限界も分からないのか」
「分かってるよ……分かってても大倶利伽羅に追いつけないから……無理するしかないじゃん」

 面倒だと吐き捨てるような舌打ちを鳴らされ、ムッとした気持ちがこみ上がるけど、息も絶え絶えだし歩きまわり過ぎて足は痛いしでうまく言葉が纏まらない。とにかく。ひとまずは大倶利伽羅に会えた。

「手紙は持っている。いずれは知らせを出すつもりだった」
「大倶利伽羅が手紙を出すとでも?」
「…………チッ」

 この舌打ちは言い返す言葉がない時の舌打ちだ。絶対この男士手紙の1つも出さずに修行を終えるつもりだったな。そのくせ持ち出す道具が手紙だなんて。なんて皮肉たらしいことをしやがるんだ。考えれば考えるほど心の中に苛々が募ってゆく。……だめだ、私は大倶利伽羅と話し合いをする為にここまで来たんだ。落ち着け。

「今回は同田貫さんを修行に送り出したけど、大倶利伽羅のことだって絶対修行に出すつもりだよ」
「あんたの言う“いつか”に具体性がない。そんな悠長なことを言っている時間は俺にはない」
「そんな……本丸に居る間だって決して無駄な時間なんかじゃないでしょ」
「だがもっと強くなる為の手段がある。それを知りながらその手段を選べないのなら、俺は1人でも強くなる」
「なんで……なんでそんなこと言うの」

 まるで大倶利伽羅にとって本丸という存在が足枷のような言い方に聞こえてしまう。だけど、大倶利伽羅という男士はこう見えて誰にも負けないくらいの優しさを兼ね備えている。今だって足を痛めた私を気遣ってこの場に留まっている。“1人でも構わない”と言うくせに、私を1人にしない。だからこそ、私はここまで大倶利伽羅を追いかけて来た。

「大倶利伽羅のことを放ってるわけじゃない。これ以上の強さを求めてないわけでもない。私だって大倶利伽羅にはもっと強くなって欲しい。一緒に本丸を支えて欲しい。だけど、こんな形で居なくなるのは嫌だよ」
「……泣くな」
「だって……大倶利伽羅、勝手に居なくなったじゃん」
「二度と戻らんなどとは言ってないだろう。いつかは帰るつもりだった」
「そんなの、大倶利伽羅の言う“いつか”だっていつか分かんないじゃん」
「だから手紙を……ハァ」

 大倶利伽羅が自身の言い分を引っ込める。その言葉の先はついさっきやり取りしたばかりだ。そこでようやく大倶利伽羅は自分の分が悪いことを悟ったのか、「悪かった」と小さく手短に詫びを入れてみせた。そしてもう1度溜息を吐いたあと「俺が悪かったから。もう泣くな」と乱暴に私の目元を拭う大倶利伽羅。……この男士はどれだけ人に心配かけたか、本当に分かっているんだろうか。大倶利伽羅が居ないと分かって、必死にあとを追いかけて。近付いたと思えば離れるあの心細さを、大倶利伽羅は知っているんだろうか。歌仙と燭台切さんが作ってくれたお弁当がなかったら、ぽっきりと心が折れていたかもしれない。そのお弁当にだって箸すら付けれていない。そういうの、すべてちゃんと分かってるんだろうか。

「折れたかもしれないけど、折れるわけにはいかないし……」
「なんの話だ」
「大倶利伽羅の話だよ! バカ!」
「バッ……あんた、そんな口の悪い女だったか」
「そんなの構ってられないんだよ。足は痛いしずっと心細かったし、このまま大倶利伽羅が行方知れずになったらって不安もあったし…………もう、ほんと……大倶利伽羅のせいで……ばかぁ、」

 何より、今心の中の大部分を占めている気持ちは“安心”だ。大倶利伽羅は自分の非を認めたし、私と一緒に本丸に戻ってくれるはず。1人で一生懸命あとを追った先で、大倶利伽羅が隣に居てくれることに心からホッとしている。その安堵がポロポロと涙に変わっていることに気付いているけれど、大倶利伽羅には教えてあげない。主らしからぬ行動だけど、これくらいの意地悪は許されるだろう。

「もう勝手に居なくならないでよね……」
「分かったから。泣くな」
「泣き止むからちょっと待ってぇ……」

 とはいっても。涙とは生理現象だ。泣き止めと言われて泣き止むなんて無理な話。ベソベソと泣き声を上げながらも目頭にぎゅっと力をこめていた時。口から零れ落ちていた泣き声が、何かに吸い取られていった。与えられた熱の代わりに消えた自身の泣き声の行方を追うように慌てて目を開くと、そこには大倶利伽羅の顔があって思わず肩が跳ね上がった。

「んう!?」

 目を見開いた拍子にポロリと涙が頬を滑ってゆく。慌てて肩を押して距離を取ろうとしても、それ以上に強い力で後頭部を押さえられて自身の押す方向とは逆に大倶利伽羅に近付いてしまう。何度か角度を変えてぶつかる唇に思わず目をぎゅうっと閉じれば、いつしか瞳から涙は落ちなくなっていた。大倶利伽羅の肩を押さえていたはずの手が大倶利伽羅の服を縋るように握っているのに気付いた頃、大倶利伽羅の顔も離れてゆく。

 息も絶え絶えな私とは違い、涼し気な様子で「泣き止んだな」なんて言う大倶利伽羅。……待って。こんなの、泣いてる場合じゃないから。え、なんで? なんでこの男士は私にキスなんて……えっ。てか男女でするキスがどういう意味を持ったものか、大倶利伽羅知ってる?

「泣いている女を泣き止ませるにはこれが1番だと貞が言っていた」
「さ、貞ちゃんが!?!?」
「光忠も良い手だと言っていた」
「燭台切さん…………まじか」

 そしてそれを真に受け実戦する大倶利伽羅さん。……伊達者はやることなすことレベルが違う。対する私は泣き止ませる為だけのキスに、こんなにもバクバクと心臓を打ち立ててるだなんて。なんかちょっと虚しい。安心して零れていた涙が、今度は別の気持ちで零れ落ちそうだ。

「何故また泣きそうになっている」
「あはは……。今度はもうキスしていただかなくて大丈夫です」
「……?」
「キスされると余計泣けそうなんで」

 誰にも言ってないけれど、私の心臓は大倶利伽羅に対して特別な動きをする。それはいつの間にか抱いていた気持ちが原因だって、とっくの昔に気付いていた。だけど、それだけは絶対に悟られないように、気付かれないようにと意識してきた。それなのに大倶利伽羅は意図も容易くその垣根を壊そうとするし、それは私と同じ気持ちだからという理由なんかではない。ただ泣き止ませる為だけのキス。…………あぁやめやめ。こんな気持ちに今なってる場合じゃない。みんなが待ってる本丸に戻らなければ。せっかく大倶利伽羅に泣き止ませてもらったんだし。

「ごめん大倶利伽羅。もう足も大丈夫だし、帰ろっか……!?」

 立ち上がろうとした瞬間。腕を引かれ大倶利伽羅に抱き締められた。……なんなの今日の大倶利伽羅。いつもは“これ以上近付くな”と自ら規制線を張るのに、なんで今日はこんなグイグイ来るの。

「あんたの泣いている顔は思った以上に堪える」
「え?」
「女の初めてを奪うということがどういうことか、それを分からんほど俺はバカじゃない」
「……えっ?」
「言っておくが。好いてもいない女の唇を泣き止ませる為だけに奪うことなど、俺はしない」
「は? えっ?」
「……もしかして、初めてじゃないのか?」
「はっ、はぁ!? え、なっ……は、初めてですけど!?」

 こんな風に抱き締められるのも、何もかも。全部初めてですけど!? 全部今初めて経験してますが!? まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった。安心してポロポロ泣いていた私が遠い昔の自分に思える。何、この展開。ちょっと心が追い付かなくて逆ギレみたいになってしまっている。

「俺はあんたに憎からず思われていると思っていたんだが」
「エッな、なんで……」
「ふっ。自分の霊力を隠すことも出来ないくせに、感情を隠せるとでも思っているのか」
「うわ……うわ……うっっわ」

 恥ずかしすぎて今度は熱がこみ上がって来る。無理まずい、泣きそう。恥ずかしすぎて泣きそう。
 例え、どの男士がこんな風に本丸を飛び出したとしても。私は同じようにあとを追っただろう。だけど、私が大倶利伽羅を追いかけた理由に少なからず自身の個人的な感情が含まれていたことは否めない。それはきっと大倶利伽羅にも伝わっていたのだろう。そう思えば自身の一生懸命さが恥ずかしく思えて、本気で涙が滲みだす。

「それで。どうなんだ」
「いやあの……ちょっと待って、今顔見ないで」
「泣いているのか」
「や、あの、泣いてるっていうか……その、」

 人が必死に顔を隠そうとしているというのに。意図も容易くその手を奪われ、大倶利伽羅の前に真っ赤に染まる顔が晒される。……もうやだ、大倶利伽羅の顔が見れない。
 最後の抵抗だと目だけでもぎゅっと瞑っていると、またしてもその抵抗をものともしない手が私の顎を掴み顔を上げさせられる。その次に来るであろう行為が想像出来て、パッと目を開くとばっちり大倶利伽羅の瞳と絡み合ってしまった。そうして絡み合った視線の先で、大倶利伽羅は今まで1度も見たことのない柔らかい笑みを浮かべ、「今にも泣きだしそうだな」と言葉を向けてくる。

「一体誰のせいでこうなってると……!」
「俺のせいだ。泣くなら泣いて良い」

 まだ泣いてないのに。その抗議の言葉はゆっくりと降りてくる唇に奪われてゆく。泣き止む為にキスされたはずなのに。今度はそのキスのせいで泣くはめになっている。本当はもっと色々と言いたいことや話し合いたいこともあるけど。もうちょっとだけ、泣いていても良いだろうか。

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