恋朱殷

 千客万来。万屋という名前を掲げているだけあり、ウチはほぼ毎日お客様で賑わっている。そのお客様というのは審神者であったり、政府職員であったり、刀剣男士であったりする。
 審神者になるほどの霊力はないけれど、霊力に触れても支障ない程度の力はある。そういう中途半端な霊力が、万屋の従業員として働くのには丁度良かった。それに、歴史を守るという偉大な行為を私が出来るとは思えない。色んな結果論が重なった上で言えることは、万屋の従業員として働く日々はそれなりに充実しているし、楽しいということ。

「まだ売れないかぁ……」
「仕入れ、間違ったんじゃねーの?」
「絶対可愛いんだって。みんなそう思ってるはずなんだよ」

 長年万屋に勤務している私は、どんな商品を仕入れるかという会議にも参加している。そこで“絶対に売れる!”と豪語した商品をどうにか仕入れたのは良いものの。店内を歩きまわる度にチラ見する陳列棚は、あまり回転がよろしいとは言えない。……まぁ、そんなほいほい買えるような値段じゃないし。“頑張った自分へのご褒美”とか、“誰かへの贈り物”とか。そういう特別な時に日の目を浴びる商品なんだ……と信じている。

「自腹切っといたが良いんじゃね?」
「まだその時じゃない」

 カウンターに戻って同僚と会話を交わすも、視線は延長線上にある陳列棚に一直線。そこには1人の審神者が立っていて、商品をまじまじと吟味している最中だった。全員目もくれないってわけじゃないし、ああやって興味を持ってくれるお客様も居るは居るんだよなぁ。同僚が言った通り、あまりにも売れない時は自分で自分用に買うつもりではいるけど、もうちょっとだけ粘ってみよう。

「金さえくれたら俺がお前に買ってやっても良いけど?」
「えー。ちょっと悩む」
「悩むのかよ」
「だって自分で自分に買うよりかはちょっと気持ち違うじゃん」
「そうかぁ?」

 言い出したのそっちじゃん。ノったらノったで“違うだろ”みたいな反応するのやめて欲しい。首を捻る同僚にジト目を送っている時、レジに人影が現れた。瞬時に会話を止めて意識をそちらに向けると、視界に暗い朱が走る。馴染みのある色から連想した男士はやはり肥前忠広さんで、その手にはいつものように幕の内弁当が握られていた。

「いつもお買い上げありがとうございます」

 肥前さんは、あまり会話をしたがらない男士だ。今も顎をほんのちょっと引いただけで、彼の声を聞くことは叶わなかった。それにしても。どの本丸の肥前さんも食べることが好きみたいだけど、今幕の内弁当を買ってくれた肥前さんはほぼ毎日だ。本丸で食べるお昼だけじゃ足りないのかな。……それとも、ウチの幕の内弁当がめちゃくちゃ美味しいとか。

「今日はお客さん少ねーし。今のうちに休憩行っとく?」
「そうだね。そうしようかな」
「おう」

 同僚の言葉に甘えてお昼休憩に入ることにする。今日はお弁当作るの面倒臭くて買うつもりにしてたし、私も幕の内弁当買ってみようかな。天気も良いから、外で食べたらより美味しそうだ。

「幕の内弁当買っても良い?」
「おう。10朱な。ポイントで買うなら500ポイントで良いぞ」
「正規の値段知ってる相手にぼったくんな」

 正しい金額を支払って手に入れた幕の内弁当。男士の疲労回復に支給されることもあるくらいの品物だ。手にしたお弁当は、ずっしりとその重みで存在感を訴えてくる。これ、完食出来るかな。もし食べきれなかったら、夜ご飯にまわそう。



「美味しい……。この味でこの値段って。ウチ、超良心的じゃん」

 木陰の下に設置されたベンチに腰掛け口にしたお弁当。手始めに手を付けた煮物でまず心を掴まれ、その次に箸が選んだ卵焼きを食せば胃袋をも掴まれた。あの肥前さんが毎日買いに来るわけだ。こりゃうまい。胃袋の限界とか分かんないくらい箸が進む。
 おかずもお米も文句なしに美味しくて、気が付けばお弁当の中身は残りわずかになっていた。……じっくり味わう? それとも一思いに食べちゃう? 少し悩んで、選択したのは“一思いに食べてじっくり味わう”だ。箸でお米を摘まみ、ゆっくりと口に持って行く。そうして口を大きく開けた瞬間、目線の先に冷めた朱い瞳が待っていた。

「あ、」

 肥前さんだ――という感想は、今抱くべきじゃなかった。この大きく開けた口をどうしよう。そのすぐ目の前で固まったお米は、お弁当箱に戻すべきか。それとも口に仕舞うべきか。どうしてこんなタイミングでかち合っちゃうかな。というか、普通に気にせず食べちゃえば良かった。……え、どうしよう。私いつまであんぐり口開けてんの? えー、普通に気まずい。

「あ」

 2回目の間抜けな声が出た時、肥前さんは既に背中を見せていた。きっと絡んだ視線は数秒にも満たない。だけどあの目は確かに私を“見知った顔”として捉えていたし、私だって肥前さんのこと知ってる。うまく喋れない状況だったにしても、会釈くらいは出来ただろう。せっかくのお得意様なのに、失礼なことしちゃったな。



 次の日。いつものように働きながらも、私は肥前さんを探していた。肥前さんからしてみたら取るに足らないことだったかもしれないけど、それでも。私としては引っかかる出来事だった。
 肥前さんは人と積極的に絡むことをしない。だからもし、互いを認識していることに対して、肥前さんが嫌悪感を抱いていたら。もう肥前さんはここには来てくれないかもしれない。そんな不安がモヤモヤと共に心を覆っていた。だから、肥前さんの姿を店内で見つけた時、思わず「良かった……」と心の声がカウンターの中に小さく漏れ出てしまった。

「だから言ったろ。そんなん誰も気にしねぇって」
「かもだけど。私のせいで肥前さん、お気に入りのお弁当食べられなくなったら――って思ったら、やっぱ気にするじゃん」
「そんな気になるんなら、声かけてみろよ」
「えぇ!? それはダメでしょ」
「なんでだよ。今丁度お前が仕入れた商品の前立ってるし。店の人間として声かけんのは当然だろ」
「んー……まぁ、うん。そう、だね」

 確かに。声掛けは従業員としてすべき仕事だ。だけど相手はあの肥前忠広。あくまでもふんわりと。それとなく。近付いてみて、肥前さんが殺気立つようだったら素通りしよう。それで、これからは肥前さんが居る時はなるべくバックに隠れることにしよう。……うん、そうしよう。

「ここんっにちはっ、」
「っ!?」
「そ、ソレェいいいですよねぇ」
「……、」

 しくじったまずいやばいしくじった。第一声からしてどうした自分。なんだあの声。生まれて初めて出したよ、あんな裏返って掠れた挨拶。あの肥前忠広もビックリだったよ。しかも出だしで躓いたせいで頭パニックだし、逃げる選択肢見失って裏返ったまま会話続けちゃったよ。そんな声色で話し続けたせいで肥前さんもちょっと狼狽えてるし。お客様困らせるだなんて、店員としてあるまじき行為だわ。ちょっとタイミング遅くなったけど、ここは逃げの一手に走ろう。

「気になる商品がございましたら、お気軽にお声かけくださいね」

 よっしゃ言えた。笑顔は多分ぎこちなかったけど。これさえ言えたら向こうも会話終了だって思うだろう。すいません肥前さん。私の勝手な事情に肥前さんを巻き込んでしまいました。もう二度と話しかけませんしなるべく姿を見せないようにもするので、どうか何卒。これからもウチをご贔屓にしてくださいませ。

「……何色が好きだ」
「え? は、はい?」

 絶対話しかけられることなんてないと思っていた。なのに今、肥前さんは微かだけど確かに私に向かって声をかけた。その言葉をあろうことは私は聞き漏らしてしまい、その失態をカバーしようと慌てて肥前さんの口元に自身の耳を寄せる。その動作に少しだけ身じろぎしつつも、肥前さんはもう1度「どの色が良いと思う」と意見を求めてくれた。

「わた、私ですか」
「他に誰がいんだよ」
「ええっと……そうですね……」

 光のない目は少しだけ怖い。その目が私を見てくれないことが余計に怖いけど、こうして声をかけてくれたことの方が何倍も嬉しい。怖さと嬉しさを同居させながら、目の前の陳列棚に視線を駆け巡らせる。多分、誰よりも1番私がこの陳列棚を見ている。だから正直言って、視線を走らせなくてもどこに自分のお気に入りがあるかは知っている。私の、1番好きな色――。

「コレですね」
「あ? 血の色じゃねぇか」
「血……。この色、朱殷っていうんですけど、私は明るすぎなくて好きなんです」
「……へぇ」

 私が手に取った商品を見るなり、肥前さんが鼻白む。加えて短めの舌打ちを鳴らしたかと思えば、肥前さんは何も商品を買うことなく退店してしまった。その背中を見送ってカウンターに戻った頃、私の顔は真っ青になっていた。……やっってしまっった。自分の好きな色を言ったのがマズかったか。いやでも訊かれたから。だから素直に落ち着いた赤色が好きだと言った。仕入れる時も1番に目が行った色だし、現物を見た時も“やっぱり1番好きだ”って思った色。だから毎回、肥前さんがお店に来る度“好きな色だなぁ”って思って…………あ。

「私、遠回しに“好きです”って言った!?」
「は?」
「肥前さんとおんなじ色した石を“1番好き”って言ったんだよ? コレって告白じゃん?? そりゃ肥前さんもドン引きだわ」
「告白したんか?」
「してないけど。決してそんなつもりではなかったけど……ど?」
「ど?」

 そんなつもりではない――って、本当に言える? 私がこの色を好きだって思うようになったきっかけはなんだ。原点に戻ったら、そこには肥前さんが居るんじゃないか――? 甦る記憶。そこに居るのは、あの日、無謀ともいえる量の荷物を腕に抱えて店内を歩き、案の定バランスを崩した私をそっと支えてくれた肥前さんだ。あの日から私は、肥前さんのことを意識していたんじゃないか? どうなんだ自分。

「好きじゃん。うわ、待って。好きじゃん」
「え、怖い怖い」
「いや違う。暗い赤は誰でも身に付ける色。現にアナタもほら。ネクタイ、ボルドー」
「良い色だろ? 彼女の贈り物」
「ね? ボルドーボルドー……わーだめ。無理やばい、肥前さんでいっぱい」
「お前……休憩行く? いやてか行って?」

 レッドカードを出されてしまった。正直ありがたい。一旦落ち着きたい。意識したら途端に自分がどれだけ毎日肥前さんの来店を心待ちにしてたかを自覚してしまった。今私、顔真っ赤だ。なんでこんなになるまで気付かなかったんだろう。あほか私は。バカだな私は。
 結局、休憩時間のほとんどを自身の中で立派に育っていた恋の木を見上げることに費やし、そのまま見上げるだけで終わらせてしまった。おかげでお昼を食べ損ねてしまったけど、私は今仕事中だ。この場に居る間はお金が発生している。ならば自身の感情にいつまでも振り回されてはならない。しっかりしろ。

「ッシャアァ!」

 頬をバチーン! と叩き、気合いを入れてお店へと戻る。同僚が私の頬を見るなりニヤニヤとした顔を向けてきたので、完璧な営業スマイルで躱してやった。なんでお前は今日に限ってボルドーのネクタイなんか結わえてんだこの野郎。良い色だな!

「ちょっとごめん。やっぱそのネクタイ外してくんない?」
「オッケー。色気たっぷりに外すから見てて」
「やっぱ良いわ。そのままキツく締めあげといて」
「ノったらノったで“違うだろ”みたいな反応するの、やめてくんない?」

 うるさい、仕事しろ仕事。そうやって仕事に打ち込んで、一旦肥前さんのことを記憶の隅にやらないと、今日は働けそうもない。……え、てか。明日から私肥前さんとどうやって接すれば良い? というか明日も来てくれる? あんなことがあったのに?

「ダイジョブだって! 心配すんな!」
「ハァ?」
「……ッス」

 何を根拠に――そう詰め寄りたかったけど、どうにか堪えて目の前の仕事に集中する。今は考えない。何度もそうやって必死に念じているのに、私の視線はどうしたって肥前さんとやり取りしたあの陳列棚に向いてしまうのだった。



「うー……」

 仕事中はどうにかモードを切り替えられたけど、仕事が終わった途端ダメだった。いつもだったらそそくさ帰るのに、今日はもう歩きたくもない。同僚はそんな私を置いて愛しの彼女が待つ家に帰っちゃうし、パァっと飲み行くなんて気力も湧かない。重たい足取りは数歩と続かず、気が付けばあの日肥前さんと目が合ったベンチに腰掛けていた。無意識のうちに肥前さんと思い出のある場所に居るとか。だいぶ重症だな。

「お弁当食べよう」

 何も口にしてないのがダメなのかもしれない。トートバッグに入れていたお弁当を取り出し、膝の上に乗せる。梅干し……赤……肥前さん……さすがにこれは無理があるか。梅干しといえば日向くんだろう。
 肥前さん、明日も来てくれるかな。私のこと嫌いになったかな。もう顔も見たくないのかな。……なんであんな不機嫌になったんだろう。どうせ嫌われるのなら、理由が知りたかったな。

「肥前さん、」
「ンだよ」
「っ!?」

 地面に向かって溢した名前は、沈むことなく宙を舞いそのまま吸い取られた。驚き見上げれば、そこには今日1日焦がれた男士が居て、思わぬ展開に喉が渋滞してしまった。なんでここに――なんで私に声をかけたの――尋ねる前にご飯を流し込まないと。やることが降って湧いたせいで誤嚥してしまい、一気に息苦しくなる。こみ上がる咳を胸を叩いて抑え、どうにかご飯を飲み込むと、そこから少し間を置いて肥前さんがポツリと「悪ぃ」と謝ってきた。

「い、いえっ! こちらこそ……その、すみません、」
「隣良いか」
「は、ハイッ」

 ベンチの端に寄ろうとするよりも先、肥前さんがドカッと隣に腰掛けた。そのせいで私の体はカチコチに固まってしまう。昼間から今に至るまで、一体何が起こってる? もしかして、今まで喋らなかった分の清算をしようとしてる? それは嫌かも。

「あんた、見かけによらず大食らいだよな」
「エッ」
「この間も今も。でっけぇ口開けて食ってた」
「……わっ。す、すみません……」

 この間のこと、やっぱり覚えてた――! というか今も大口開けて食べてた? まじか、それは無意識だった。2回も見られてたの、恥ずかしすぎない? もっと小鳥がパンを啄むみたいに、慎ましやかに食べる意識を付けよう。もう遅いか。

「なんで謝んだよ。おれは見てて気持ち良いぜ」
「マジですか? お世辞じゃなく?」
「あ? なんで世辞言わなきゃなんねーだよ」
「ですよねすみません」

 さっきから私、謝ってばっかりだ。本当に謝りたいのは昼間のことだけど、どういう切り口で話したら良いかが分からない。というか、用があるのは肥前さんの方だろう。じゃないと仕事終わりの私にこうして声をかけたりなんかしない。

「おい」
「はいっ」
「確認してぇことがある。……が、メシ食ってからで良い」
「あ、や。大丈夫です。そんなにお腹空いてないですし」
「腹減ってない……だと?」

 肥前さんの暗い瞳があそこまで揺れたの、初めて見たかもしれない。そんなことに新鮮味を感じて嬉しくもなるけど、今はそこじゃない。話を戻す為に「ええっと、ご用件は……」と尋ねれば、肥前さんの表情が再び無に戻る。

「アイツとは付き合ってんのか」
「アイツ……とは」
「いっつも一緒に働いてんだろーが」

 肥前さんの言葉から察するに、万屋の同僚のことだろう。いつも一緒に働いてるのは、単純にシフトの絡みだ。別に意図して合わせてるわけじゃない。まぁ、他の人よりもペアになる機会が多いのも事実だけど。断じて恋愛感情はない。抱いたことだってただの1度もない。

「付き合ってないです」
「……そうか」

 私の返事を聞いた肥前さんが、ふっと息を吐く。それが何かしらの決意をしたようにも見えて、少し引っかかる。でも、今は肥前さんがあらぬ誤解をしないように弁明する方が先だ。

「嫌いってわけじゃないですけど、アイツと世界で2人きりになったら、それぞれで文明作ると思います」
「はっ。んだそれ」
「多分、向こうもそう答えると思いますよ。アイツ彼女一筋なんで」
「じゃあ……付き合ってるわけでも、好きっつうわけでもねーのか」
「人間としては好きですけど、恋愛としての好きは違います」

 アイツに抱く感情と、肥前さんに抱く感情はまったく違う。肥前さんに対する私の想いはもっと深くて、もしかしたらピンクとかそんな淡くて可愛い色じゃないかもしれない。いつの間にか、それくらい深い色で心を彩っていた。私が肥前さんに“1番好き”と言ったあの色くらい、深い朱だ。

「……ん」
「え?」

 思い出していたブレスレットが目の前で揺れた。細めのチェーンにさりげなく揺れる石は、間違いなくあの時私が選んだ色だ。突然現れたブレスレットに驚いていると、肥前さんが「やる」とそれを押し付けてきた。

「これ、どうして……」
「好きなんだろ、その色」
「はい。好きです」
「だから。やる」
「なんでですか……?」

 本当に理由が分からなくて、考える前に疑問が口から出てしまった。その問いを向けられた肥前さんは「別になんでもいーだろ! それを渡したかっただけだ!」とつっけんどんな態度をとってベンチから立ち上がる。
 肥前さんは、あまり会話をしたがらない男士だ。それは分かっている。だけど肥前さんの方から声をかけてきたんだ。ちょっとくらい引き留めたって良いだろう。

「ま、待って!」
「……っ、」

 パーカーの裾をくいっと引っ張ると、肥前さんは思ったより素直に立ち止まってくれた。その反応を受けてパーカーを引っ張る手に力をこめれば、その力の流れ通りベンチに腰を据える肥前さん。……耳、赤い気がする。

「どうして私に、コレをくれるんですか?」
「いちいち説明しねぇと分かんねーのかよ」
「説明して欲しいです。……自惚れそうなので」

 小さく呟いた声は、肥前さんの耳にも届いたらしい。その声を受け取った肥前さんは、自身の顔に手を押し当てながら「自惚れていんだよ。クソッ」と私以上に小さい声で吐き捨てた。……う、れしい。凄く。だけど、どうして私にくれるのかって部分を訊きたいと思ってしまうのは、欲張りだろうか。その度合いを推し測る為に黙っていると、肥前さんが押し当てた手の間からチラリと視線を這わせてきた。

「あんたの笑ってる顔、可愛いと思う」
「あ、ありがとうございます」
「誰に対しても丁寧なところもすげぇなって思う」
「それは……ただ仕事をこなしてるだけで」
「真面目に仕事するところも。一生懸命なとこも。全部、良いなと思ってた」
「そうだったん、ですか」
「でも何より」

 肥前さんって、こんなにも真っ直ぐな男士だったのか。思っていたよりも真っ直ぐ想われていた事実に、浮き立つ気持ちを抑えることで必死だというのに。肥前さんは更に「おれに笑いかけてくれる顔が、堪らなく好きだ」と斬り込んできた。しかも顔に当てていた手を退けて、真っ正面から。……あ、まずい。今私、完全に心を鷲掴みにされちゃった。

「ありがとうございます。……嬉しいです、すごく」
「おれも、自惚れて良いか」
「……?」

 肥前さんの言葉に首を傾げると、肥前さんの顔がゆるりと歪む。その顔を見て固唾を呑む音が私の喉から響いた後、肥前さんが「この色が好きっつったのは、おれの色だからか」とほぼ言い切りの言葉を放った。

「……はい。私も肥前さんのこと、堪らなく好きです」

 そんな勝利を確信した顔で言われたらもう……認めるしかないでしょう。

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