午前2時に送る 次の朝への信号

「おかえり」
「陸奥くん。まだ起きてたんだ? ただいま」

 夜更けに戻る自本丸。あまり大きな音を立てないようにそろりと忍び足で歩いていたにも関わらず、陸奥くんにすぐさま見つかってしまい少し気恥ずかしさが込み上げてくる。

「またあいたもあっちの本丸に顔出すがか?」
「うん。やっぱり任されてる以上はしっかり運営したいし」
「なるほどのぉ」

 陸奥くんの声がひそめられている。それは皆が寝静まった深夜だから潜められているのと、陸奥くん自身の感情からくる声色の顰めの2つを意味する。後者は私に対して良い感情を抱いていないからだと思い、後ろをついてくるようにして歩く陸奥くんにそうっと視線を寄越す。

「主が居らん間に起こったこと、報告するき。はよう部屋に行くぜよ」
「あ、うん。留守中の運営、助かってます。ありがとう」

 審神者部屋が近付いてきた辺りで立ち位置が入れ替わり、私より先に部屋に辿り着いた陸奥くんが障子を開き部屋の明かりを灯す。なんだかそれが妙に手慣れていて、私が居ない間もこの部屋は陸奥くんによって維持されていたんだなと思う。ほこりや湿っぽさを感じないのがその証拠だ。そのことにありがたいやら、申し訳ないやら。……なんというか。

「とりあえず、今日分の報告書はここにあるき」
「目を通しておきます。また明日あっちの本丸に行く前には指令書を渡すね」
「……いつまであっちの本丸に顔出さんといかんがかえ」

 書類に落としていた視線を上げる。その先には胡座をかいて頬杖を付く陸奥くんの姿。持ち上げられた頬のせいか、どうにも不機嫌そうに見える。というか、不機嫌だ。一体どうしたんだろう。さっきからどうも陸奥くんの様子がいつもと違う。陸奥くんは嬉しいとか楽しいとか、そういう陽の感情は全面に出すけど、代わりに負の感情は滅多に見せない。そういう男士だと長い時を一緒に過ごす中で認識していたんだけど。こんなにも不機嫌さを隠さないなんて珍しい。珍し過ぎる。

「陸奥くん……? 私、何かしでかしちゃった?」
「別に。おんしゃはなんも悪くないぜよ」
「えっ?」
「ただ、」

 ただ、のあと。陸奥くんは唇を突き出し「そん本丸の主が長期で来られんき、うちの主を代理で主にするがやなんて。政府は何を考えちゅうがよ」と不機嫌の原因である不満を吐き出した。

「まぁそこは……私だって長期で留守しちゃうことあるかもだし、そうなったら本丸のこと心配になるから、お互い様だよ」
「それならそれで、そん本丸に居る男士らぁでうまいことやればえいやないか」
「でもさ、やっぱり“主”は要ると思うんだ。男士たちとは違う存在っていうか、なんていうか……主が」

 その本丸の主がどうしてもの都合で長期に亘って本丸を留守にしないといけないと事情を説明されたのは、数週間前のこと。顕現している男士や審神者としての経験値、戦い方が似ている私にその間“代わりの主”として白羽の矢が立ったのだ。政府からお願いされた時、私みたいな人間が2つの本丸の運営なんてうまくやれるだろうかと不安になった。だけど、今陸奥くんに言ったみたいにそれは私にも起こり得ることだし、その場合、出来るなら誰か任せられる人に頼りたいとも思った。そして、その“任せられる人”に選んでもらえたことは正直嬉しかったし、それに。

「陸奥くんが近侍だから」
「ん?」
「私の近侍は陸奥くんだから、だから大丈夫だって思えたんだよ」
「わしか?」

 この会話で自身の名が挙がると思ってなかったのか、頬杖を崩し顔を突き出す陸奥くん。両側にそれぞれピンと跳ねた髪の毛が耳のように立っている。それがなんだか聞き耳を立てる犬みたいに見えて可愛らしい。その様子を心の中で笑い、陸奥くんの名前を出した理由を口にする。

「政府に別の本丸の運営を頼まれた時、私も不安だった」
「それでも政府の命令やき、断れんろう。政府もそれを分かった上で言ってきちゅうがよ」
「それはそうかもだね。でも、私は自分の意志で受けた」
「おんしゃの意志?」
「うん。別の本丸の運営をするってなると、この本丸を留守がちにしちゃうわけで。でも近侍を務めてくれる陸奥くんや、他の男士たちなら留守の間も任せられるなって思えたから」

 その信頼通り、私の本丸は留守の間も大きな問題もなくうまくいっている。だから私は安心して別の本丸へと向かうことが出来るのだ。

「さっきこの部屋に入った時、私が居ない間も陸奥くんがこの部屋で頑張ってくれてるってことが分かってすごく嬉しかった」
「……そりゃあ。任された以上は、きちんとやらんといかんきにゃあ」
「ふふっ。私とおんなじだね」

 そう言って笑うと、陸奥くんはまだ少し不満が残る表情を浮かべながら視線を逸らす。まだこれだけでは陸奥くんの不満を解消するには至らないらしい。

「……あいたも早いがやろ? こんな遅くまで付き合わせてごめんちや」
「待って。もうちょっと話そう?」
「でも、」
「昼間居られない分、この本丸のことを知りたいし、陸奥くんとももっと話したい」

 陸奥くんの口はまだへの字のまま。「あ、でも。明日出来たら起こしてもらえると嬉しい、です」と密やかに告げるとようやく「ふはっ」と抜け落ちる笑い声。そのまま陸奥くんが「分かった」と私の前に座りなおすので、私の顔にも微笑みが浮かぶ。

「大体、それも気に喰わん」
「それ?」
「これじゃ、これ」
「これ?」

 それ、これ、と言う陸奥くんの言葉がいまいち分からずおうむ返しする。陸奥くんは頭をガシガシと掻きながら「主がこん本丸に居らん間、別の本丸のヤツらぁは主と一緒に居るがやろ?」と再び不満そうな顔つきになる。なるほど、昼間に話せない皺寄せが夜に来ていることに陸奥くんは不満を覚えているということか。こればかりは私が付き合いを願いでたことなので申し訳が立たない。

「ごめんね、付き合わせちゃって」
「別におんしゃを責めちゅうわけやない。けんど、」
「ん?」
「おんしゃが言うように、そん本丸の主もそこに居る男士を頼ればえいがやないか」
「頼ってはいると思うよ。あっちの本丸に居ると、主さんとの信頼関係がちゃんと築けてるってひしひしと伝わってくるから」
「やったら、さっきわしが言うたように男士だけでも充分やれるろう」

 なんだか陸奥くんが駄々を捏ねているように思える。陸奥くんの言いたいことも分かるけど、その言葉にはさっき答えを返している。それに、歯抜けの留守と長期留守とでは意味合いが違う。そこは言及するまでもないはずだけど。

「色々背負わせちゃってるみたいだね。ほんと、ごめんなさい」
「わしの方こそすまん。こんな駄々にこんな時間まで主を付き合わせてしもうて」
「そんなことないよ。こうやって話せるの、私はすごく嬉しいし、疲れを癒してもらえてる。それに、また明日も頑張ろって思える」

 あ、少し陸奥くんの顔が柔らかくなった。緩くあげられた口角から零れる声は「それはわしもじゃ」とどこか嬉しそう。やっぱり、陸奥くんにはこういう陽の空気が似合う。

「すまん! わし、幼子に戻ってしもうた」
「えっ?」
「正直言うと、“おんしゃはわしらだけの主やないか”ち少し拗ねちょった」
「す、拗ね……」

 陸奥くんから感じる不満の正体は“拗ね”だった。まさかの正体に脱力感が沸き起こる。少し放心状態となった私に陸奥くんが再び気まずそうに頭を掻き、「こんなことに遅くまで付き合わせてごめんちや」ともう1度謝る陸奥くん。その姿を見ていると今度は笑いが込み上がってくる。

「ふふっ、あははっ」
「主? どういたが?」
「あはは、ごめん。陸奥くんが可愛くて、つい」
「か、かわっ……。なんじゃあ、あんまり嬉しくないのぉ」
「ごめんごめん。失礼しました」

 夜中なので笑い声をあげ続けるわけにもいかず、自制心を働かせ状態を整え仕上げに小さな咳払いをしてから陸奥くんと向き合う。

「私の不在を寂しがってくれる男士の為にも。任された仕事をきちんとやって、胸を張って帰って来るね。私の本丸に」
「……なるべくはよう帰っとうせ」

 やけに素直になった陸奥くんをくすくす笑おうとするより先、「そうやないとおんしゃのこと、忘れるかもしれんき」と先手を打たれ思わず「それは寂しい!」と口走れば陸奥くんの顔はにやりと悪戯に歪む。……なんだか仕返しされた気分だ。

「忘れられちゃったら帰るところなくなっちゃう」
「大丈夫。そんときはわしが迎えに行っちゃる」
「ええ? 何それ。……ふふっ、じゃあ、その時は頼らせてもらうね」
「おう! 任せとき!」

 ほら、やっぱり。私の本丸に居る男士はこんなにも頼もしい。

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