時を進む

夢主の死描写あります


 じじい、じじいと戯言のように言ってきたが、こういう場面に出くわす時ばかりはそう長く歳を重ねるものではないなと三日月は強く思った。年齢など、付喪神である三日月には大して関りのあるものではないことも重々分かってはいるが、それでも。目の前で今際の際を迎える我が主を見ると、どうしても思わずにはいられなかった。

「俺の主は、どうして100年程度の長さを生きられないのだ」
「ふふっ。三日月さん、人間が100年生きることはとてもすごいことなんですよ」
「……たかが1世紀程度だろう」
「あはは。……それ、三日月さんだから言える言葉ですね」

 空咳のような笑い声と共に、掠れた声で「羨ましい」と紡がれた言葉。その掠れの中になまえの切実な思いが込められているのが分かり、三日月はふと目線をなまえが横たわっている布団に落とした。……代われるものならば。与えてあげられるものならば。いくらでもこの身を差し出せる。この命を分け与えてあげる。その気持ちだけでは、どうしようもない。神であれど、己はなんと無力なのだろうと自身を心の中で呪う。
 神などと名乗っているくせに、我が主に宿る病魔を祓うことすら出来ないのだ。俺はなまくらと大差ないではないか――。ゆったりとした笑みを絶やさないよう意識しつつ、心の中をどろどろとした気持ちに支配させているとなまえが「三日月さん」と名前を呼ぶ。

「もうこの本丸には、三日月さんだけになってしまいましたね」
「はっはっ。そうだな。俺は、行き遅れてしまったよ」
「そんなこと言わないでくださいよ。三日月さんにはまだ他の本丸でも活躍してもらわないとなんですから」
「……だが主よ。俺は主に顕現されたのだ。その主亡き後、俺は誰に仕えれば良いのだ」

 この人ならばと彼女の呼ぶ声に反応した。そうして肉体を与えてもらい、なまえの傍で同じ時を過ごし、いつしかその時を“幸せ”と呼ぶのだと思うようになっていたというのに。その幸せをこんな形で手放すことになるだなんて。……時間遡行軍がこの世から消えないのは、俺のような考えを持つ者が多く居るからなのだろうか。そんなことを三日月はふと思う。

「このままでは俺は時間遡行軍に身を堕としてしまうかもしれんな」
「やだ……やめてくださいよ……。冗談でも嫌です」
「はっはっ。悪い悪い」
「まったくもう……そんなこと言われたら死んでも死にきれません」
「なんと。それでは何度でも口にしようか」
「三日月さんっ……ゲホッ」

 息を呑み、怒りを露わにしようとしたなまえ。その動作は咳によって打ち止められ、呼吸すらも奪われてしまう。そのことに三日月は焦燥を浮かべなまえの腕に手を添える。……もう、このような冗談でさえ言い合えないのか――そんな絶望を抱えながら、三日月はまた1つ涙を呑み込む。

「私と同じような志を持つ審神者様が、きっとどこかに居ます。ですから三日月さん、どうかその方の手助けをお願いします。ここに居た、他の刀剣男士の皆さんのように」
「しかし……主はこの世に1人ではないか」
「それは……そうですが。でも私ではもう、三日月さんに力を与えることは出来ません」
「では俺はそれで良い。俺を顕現するのは主だけで良いのだ」
「困りましたね……。三日月さんがやけに子供に見えます」

 事実、三日月は駄々を捏ねていた。どうしようない現実を前に、三日月が出来ることはもはやそれしかなかった。それが、なまえをひどく困らせることだとしても。そうして縋ることしか、三日月にはもう出来なかった。それでもなまえはその駄々を柔らかく受け止め、その顔にほんのりと嬉しさを滲ませ笑う。

「……俺はまだ子供だ」
「ふふっ。じゃあ、これからもっとたくさんのことを学んで、立派な刀剣男士になってください」
「主……」
「私が知らない世界を、その綺麗な瞳にこれからたくさん映してください」
「どうして主はそのようなことばかり口にするのだ」
「私の分も、お願いします」

 目を閉じながら願われてしまい、三日月はついに余裕という嘘を繕えなくなってしまった。今この顔をなまえに見られていないことだけが唯一の救いだと思い、ぎゅうっと唇を強く噛み締める。そうしてどうにか震える声に芯を通しつつ「今日は主がやけに意地悪に見えるな」と軽口を放つ。

「そうですか? きちんとお願いしているつもりなんですが。……おかしいですね」
「俺は、いずれは主の今際の際に立ち会う覚悟はしている。しかしそれがこんな早い時に来るなんて、一体誰が想像出来る。あまりにも……意地悪ではないか」
「……それは、意地悪などではありません。これが歴史なのです」

 これが歴史――そう強く言い放つなまえに、三日月はついになまえに自身のぐしゃりと歪む顔を見せてしまった。どうして我が主は己の死をこのように強く受け止められるのだろうか。どうして、歴史に抗おうとしないのだろうか。一体、どうして――。

「では、私は先に黄泉の国で待っております。そして、いつか三日月さんが同じ世界に来られた時、私の名前を呼んで捕まえてください」
「主の名を……?」
「はい。次は三日月さんが私を顕現する番です」

 ね? と首を傾げ笑うなまえを見た瞬間、三日月はどうして己が彼女を我が主として選んだのかを思い知った。……彼女は誰よりも、立派な審神者なのだ。そして自身はその審神者と共に生きた刀剣男士。ならば――。

「だが俺はじじいとはいえ、もっともっと生きるぞ」
「ふふっ、大丈夫です。のんびり待ってます」
「そうか。……あい分かった。では我が主よ、本当の名を教えてくれないか」

 みょうじなまえととても綺麗で美しい名前を聞いた時、三日月はこの名前をこの先一生忘れまいと自身の心に刻む。そうして1度だけ「みょうじなまえ」と呟けば、なまえはとても嬉しそうに、ほんのりと頬を染めて微笑んだ。

「ねぇ、三日月さん。月が出ていますよ」
「そうだな。……今宵の月は、とても綺麗だな」
「……私、今なら死んでも良いです」

 縁起でもないことを言うなと言いたかったが、その言葉を三日月が口にすることはなかった。

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