幸せを受け入れる

 2205年。数百年前に比べると様々なものがアップグレードされ、今では過去に飛び歴史を守る職まで出来た。その職業に就く人間のことを審神者と呼び、審神者は刀から刀剣男士を顕現し共に時間遡行軍から歴史を守る。……つまり、私の職業だ。

「分かるよ。分かるけど、母さんとしてはやっぱり人間の幸せを味わってもらいたいわけよ」

 母曰く。人間の幸せというのは、人間同士で恋をして愛を育むということらしい。もちろんそれは古くから営まれてきたものだし、今でも続いている。だからこそ、2205年現在も人間は絶滅せずにいるわけだし。それ自体を否定するつもりも、否定したこともない。ただ私は、審神者という職が大好きだし誇りを持っている。だから本丸に入り浸る生活に苦も感じてなどいない。……つまるところ、母親の親心からくる言葉なのだろう。



「大丈夫かい? 小鳥」
「あ、すみません。……ちょっと考え事してました」
「随分と浮かない顔をしていたが、悩み事だろうか」
「まぁ……親心について、少し」
「ふむ。親心、か」

 時の政府主催の会議からの帰り道。近侍として一緒に会議に参加してくれていた山鳥毛さんから声をかけられ、ふと立ち止まる。顔に出る程悩みの種になってしまっているのだと自覚し、自身の口から意図せず溜息まで零れ落ちてしまった。その溜息を聞いた山鳥毛さんが表情を緩め、「小鳥。あそこの茶屋で少し休憩しよう」と気遣いの言葉をかけてくれた。その言葉に申し訳なさを感じつつも、今はその言葉に甘えたくて、「すみません」という言葉と共に寄り道を選んだ。



「お見合いか」
「母の言うことも分かるんですよ。これでも一応私も皆さんを預かる立場ですし」
「そうだな。本丸で若鳥と触れ合っている小鳥はまるで母鳥のようだ」
「えへへ。短刀ちゃんたちだけじゃなく皆さんのことは大事にしたいですし、刀剣男士として顕現したからにはちゃんと幸せな生活を送って欲しいんです」
「あぁ。その気持ちは充分伝わっている」
「ありがとうございます。……この気持ちって、所謂親心と同じものじゃないですか」

 だから、母親の気持ちも分かる。だけど、こんな気持ちのままお見合いをするというのは踏ん切りが付かないというか。相手にも申し訳ないと思う。だから悩みの種として私の中に根付き、脳内の大部分を占めているわけだけれども。……というか、こんな話をいくら山鳥毛さんだからといって自身が顕現した男士に話すなんて。

「すみません、山鳥毛さんにするような話じゃないですよね……」
「気にするな。私が話すよう誘導したようなものだから」

 山鳥毛さんは手元にあったコーヒーカップを持ち上げゆっくりと口に付ける。そうしてカップを口から離すと同時「小鳥がこの見合い話に気持ちが付いていかないのは、どうしてかな?」と悩みの根幹を尋ねられる。

「審神者という仕事が大好きだからというのもあるんですけど。多分、1番は誰かと結婚して、家庭を築く覚悟が出来てないんだと思います」
「覚悟か」
「結婚って、私だけが幸せになるんじゃなくて相手のことも幸せにするものじゃないですか。私にはそれだけの気持ちを誰かに向ける覚悟がまだ出来てないと言いますか」
「なるほど。……しかし、小鳥。本当にその気持ちを誰かに向けることが出来ないと思うかい?」
「えっ?」

 山鳥毛さんの新たな問いかけに息を呑む。誰かに向けることが出来ないからこそ見合い話に尻込みしている、という話ではないのか。山鳥毛さんの意図が汲めず、困惑の色を乗せ視線を返すと燃えるような瞳で出迎えられる。

「審神者と刀剣男士が恋仲になることは、禁じられているわけではないのだろう?」
「そ、それは……そう、ですね。はい……」

 山鳥毛さんの問いにドキリと心臓が高鳴るのは、山鳥毛さんの瞳が確信的なものだからだろうか。その視線から逃れるように私もコーヒーカップを手に取るも、心なしかその手が震えている気がする。

「小鳥が私たちに満遍なく愛情を注いでくれているのは分かる。ただ、初期刀の彼に向けるものは少し色が違うのではないか?」
「…………陸奥守さんは、仰るように初期刀です。だから、その……やっぱり特別は特別です。でも、」
「でも?」

 でも、のあと。私は何を続けたいのだろう。脳内に浮かぶ言葉のうち、どの言葉が私の真実だろうか。それが分からなくて――いや、分かろうとするのが怖いのだ。そのことに恐怖を抱く自分が嫌で、そういう自分が居ることを認めたくなくて、“気持ちが乗らない”“相手に失礼”などという言葉で偽っている。

「私は、どうすれば良いんでしょうね」
「ひとまず、見合い相手と顔合わせだけでもしてみたらどうだい? 見合いをしたからといって、必ずしもその相手と添い遂げなければいけないなどという縛りはないだろう」
「そうです、ね……。確かに、山鳥毛さんの言葉も一理ありますね」

 現状で悩んでいるのであれば、ひとまずどこかに1歩だけでも足を踏み出す。そうすることで見える何かもあるかもしれない。そういう思いに至れたことに礼を告げると、「小鳥にとって、最善の答えが見つかると良いな」と微笑んでくれる山鳥毛さん。その瞳はゆらゆらと温かい炎を宿していて、やっぱり山鳥毛さんは一家の長として立派な男士だと痛感するのだった。



「主!!」
「えっ!? む、陸奥守さんっ!?」

 母親に見合いを受けると告げようと思っていた時。突然自宅に陸奥守さんが現れ、その場に居た両親と共に私も口をあんぐりと開け陸奥守さんを見つめる。……え、なんで陸奥守さんがここに……。私の指示なく勝手に時間を超えるなんてこと、今まで1度もしなかったのに。……まさか――。

「本丸に敵襲でも、」
「いかん!」
「へっ?」
「誰かのもんになったらいかん」
「ん? え?」

 状況が呑み込めず、ずっと首を傾げる私に向かって陸奥守さんはなおも「わしはここまでされんと腹を括れんアホじゃ」と何かに悔いる言葉を告げてくる。とにかく、本丸が襲われたとかそういう類ではないらしい。そのことに安堵しつつ、「ひとまず座りましょう」と声をかける。正直、陸奥守さんから突撃されてみょうじ家は混乱状態だ。

「主の……なまえの親御さんかえ」
「あ、えっと私の父と母です」
「陸奥守吉行と申します。わしは見ての通りなまえから顕現された刀剣男士じゃ。元は刀。人間じゃない」
「む、陸奥守さん……?」

 座りましょうと言った言葉と同時、その場に正座し私の両親と向き合う陸奥守さん。対する両親も流れに従うように正座し、その間に私1人が立っておろおろするというなんとも不思議な状況が成立している。……一体、なんなんだ。これは。

「刀と人間が恋をすること自体はよくあることぜよ」
「……っ、」

 陸奥守さんから出た言葉に新たな動揺が走る。……まさか。もしかして……。

「そやけど、刀では人間の幸せを顕現することがどうしても出来ん。そして、なまえのご両親がなまえには人間としての幸せを望んじゅうことはなんとなく気付いちょった」
「陸奥守さん……、陸奥守さん……」

 陸奥守さんの傍にへたりこむように座り、その肩口を掴む。今、彼がこの場に現れこうして私の親に向き合っている。それだけで彼がどれだけの覚悟を持っているのかが分かり、私の瞳に大粒の涙が浮かぶ。……私は、逃げることしか出来なかった。どこに踏み出したら良いのか分からない、だから、どこかに1歩を踏み出そう――だなんて。あの時はそう思い込もうとしたけれど、あんなのは誤魔化しだった。どこに踏み出したいか――そんなのはとっくに分かっていた。分かっていたのにその道を選ぶことに怖気づいた。
 そんな弱い気持ちを山鳥毛さんは優しく受け入れてくれたのだと今なら分かる。そして、私の背中を押すように陸奥守さんの背中も押してくれたのだということも。

「わしの気持ちは、こんまま一生墓場まで持って行くつもりじゃった。けんど、主が誰かのもんになるかもしれんち聞いた瞬間、我慢出来んかった」

 堪え性がない刀じゃな、わしは――そう言って眉を下げて困ったように笑う陸奥守さん。私にはその笑みすらも嬉しいものに映ってしまい、私も堪えきれずポロリと涙を溢してしまった。


「……ありがとうございます」
「すまん主。わしは主が好きじゃ。誰かの嫁になるのは耐え切れん」
「私も……陸奥守さんのことが好きです……」
「いきなり来てこがなこと言うがは失礼じゃち分かっちう。けんど、分かった上でお願いしたい。……わしに主と――なまえと一緒に過ごす権利をください」
「お願いします。私は陸奥守さんと一緒に生きていきたいです」

 陸奥守さんと共に頭を下げる。少しの間沈黙が流れ、自分の心臓の音だけがひどく鳴り響く。その沈黙を破ったのは「それがなまえの幸せなのね」という母親の柔らかい声。その声に顔をあげると、2人とも思ったより朗らかな表情を浮かべていて思わず拍子抜けしてしまった。

「人間の幸せを味わって欲しいって思ってるのも本音。だけど、それ以上になまえの幸せを考えてくれる人――男士が居るというのは何にも代えがたい幸せよね」
「……うん! 私、陸奥守さんと一緒に幸せになりたい」
「……分かった。子供が望む幸せを応援したいって思うのも親心だから」
「ありがとうございます」

 もう1度陸奥守さんと一緒に頭を下げ、顔を横に向け見つめ合う。そうして微笑み合いながら体を起こすと、陸奥守さんが「わしと一緒に、生きとうせ」とこの上ない願いを口にしてくれるから。

「……はい! 喜んで」

 私はもう、この幸せから逃げはしない。

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