夜明けを待つ

 普段からじっとしていることが苦手な陸奥守さんは、いつも真っ先に行動をしてみんなを牽引してくれる頼もしい存在ではある。……ただ、時には休息も必要だ。
 明らかに疲労の見える顔で嬉々として遠征に行こうとしているのを見た時、私はついに「1日安静」の主命を陸奥守さんに突き付けた。

「拗ねてないと良いけど」

 1日の仕事を終え、様子を窺おうと陸奥守さんの部屋へと足を向ける。陸奥守さんのことだから、きっと退屈でたまらなかった! と唇を尖らせているだろう。そんな彼に、今日1日どんなことがあったかと伝えれば、陸奥守さんはパッと表情を明るくさせそれを楽しそうに聞いてくれるだろう――そう、予測を立てながら陸奥守さんのもとへ夕食を届けに行けば。

「む、陸奥守さんっ!?」
「……見つかってしもうた」
「ちょっ、な、何やってるんですか!」

 夜食を乗せていたお盆を縁側に置き、慌てて庭に居る陸奥守さんに駆け寄ると、陸奥守さんは気まずそうに頬を掻き視線を私から逸らした。あれだけ主命として絶対安静を言い渡したはずなのに。どうして彼は木刀を使って素振りなんてしているのだろうか。

「すまん」
「…………絶対安静と、言ったはずです」
「そうなんじゃけんど……いつまでも寝ちうだけいうがもつまらんき、その……ごめんちや……」

 しゅんと項垂れ、自分がいけないことをしていたという自覚があるということが伝わってくる。あれだけ言ったのに……と思う気持ちもあるけど、陸奥守さんの性格を考えると確かにじっとしておくことは難しいのだろうとも思い至る。少しの間陸奥守さんをじぃっと見つめたあと、まぁ元気で居てくれるのが1番かと思い直すことにした。

「まぁ、それだけ体力が戻ったのなら一安心ですけど」

 私の雰囲気が緩んだのを察した陸奥守さんが、少しホッとした表情を浮かべながら「あいたからまた百万馬力ぜよ!」と笑う。その様子に思わず吹き出したところで夜食を持っていたことを思い出し、陸奥守さんにそれを伝える。そうすれば陸奥守さんはさっきまでの萎んでいた雰囲気を吹き飛ばし、「ほんまかえ!」と垂涎気味に問うてくるから、その切り替えの早さにも思わず吹き出してしまう。

「きつねつきみうどんを作ってきました」
「きつね、つきみ……はっはっ。なんじゃあ、そりゃまたえいもん全部乗せじゃな」
「伸びてないと良いんですけど……。すみません、早くお出しすべきでした」
「かまんかまん! 美味いもんは冷めても伸びてもうまいき!」
「へへっ。実はこれ、お湯を注ぐだけなんです」
「お湯を注ぐだけ?」
「万屋でたまに売ってるんです。カップ麺」
「かっぷめん言うがか。へぇ」

 きつねつきみうどんを興味深そうに見つめ、それをペロリと平らげたあと、今日はどんなことがあったかと本丸の様子を尋ねてくる陸奥守さん。その言葉に応えるように今日の出来事を余さず伝えれば、やっぱり陸奥守さんは楽しそうに頷き耳を傾けてくれた。

「今日もたくさん笑いました」
「そうかえ。そりゃまっこと、えいひいといやったにゃあ」
「ひいとい?」
「1日いう意味ぜよ」
「なるほどぜよ」
「ははっ。なんじゃその土佐弁は」

 今日1日、たくさんのことがあり過ぎて目まぐるしかったけど。こうして陸奥守さんに話したことで、全てが自分の中に思い出として蓄積されたような気がする。誰かとこうして会話をするというのは、良いことだと思う。おかげで今日は良い充実感を抱きながら寝られそうだ。

「じゃあ私、そろそろ寝ます」
「おう。今度万屋にわしも連れて行っとうせ」
「はい。最近商品ガラっと入れ替わったので、きっと陸奥守さんはしゃぐと思いますよ。そりゃもう目をキラッキラにさせて」
「なんじゃあ主。わしのこと、童やち思うとらんか?」
「じゃあ見たこともない物ばかりで溢れる場所に行った時、はしゃがないで居られますか?」
「そ、それは……難しい話かもしれんけんど、」
「ふふっ。そうでしょう?」

 口籠る陸奥守さんを笑い、夜食を乗せていたお盆を受け取り立ち上がった時。部屋中に広げられた何かが目に入り、思わず視線を伸ばした。その視線を追っていた陸奥守さんもその存在に気が付き「あぁ、これなぁ」と言いながら巻紙を手に取る。巻紙の前半部分は揮毫されているけれど、その後ろは真っ白のままで、まるで書きかけの手紙のようだ。

「龍馬は筆まめな男でのお」
「確か、お姉さんによく書かれてたんでしたよね」
「そうそう。いっつも“誰にも言うな”ち最後に釘を刺しちょったなぁ。そやけど、今この時代になると色んな人に知られることになっちゅうがやなんて、龍馬が知ったらどんな顔するかにゃあ」

 ふと思う。この日本で1、2を争うレベルで名の知れた人物のことを、ずっと傍で見てきた陸奥守さんに訊くというのは、とても贅沢で貴重なことではないのだろうかと。そろそろお暇しようと上げた腰をすっと下ろし、「あの。坂本龍馬、さんのこと、良かったらもっと訊いても良いですか?」と問う。すると陸奥守さんはパァっと顔を明るくさせ、「わはは! 龍馬の話しちょったら夜が明けるぜよ!」と笑う。そうして龍馬さんのことを語り始める陸奥守さんは、本当に、本当に楽しそうな表情をしていた。その顔を見つめているだけでも私の気持ちもつられて明るくなるから、やっぱり坂本龍馬という人物は偉大な人物なのだと思い知る。

「こうやって色んなことが起こる度、龍馬にはそれを伝える相手が居った」
「確かに。これだけ色んなことを経験されているのなら、ネタには困らないですよね」
「……けんど、わしにはそういう相手が居らんかった」
「えっ」
「まぁ、わしはその頃は刀やったし。当たり前やけどのう」

 陸奥守さんの言葉に戸惑いを浮かべれば、陸奥守さんは反対ににっこりと笑いながら私を見つめ「けんど」と言葉を続けてみせた。

「こうして主に肉体を与えてもらった。やき、今こうして主に龍馬の傍に居って感じたこと、思うたこと、忘れられんこと。全部わしの口から伝えることが出来る」
「陸奥守さん、」
「まっこと、ありがたいことぜよ」

 けんど、のあとに続けられた言葉に、私も嬉しくなって陸奥守さんと同じ顔をすれば「まぁ、手紙はちょっとまだ……龍馬みたいにうまくは書けんかったけんどのお」と照れ臭そうに巻紙を隠す陸奥守さん。その様子をクスクスと笑い、「じゃあいつか、うまく書けるようになったら私宛に書いてください」と告げる。

「まぁ……いつか、の」
「楽しみにしてます。じゃあ私、そろそろ行きますね。このままだと本当に夜が明けてしまいそうです」
「ははっ、そうじゃの。わしはひいとい独りやったき。まぁだ喋り足らんぜよ」
「私は、もう今すぐにでも眠れそうです」

 あべこべなことを言い合って、互いに笑い合う。私はこの本丸に来て、初めて陸奥守さんと笑い合ったあの時から笑ってばかりのように思える。こんな日々がこれからもずっと、ずっと続けば良い。

「しっかり寝て、明日に備えましょう。私たちには明日もあるんですから」
「そうじゃな。わしらには、あいたがあるな」

 陸奥守さんの言葉に頷き、「おやすみなさい」と告げ踵を返そうとしたその時。「すまん、主。最後に1つだけえいか」と陸奥守さんから呼び止められた。その声に足を止めると、凛とした表情を浮かべ、私を見つめる陸奥守さんの瞳とぶつかる。

「時間遡行軍と戦う時のことじゃけど」
「はい」
「アイツらの“歴史を変えたい”いう思いに触れる度、わしはちっくとだけ心が揺れる」
「えっ」
「わしじゃち、龍馬が生きとったらち思うこともあるきの」
「それは、」

 時間遡行軍とは、今正史とされている出来事を改変したいと願う者が集う集団のこと。それは、その歴史が自身の願うものとは違っているからこそ。そう願う理由にはきっと、誰かが亡くなったり傷ついたり、そういう悲しい思いをなくしたいという気持ちもあるのだろう。それはまさに暗殺という、道半ばで人生を閉ざされた坂本龍馬にもいえること。だからきっと、陸奥守さんには時間遡行軍に共感する部分もあるのかもしれない。
 その考えに至った時、私の表情に動揺が浮かんだらしい。その顔を見つめ、「けんど」と陸奥守さんが言葉を継ぐ。

「龍馬の最期はあれが正しいとされちう。ほやったらわしは、その最期を守りたい」
「陸奥守さん、」
「それこそが龍馬の生き様で、龍馬を守るいうことじゃろ?」
「……そう、ですね」
「そうやき、わしは時間遡行軍と戦うことがあっても、絶対にあっち側には行かん」

 今、この言葉を私に伝えてくれる陸奥守さんの気持ち。それは口にされずとも分るから、私も何も口にせずただ頷きを返す。

「じゃあ、本当に。おやすみなさい」
「おう、おやすみ」

 私たちには、帰る場所がある。私たちを待ってくれている存在が居る。それだけで、今を生きる理由になる。

BACK
- ナノ -