宵の月が落つる

 審神者生活にもある程度慣れてきたとはいえ、まだまだ新人の身。ようやく今日の仕事が終わったと思った時には、既に辺りは暗くなっていた。燭台切さんに作ってもらった夕食をしっかり食べたはずなのに、私のお腹はぐぅっと空腹を訴えてくるから不思議なものだ。
 確かこの前万屋で買ったカップうどんがあったような――。調理場のストックを思い出しながら、しんと静まり返った廊下をひたひたと歩く。ふと見上げた空には綺麗な月が浮かんでいて、カップうどんに卵でも乗せようかと思い至った時。青い着物を纏った見慣れない人が縁側に座っていて、思わず立ち止まった。

「あの……、」
「今宵の月は、美しいな」

 その人はただじっと空に浮かぶ月を眺め、しんみりと言葉を吐き出す。その姿が月光に照らされた瞬間、私は息を呑んだ。男性のあまりの美しさに、視線だけでなく何もかも奪われてしまったようだった。どことなく高貴な雰囲気を醸し出すその人は、周りの時の流れすら止めてしまっているのだろうか思える程にゆったりとした空気を侍らせ、ただじっと月を見上げている。

「綺麗……」
「ん?」
「あ、す、すみません……」

 ゆるりと顔を動かし、私に視線を移ろわせたその人は、瞳に今夜の月にも負けぬ美しい三日月を浮かべ私の顔を見つめてくる。いわば不審者ともいえる人のはずなのに、どうしてか恐れよりも魅了される気持ちの方が強い。その場から1歩も動けないでいる私は、「あまりにもアナタが美しくて……」などと下手な口説き文句のような言葉を言ってしまう。

「はっはっ。そうか。それは良いことを聞いたな」
「あの……アナタは、」
「こちらへ」

 自身の隣をポンポンと叩く男性に素直に従い、ゆっくりと腰掛けると、男性は満足そうに笑ってもう1度月を見上げる。それに倣うように私も月を見上げると、月も同じように私たちを見つめ照らし返してくる。なんとも不思議な気分だ。霊力なんてものを感じたことはないけど、この人の隣で月を見上げていると、そういった類のものを与えられている気がしてくる。

「この本丸から眺める月はとても良い」
「確かに、綺麗です」
「うん。決めた」
「……何をですか?」

 満足そうに笑い、何かを決意したと告げる男性。その言葉は私に向けられているのだと思い、意味を問い返すと男性は「我が主を、だ」と答えを返してきた。……我が主って――え、じゃあ……。

「えっ、ま、待ってください。アナタも刀剣男士だったんですか?」
「これからよろしく頼む。我が主よ」

 驚く私をおかしそうに笑った男性は、自身の名を「三日月宗近」と名乗った。



 鳥のさえずりを聞きながら歩く廊下。昨日とは打って変わってさんさんとした輝きで空を晴れ渡らせる太陽を見て、昨夜の出来事を思い返す。あれは夢だったのだろうか……という考えをよぎらせつつ広間に顔を出すと、「おはよう」とゆったりとした挨拶を告げながらその人物――刀剣男士はそこに座って優雅にお茶を啜っていた。

「おはようございます。三日月、さん」
「昨夜は眠れたか? 我が主よ」
「あ、はい……。三日月さんはあの部屋で大丈夫でしたか?」
「あぁ。月が見える良い部屋だ」
「それは良かったです」

 どうやってここに来たのか――とか、どうして私を主に選んだのだろう――とか。訊きたいことはたくさんあるのに。「主にも茶を淹れよう」と微笑んでくる三日月さんのペースに乗せられるがままだ。

「おはようございます。主様」
「あ、こんのすけさん。おはようございます」
「今日も1日、よろしくお願いします」
「こちらこそ。……あ。皆さんに三日月さんのこと、紹介しないとだ」
「そうだな。では挨拶に行くとするか」

 そう言って三日月さんは立ち上がり、すたすたと廊下に向かって歩き出す。そうして数歩歩いた所でふと立ち止まって「して、他の者はどこに居る?」とこてんと首を傾げてみせる。……なんか、不思議な刀剣男士だな。

「案内しますね」
「すまんな」
「ちょ、ちょっと待ってください。ど、どうしてここに三日月さんがいらっしゃるのですか?」
「……やっぱりそうですよね?」

 こんのすけさんの声に同意の声を向けると、その声を受けた三日月さんは「主に拾われた」と悪戯に笑う。ひ、拾っ……確かに私が顕現したわけじゃないし、知らない間に本丸に居て、気が付いたら私が主になっていた。……んん? とすると、私が拾った……のか? 

「俺は野良刀で、主を探していてな。そこに主が居た。だから……あぁ、この場合は拾ってもらったというのが正しいか? はっはっ」
「あの、こんのすけさん……こういう場合、私は三日月さんの主になれるのでしょうか?」
「まぁ……顕現していないので、なんとも言えませんが……。三日月さんにその意思があるようなので、大丈夫かと」
「どうした主。何か心配事か?」
「い、いえ。では案内しますね」
「よろしく頼む」

 もうそう簡単に驚くこともないと思っていたのに。審神者生活、まったく想像がつかないことばかりだ。

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