飛翔する天狗

 近侍である三日月さんと自室で書類整理を行っている最中。ピコンと通知音が鳴り、設置してあるモニターに鍛刀が終わった合図が表示された。

「主、そちらの進捗はどうだ?」
「もう少しで終わるので、これが終わったら鍛刀部屋に行きましょうか」
「相分かった」

 三日月さんはとにかくマイペースな男士だけど、こうしてじっと座っている仕事の時は意外と……と言ったら失礼かもしれないけど、他の男士の時よりも仕事が捗る。今日は結構良い感じで仕事を捌けているし、今から顕現しに行く刀剣男士の力を借りて畑仕事を終わらせれば、あとはもうゆっくりしても良いくらいのペースである。

「ふふっ」
「楽しそうだな、主よ」
「ちょっと取らぬ狸の皮算用してまして」
「そうか。その皮算用、きちんとものになると良いな」

 にこりと笑う三日月さんに返す私の笑みは、多分きっと下卑た笑みだったはずだ。――だから、その罰が当たったのだ。



「ま、待って……」
「あるじさま、だいじょうぶですか?」
「だ、だいじょ……ば、ない……」
「はっはっ。この世の終わりのような顔をしているな」
「三日月さんも……お茶飲んでないで畑仕事手伝ってください」
「すまんな。俺は喉が渇いた」
「まい、ぺーすっ、」

 あるじさまーっ! と呼ぶ声に「は、はいっ!」と返す。も、その声を発した男士は遠くに居て、思わず膝が笑う。今剣くん、もうあんな所まで……ちょっと待って欲しい。ペース……みんなペース……っ!
 呼吸をどうにか整え、今剣くんになるべく早く追い付こうと雑草を抜き取る。このままだと今剣くんに全部やってもらうことになってしまう。確かに刀剣男士の力を借りようとは思ったけど、全部任せきりにするのは違う。まさか皮算用をこんな形で誤算することになるとは……。

「え゛っ! もうこの1列終わったの?」
「へへっ、すごいでしょう!」
「凄すぎて気絶しそうです……」

 勝負しているわけじゃないけど、周回遅れとなってしまったのを実感した途端、へにゃりと体から力が抜け落ちてしまった。その様子を見た今剣くんが「ぼくのせいですか……? あるじさま、ごめんなさい」とシュンとするので、慌てて手で制す。違うんだよ今剣くん、運動不足の私が悪いんだよ。こんな主でごめんね。ほんと、情けない。

「主、ちとこちらへ」

 三日月さんが私を手招く。その言葉が助け舟として出されたものだと分かるから、「はい」とその声に応じ、今剣くんに向き合う。まだ不安そうに揺らいでいる瞳に笑いかけ、「ごめんね。私ちょっと休みたいから、あとは今剣くんの力を借りても良いかな?」と願えば今剣くんは「はいっ! おまかせください!」と張り切って畑仕事へと戻ってゆく。その姿に胸を撫でおろしつつ、今剣くんにバレないよう震える足に喝を入れながら三日月さんのもとへと歩みを進める。

「ありがとうございました。助かりました」
「これも近侍の務めだ」
「はは。そうですね」

 どこまでもマイペースな様子の三日月さんを笑い、隣に腰掛ける。その視線の先では、元気に畑を駆けまわる今剣くんの姿。一本歯の下駄でよくピョンピョン飛び回れるものだ。

「そういえば、三日月さんと今剣くんはお知り合いですか?」
「元々、俺らは同じ刀鍛冶によって作られていてな。それで、少し」
「なるほど。だから顕現した時、懐かしそうな顔をお互いにされてたんですね」
「とはいえ、もはや1000年も前の話になる故曖昧な部分もあるがな」
「せ、せんねん……。果てしなく遠い昔に思えます」
「はっはっ。まぁ、俺はじじいだからな。1000年も100年も、そう大差ないようにも思えるよ」

 三日月さんがやけに自分のことを「じじい」と自称する理由が分かり、少し納得してしまう。とはいっても目の前に居る三日月さんの美しさは現役だし、三日月さんの醸す優雅な雰囲気に重みが増したような気さえする。

「三日月さんは、良い年の重ね方をなされていますね」
「そうか。今ここに居る俺を見てそう言ってもらえるのならば、そうなのであろうな」

 三日月さんが生きてきた1000年という年月。その中にはきっと、辛く悲しい出来事もあったのだろう。けれど今、こうして私の隣でお茶を飲む姿を見ていると、三日月さんはそれら全てを背負うのではなく受け入れているのだと思う。だから、三日月さんからは揺るぎない美しさを感じるのだろう。

「……ん? ということは……」
「どうした?」
「今剣くんも、1000歳越え?」
「まぁ、そうなるな」

 “今剣くん”なんて気安く読んでいるけども。彼も何世紀と時を越え、この世に存在しているわけだ。そんな男士のことを私なんかがくん付けで呼んで良いものなんだろうか……?
 ふと抱いた疑問を、畑を元気に飛び回っている今剣くんに視線で投げかけてみる。ああ見えて彼、1000歳オーバー男士らしい。なんか、そう考えると余計に自分の体力のなさが情けなく思えてきた……。

「あるじさまーっ!」

 とはいっても、やっぱりこうして時折こちらに手を振ってくれる今剣くんは“今剣くん”って感じがする。なんというか、可愛らしいのだ。やっぱり。どうしても。

「なんだかこうしていると、俺と主が夫婦で、あやつが倅のようだな」
「げほっごほっ、」
「大丈夫か?」

 笑いながら手ぬぐいを差し出され、礼を告げそれを受け取る。その手ぬぐいの向こうにはゆるりと上げられた口角が待っているので、きっと今の言葉は戯れだ。いや確かに今剣くんは年下感あるけれども。……どうしてこのじじい様は急にそんなことをぶっこんでくるのかなぁ。

「主はからかい甲斐があるな」
「か、からかい……やっぱり。三日月さん、結構私で遊びますよね」
「すまんすまん。主の真面目さが愛くるしくてな」
「……ありがとうございます」

 もうこれ以上動揺するもんかという気持ちを持ちつつ、それをこみあげてくる気恥ずかしさと戦わせる。そんな私の葛藤を知ってか知らずか、三日月さんはまたしてもゆるりと笑みをたたえながら「そんな主の為に、俺ら刀剣男士はこの身を賭して戦おう」と言葉を続けてみせた。その言葉を聞いた時、私の中にぽかぽかした気持ちが湧くのを感じ、零れる笑みを耐えることが出来なかった。

「ありがとうございます」
「はっはっ。よきかな」

 2人して微笑み合い、それを合図に腰をあげる。結構休めたし、そろそろ畑仕事を再開しよう。伸びと共に気合を入れる私の傍で、三日月さんは「では俺はもう1杯」とまさかのおかわりを淹れはじめた。

「……さっきからずっと飲んでません?」
「じじい故、すまんな」

 このじじい様はまったく……と苦笑いを浮かべていると、「おわりました〜!」と今剣くんが駆け寄って来た。えっ、今の間にあの畑全部!? う、嘘でしょ……。

「へっへ〜、すごいでしょう?」
「すごいです」

 鼻の下を擦りながら自慢げに笑う今剣くん。全身から“褒めて”という主張を感じたので、そうっと頭を撫でると今剣くんはとても嬉しそうに目を細め笑う。

「ぼく、いくさにでてもかつやくしてみせますから!」
「戦……」

 そうだ。こんなに愛らしい今剣くんのことも、その為に顕現したんだ。あの、死がすぐ近くに在る場所へ向かわせる為に。

「ごめんね」
「あるじさま?」
「私はこれから、ここに居るみんなのことを戦場に向かわせる。……それは、決して楽なことじゃない」
「あるじさま、」
「そして、私には出来ないこと」
「そんなかおしないでください。ぼくが、あるじさまのことおまもりしますから」
「今剣くん、」

 ぎゅっと抱き着いてきた今剣くんを見ると、なんだか無性に泣きそうになってしまう。どれだけ小さくても、どれだけ可愛らしくても。今剣くんだって私なんかより何倍も強くて逞しい。そんな刀剣男士が私の呼びかけに応じこの本丸に来てくれた。……それならば。

「今剣くん。私の名前、聞いてくれる?」
「えっ、よいのですか……?」
「私は、私の元に来てくれた男士とちゃんと繋がりたい」
「ぼくも、あるじさまともっとなかよしになりたいです!」
「ありがとう。……私の名前はみょうじなまえと言います。これからよろしくね、今剣くん」
「はい!」

 今剣くんがもう1度私に抱き着き頬を摺り寄せてくる。その姿はやっぱり可愛らしいから、「あの、今更だけど……。“今剣くん”って呼んでも良い?」と問う。そうすれば今剣くんは畑を飛び回っていた時のような笑みを浮かべ、「もちろん」とそれを許してくれた。今剣くん。この本丸に来てくれて、本当にありがとう。これからよろしくね。

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