equal status

現代設定


 カップラーメンを食べたことがないと目の前の男が言う。嘘だろ庶民の嗜みだぜ? なんて驚きは、見開いた瞳から飛び出していたらしい。それを受け取った鯉登は、お返しに唇を尖らせながら「食べたことがないというのは、いけないことなのか」と小さく反論してきた。……あ、そうか。鯉登は“庶民”とは言い難いか。生き方の物差しが違ってしまうのは、仕方のないことだ。

「いや別に……、悪くはないよ。それだけ大事にされてるんだなとも思うし」
「……しかし」

 お互い含みを持たせた言い方で終わらせたのはきっと、そのことに対して思う部分があるから。それを確認し合うように様子を窺い、先に口を開いたのは私の方だった。

「あんなに手軽で美味しい物を食べたことがないのは、やっぱりちょっともったいない気もするような気がしないでもない、です」
「この歳にもなって食べたことがないのは、やはり世間知らず……だよな?」

 そうして吐き出した互いが思う部分。世間知らずというか……浮世離れというか……。鯉登の生まれ育ってきた環境を考えれば、そういう類の物に触れ合わないのもおかしくはないだろう。ただ、いざ社会に出てみるとそういう人間は圧倒的に少数なのだと鯉登自身痛感しているらしい。だからこうして同期入社した私にだけ打ち明けるように口を開いたのだろう。……普段は陰口なんて気にしないみたいな凛々しい顔してるのに。やっぱり鯉登は鯉登で“ボンボン”と言われることに悩んでいたのだ。

「今日の夜、空いてる?」
「夜か? まぁ、空いているが」
「ご飯食べ行こうよ」
「ごはん?」
「そう、夜ご飯。……あ、急に言ったら困るか」
「……いや、大丈夫だ」
「じゃあ決まり! お互い仕事が終わったら連絡するってことで」

 鯉登の肩をバンバンと叩き、休憩スペースから出てゆく。歩きながら夜ご飯の算段を立てていれば、段々自分の中に楽しみだという感情が湧いてくるのが分かる。鯉登には悪いけど、カップラーメンを食べたことがないと悩む鯉登が可愛いと思ってしまった。そしてその悩みを他の誰でもない、私に打ち明けてくれたということに人知れず気持ちが弾んでしまう。……さて。今日の夜は、何を食べようか。



「ここは……?」
「コンビニ」
「いやそれは分かる。……ご飯は?」
「食べるよ、今から」

 仕事を終え合流し、会社から少し離れた場所にあるコンビニに辿り着く。それまで心なしかソワソワしている様子だった鯉登は、コンビニを見つめ「今から?」と私の言葉をオウム返ししてきた。頭に思いっきりハテナが浮かんでいる様子を笑いつつ店内に入れば、鯉登は雛鳥のように私のあとをついて来る。

「あった」
「これは、」
「どれが良い?」
「……こんなに種類があるんだな」

 辿り着いたスペース。そこには棚一面を埋めるようにカップラーメンが陳列されている。私からしてみれば慣れ親しんだ光景だけど、鯉登には物珍しい光景に映るらしく、瞳をパァっと輝かせ棚に視線を這わせてゆく。確かに鯉登は世間知らずな部分もあるけど、こういう素直な所は鯉登の良い所だと私は思う。

「みょうじは何にするんだ?」
「私はねぇ〜……今日はコレにしようかな」
「では私もソレにする」
「オッケー。じゃあ後は……おつまみも買っちゃう?」
「おつまみ?」
「だってラーメンだけじゃ足りないでしょ?」
「まぁ、確かに、」
「よし決まり! 次のコーナーへゴー!」





「私が」
「なーに言ってんの。誘ったのは私なんだから。私が払うよ」
「しかし、」

 おつまみコーナーでまたしてもテンションを上げた鯉登を笑い、おつまみとくればビールだとアルコールを手に取り。ここまでくればデザートも――とコンビニを網羅し終えた頃。カゴの中身はずっしりと重みを増していた。そのカゴを鯉登がさらおうとしてきたので、それを手で制す。それでも鯉登は尚も奢ると聞かないので、その言葉はシカトして現金を店員に渡し強引に会計を済ませた。
 そうして手渡された商品の中からカップラーメンを2つ取り出し、店内に設置されてあるポットでお湯を注ぐ。そのまま外に出て「あそこ! 座ろ!」と鯉登に声をかければ、鯉登は「カップラーメンくらいは持たせてくれ」と言って両手からカップラーメンをさらって行った。……やっぱ律儀なんだよなぁ。

「コレ使って」
「すまない……何から何まで」

 空いていたベンチとテーブルに荷物を置き、向かい合って座れば鯉登が再びしょぼくれた声で詫びを入れてきた。その詫びを「ははっ、何言ってんの。ただのアルコール消毒じゃん」という言葉で笑い飛ばそうとしても鯉登の顔色は晴れない。

「それだけではなく……。先程のコンビニでの支払いもみょうじにさせてしまった」
「良いよ別にあれくらい。焼肉とか寿司に行ったわけじゃないし、私から誘ったんだし」
「しかしああいう場合は私が奢るべきで、」
「なんで? 割り勘ならまだしも、“奢るべき”な理由は何?」

 鯉登の目をじっと見つめ問えば、「……その、経済的に」と言いにくそうに口を開く鯉登。チラリと時計を見て、あと数秒で食べ頃だなと頭の端で計算しながら「でも私にだってありがたいことに経済的に数千円を払う余裕はあるよ」と言い返す。そうすれば鯉登はまたしても「しかし、」と喰い下がって来るので「数千円くらいは奢らせてよ。私は鯉登と対等な関係で居たいから」と切り返す。そうすれば鯉登が息を呑むのが分かったので、今のうちだと「はいこの話終わり!」と宣言する。

「いただきます!」
「い、いただきます……」

 パンと手を合わせれば、鯉登も真似するように手を合わせた。今日はずっと見様見真似だなぁと微笑ましく思いつつラーメンを啜れば、テーブルの向こうでそれを真似するように啜る音が聞こえてくる。その音がいつしか私のペースを上回るのが分かって、つい緩む頬。……どうやらお気に召して頂けたようだ。

「おいみょうじ、コレめちゃくちゃ美味しいぞ!」
「ははっ。それは良かったです」
「中華料理店で食べた物と張るかもしれん……」
「メーカー努力の賜物ですね」
「……これがカップラーメンか」

 容器を空にしてしまった鯉登が、その容器を見つめながらしんみりと言葉を吐きだす。それが物足りないと告げているように見えて、つい吹きだしながら「まだこっちにおつまみもあるよ」と袋を差し出せば、分かり易く鯉登の表情は弾む。

「おつまみにビール……! それにデザート……!」
「ふふっ。たまにはこういうご飯も良いでしょ?」
「あぁ! そうだな!」

 鯉登のカップラーメンデビューが無事に迎えられたようで良かった。袋の中身を楽しそうに覗き込む鯉登を見つめ安堵していれば、鯉登の視線がふと浮き上がって私を捕らえた。

「みょうじは駅前の中華料理店に行ったことはあるか?」
「あの高級店? ないない、縁のない場所だって思ってる」
「……今度、良かったら一緒に行かないか」

 その誘いにラーメンを啜っていた口が止まる。そうして再び啜るのを再開させ、麺を飲み込んで「無理無理。経済面で死ぬ」と断れば「私が奢る」と即答されてしまった。……もしかしてこれはあれか? やられたらやり返す的な考えか? だとしたらもらい過ぎてしまうし、さっき言ったみたいに私たちは――「私だってみょうじと対等で居たいのだ」そう先回りされ、返す言葉を失う。

「このラーメンを美味しく感じられたのは、みょうじのおかげだ」
「そんな……別にそこまでのことじゃ、」
「みょうじと一緒に食べたから。余計に美味しいと思えたと思う」
「……え、あ、ありがとう、ございます……」

 こんな照れるセリフを、ラーメン啜りながら聞いてしまって申し訳ない。そんな気持ちからカップラーメンを隠すようにしてみても、鯉登は気にせず言葉を続ける。やっぱり鯉登は凛々しくて強い人だ。

「だから今度は。私が好きなラーメンをみょうじと一緒に食べたい。私の奢りで」
「その……、お金は、」
「金額のことは気にしないで欲しい。私も、みょうじと対等で居たいから」
「でもさすがに、」

 さっきと立場が逆転しているやり取り。どうしてこうなったんだ? と頭で思い返しつつも、「私の好きな物をみょうじと共有したいのだ」と言われてしまえばコクコクと首を縦に振るしかなくなってしまった。そうして肯定を返せば、鯉登は嬉しそうに笑って「みょうじにも私が感じた楽しみを感じて欲しいからな」と呟きながら袋の中を探り始める。

「……対等に、ってこと?」
「あぁ、そうだ。これは対等なものだ」
「へへっ、そっか。それは楽しみだな」

 もしかして鯉登も今日ここに来るまでこんな気持ちだったんだろうかと思うと、何故か食べ慣れたはずのカップラーメンが一段とうま味を増した気がした。

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