試合の前日

 近所に住む、孤爪さん。昔は滅多に姿を見る事が無かった息子の研磨くん。そんな研磨くんが小学校にあがってから少しすると、良く外に出かけて行くのを目にするようになった。そして、その隣には必ずと言って良いほどに同じ男の子がいた。

 黒尾鉄朗くん。

 鉄朗くんは研磨くんのお隣さんで、研磨くんの1個上。研磨くんが小学校2年生の頃に引っ越してきた。鉄朗くんは引越しの挨拶をしに、お父さんと一緒に研磨くんの家の真向かいにあたる私の家にも来た。その時家には私しか居なくて、私が対応した。

「この度、孤爪さんの隣に引っ越してきました黒尾です」
「初めまして。みょうじです。今ちょっと親居なくて……。息子さんですか?」
「ええ。ほら、鉄朗、挨拶して」
「……はじめ、まして」

 お父さんのズボンをぎゅっと握って、隠れながら挨拶をする鉄朗くんは当時既に高校生だった私には凄く可愛く映った。小さくて、可愛い男の子。それが鉄朗くんに対する第一印象。



「あ、なまえちゃん!」

 鉄朗くんが越してきて、1年が経った頃。彼氏と一緒に帰っていると別の方向から歩いてきた鉄朗くんと鉢合わせて、言葉を交わす。この頃の鉄朗くんは既に人見知りだったあの頃が嘘みたいに周りの子と打ち解けて、色んな友達と出かけるのを見ていた。家が近所だから、活発な鉄朗くんとはこうして良く顔を合わせいた。そうなると必然的に鉄朗くんとは仲良くなった。その頃にはもう一丁前に私の事を“なまえちゃん”なんて呼んできていた。

「この子誰?」
「近所の子。鉄朗くんって言って、最近は良く友達の研磨くんとバレーしてるみたい。今日もその帰り?」
「まぁな! なまえちゃん聞いて! 今日な、1人じかんさこうげきのれんしゅうしたんだ!」
「1人時間差?」

 鉄朗くんの出したワードに首を傾げると、彼氏が口を挟む。

「1人時間差って言うのは、相手のブロックのタイミングを自分自身で釣って、そのまま自分でスパイクを打つ攻撃の事」
「へえ、そうなんだ?」
「にしても鉄朗くんだっけ? 結構渋いワザ練習してんだなぁ」
「そうなんだ?」

 当時付き合っていた彼氏もバレー部に所属していた。だから、鉄朗くんが言った技名に反応して、鉄朗くんに話しかける。

「……まぁな」
「あれ? 俺、なんか、嫌われちゃった?」
「ううん、気にしないで。鉄朗くんは人見知りなんだ。ね? 鉄朗くん」
「……俺、帰る。なまえちゃんもあんま遅くまで外出るなよな! よみちはキケンだからな!」
「ふふ。ご心配をどうもありがとう」

 初対面の相手にはまだまだ人見知りを発揮するようだった。まだまだ可愛い男の子だったね、あの頃の鉄朗くんは。



 私が二十歳を越した頃。鉄朗くんはその頃にはバレー部に所属して、バレーへの熱は飽く事が無いようだった。そんな鉄朗くんは中学生になると結構モテたらしく、見る度に違う女の子を連れていたように思える。

「なまえサン、お仕事帰りですか?」
「そう。最近仕事が忙しくって。鉄朗くんは? デート?」
「いやいや。部活だよ。部活」
「へぇ。部活動も大変だねぇ?」
「まぁ、それで精一杯だな。今は」
「何言ってんだか。こないだ彼女と歩いてるの見たからね?」
「……あれは……もう別れた」
「えっ? もう? 私、何ヶ月か前に違う女の子と歩いてる鉄朗くん見たんだけど?」
「別に、好きで付き合ってる訳じゃねぇから。長続きもしないんだよ」
「好きじゃないのに付き合うの?」
「男ってそういうモンだろ」
「えぇ? ダメだよ、そういうの。相手の子にも失礼だからやめな」
「向こうがそれでも良いっていうから仕方ねぇじゃん」
「……鉄朗くんってモテるんだねぇ」

 良く分からない理論にそんな事を言うと何故か鉄朗くんは得意げな表情を浮かべて「まぁな」なんて勝ち誇った様に笑ってみせた。

「結構優良物件なんで、俺」
「なんか、ムカツクなぁ。まぁでも確かにバレーしてる鉄朗くんは格好良いもんね」
「……なまえちゃんも仕事ばっかじゃなくて、良い人見つけないとだな?」
「うるさいガキ」

 この頃には中学生ながらに私の事をムカつかせては、悪戯が成功したような顔して良く笑っていた。その顔はまだまだ年頃の男の子という表情も持っていた様に思える。



 そして、今。私が社会人として忙しくしているのは変わっていない。鉄朗くんが高校生になってもバレーを続けて事も変わっていない。変わったのはお互いの歳だけ。

「なまえちゃん。華金な今日もお疲れそうで」
「鉄朗くん。鉄朗くんも最近遅いんだねぇ。大きな大会でもあるの?」
「春高っていう試合に向けての代表決定戦の真っ最中」
「そうなんだ。それっていつあるの?」
「明日」
「えっ、明日!? 明日って、もう明日じゃん?」
「はは、ナニソレ。そう、もう明日ですよ」
「え、てか明日って17日」
「ですです」

 明日は11月17日。それは、つまり。

「鉄朗くん、誕生日じゃん!」
「おー良く覚えてくれてますねぇ」
「どうしよう、なんか、緊張してきた……」
「えっ、なまえちゃんが? なんで?」
「だって、誕生日にそんな大きな試合があるって……私だったら堪えられない……!」
「はは、なまえちゃんって結構大きい仕事とかに弱いもんな」
「何回かプレゼン準備手伝って貰ったもんね……! 私も、何かお返ししてあげたいんだけど……明日応援に行くとかでお返しになるのかな?」

 なる訳ない。私の応援が、お返しになんて、なる訳無いか。言った後に冷静にそんな事を思った。私も良い大人なんだから、もうちょっとマシな事言えばいいものを。

「じゃあさ、今までのお礼はそれで良いから。誕生日プレゼントを別にくれよ」
「プレゼント? うん。良いよ。何が良い? マフラーとか?」
「明日もし音駒が春高出場権を獲得したら、」

 鉄朗くんが私に近寄ってくる。

「うん?」

 数年前は私が見下ろすくらいの身長しか無かった男の子は、ここ数年でこんなにも背が伸びたのか。もう顔を上に向けないと鉄朗くんと目を合わすことが出来なくなってしまった。男の子の成長って、目ざましいんだなぁ。初めて会った時の事を思い出していると鉄朗くんの顔が降ってくる。

「……えっ。……え!? えぇ!?」

 そうして数秒後に感じた頬の熱に思考を今へと引き戻される。今、鉄朗くん……私の頬に、キスした……!?

「俺ももういい年まで来たし、そろそろ俺の事を“男の子”じゃなくて“男”として見て欲しい訳よ」
「は? え。えと、うん。……うん?」

 まさかの行動に私の思考が固まってしまう。鉄朗くんの言っている意味がうまく理解できない。男として見て欲しいって……?

「少しでもなまえちゃんに見合う男になれるように、ずっと努力してきた。経験だって積んできた。中学の時、なまえちゃんに注意されてからは止めたけど。でも、バレーしてる俺の事、格好良いって言ってくれたから、それだけはずっと続けて来た。そのバレーで、明日、大事な試合を迎える。だから、もしその試合で良い結果が出たら、俺をなまえちゃんの男にしてよ」
「えっと、そんな、急にはちょっと……」
「うん。急には無理だって分かってる。だから、そのプレゼントはどんだけ時間かかっても良い。無理なら無理で良い。だから、まずは挑戦権で良い。それをくれ」

 鉄朗くんの目は本気だ。いつもの悪戯を仕掛けてくる様なそんな類のものじゃないって事くらいは、私も良い大人だから分かる。だったら、私もきちんと向き合わないと。鉄朗くんはもう高校生で、バレーも主将としてチームを引っ張っていってる。考え方もしっかりしていて、時々私ですら関心する程だ。そんな鉄朗くんが真剣な顔をして、こんな事を言うんだから。茶化したり、はぐらかしたりしてはいけない。

「……分かった。ちゃんと、考えておく」
「……うわぁ。俺、自分で明日に対するプレッシャーかけちまった。絶対負けらんねぇなぁ」

 そう言って手で顔を覆う姿は昔から変わらない。まだ少しだけ残るあどけなさに、心がくすぐられる。

「はは。ホントだよ。春高出場権手に入らなかったなんて事になったら私への挑戦権も無効だからね」
「明日の相手、俺勝てる気正直しねんだわ」
「えっ、まじか」
「今まで何度も試合してきて、勝てた回数のが圧倒的に少ない相手」
「ヤバイじゃん」
「あぁ、ヤバイよ。でも、安心してよなまえちゃん。ちゃんと、春高出場権も、なまえちゃんへの挑戦権も手に入れてみせるから。なんなら、明日の試合で俺に惚れさせてやる」
「はは、あんまり自分で負荷かけちゃダメだよ」
「これくらいプレッシャーかけた方が燃えんだよ、男は」
「ふうん? まぁ、楽しみにしてる」

 まぁ全ては明日だな、なんて笑って、「じゃあな、お休み。なまえちゃん」と手を振って家に入って行く鉄朗くんを見送って、深呼吸を1つ。胸に手を当てて、自分の心臓を宥める。

 知らなかった。鉄朗くんがあんな表情をするようになってたなんて。あんな真っ直ぐ見つめられて、こんなにも私の心臓がバクバクと音を立てるなんて。もしも、明日。鉄朗くんが私への挑戦権を手に入れたとしたら。その先の事は案外とんとん拍子に進んでいくのかもしれない。

 それは全て、明日分かる事だ。

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