天空率をもとめよ

 千空は言葉遣いこそ粗野だけど、決して怒りっぽい人ではない。“怒り”という感情に囚われる時間が勿体ないと切り捨て、すぐさま切り替えられるような人だ。そういう千空の考えを形成したのは、科学の中で繰り返されるトライアンドエラーだ。

 科学実験を行う上で千空は何度も失敗し、そのおびただしい量の失敗の中に混じるほんの少しの成功に喜びを見いだし、再び地道な努力の糧とする。そういう、科学の為なら自分の時間をどこまでも溶かしてみせるのが千空という男。何より科学が1番で、年越しも自分の誕生日でさえも頭から排除してみせる。

 そんな千空に、時々は自分のことを大事にして欲しいと心配になることもあるけど、きっと千空にとってそれが自分を大事にすることなんだろうと思うから。私はそういう千空が好きだし、いつまでもそれを貫いて欲しいと思う。

―部活終わったら連絡しろ

 部活終わりのすっかり陽が落ちた学校。下駄箱でスマホを灯せば、千空からのメッセージが届けられていた。きっと千空は今も科学実験室に籠って何かの実験をしているのだろう。その千空が時間を縫ってこんなメッセージを送ってくれる。そのことに得も言われぬ想いがこみ上げるけど、それだけで充分だと押し留める。……千空にとって科学が1番だけど、千空は決してそればかりを優先させる人じゃない。こうして私のことも大事にしてくれるから、私は千空の傍を離れられないし、離れたいとも思わない。

「ありがと、千空」

 千空のメッセージに返事をする代わりにスマホに向かって礼を告げ、それを鞄に仕舞い込む。少しでも千空が好きなことに打ち込めるように、そんな願いを込めて千空のメッセージに気付かぬフリをしようとすれば、スマホが鞄の中で震えだす。

「……もしもし」
「……お前、黙って帰るつもりだろ」
「えっ、な、なんで……?」

 スピーカーにしているのか、私の声が向こう側で響く。反芻された声が分かり易く揺れているので、その時点で私の見て見ぬ振りは崩されたも同然だ。そのことに固唾を呑めば、千空は「たくっ。テメーは余計な気遣いしやがる」と荒々しい言葉を放つ。それに「ごめん」と告げれば、そこから先の詰りはないのでやはり千空は怒るということをしない人なのだと思い知る。

「でもほんとに大丈夫だから。千空は実験に集中して」
「あのなぁ、」

 肩が揺れる。千空の口調が、いつも通り荒々しくて、それでいて少し力がこもっていたから。いつもなら荒いだけで、そこに熱はないはずなのに。……なんというか、今の千空の口調はまるで怒っている人のソレだ。

「誰が送って帰るっつたよ」
「えっ……あっ。ごめん……勘違い、だった」

 千空の言葉にハッとすると同時に、体中を熱が駆け巡る。……確かに、送って帰るだなんて一言も言われてない。やばい、これは自惚れだ。千空は私に何か言いたいことを告げる為にメッセージをしただけかもしれないという可能性をまるっきり予測出来なかった。

「……俺の実験が終わるまで付き合いやがれ」
「えっ?」
「だから、実験室に来い」
「そ、それって」
「来るのか、来ねぇのか」

 さっさと答えろ――そう続けられた千空の声はどこか不機嫌さが漂う。それなのに、私の口角は緩み顔も胸もポカポカと温まってゆく。きっと、私が遠慮するのを見越して自分の実験に付き合えなんて言ったのだろう。でも、そうやって実験に付き合った後に行き着く先は“一緒に帰る”という展開。……それを素直に告げない千空も、その優しさを分かりにくく押し付けてくる千空も。そのことに照れを感じちょっぴり不機嫌になる千空も。

「行く! 今すぐ行く!」
「おー。全速力で来い」
「……うん!」

 そして、その優しさを遠慮して上手に受け取れない私にもどかしさを感じ苛立つ千空も。……全部、愛おしくて手放しがたい存在。

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