再綴の日々

現代設定


 男の顔を見た瞬間、私はこの男に殺されたことを思い出した。もちろん、今はこうして互いに顔を合わせているし、至って健康だ。
 殺されたのは“現世”ではなく“前世”での話。今まで前世うんぬんとか難しいこと考えたこともなかったし信じてすらなかった。だけど、“尾形”と名乗った取引先の男を見た瞬間、私の頭の中に脳天を撃ち抜かれるイメージが湧いてしまったのだから仕方ない。

 そしてそれは男も同じだったらしく、私の顔を見るなり「……なまえ?」とまだ名乗ってもない下の名前を確認するように呟いた。まさか取引相手が前世でそんな繋がりを持っていただなんて。「え、お知り合いですか?」と周囲はビックリするけど、誰より私たちが驚いている。

「えっと……ま、前に習い事が一緒で!」
「習い事」

 我ながら苦し紛れの嘘だとは思った。目の前の男が“習い事”をしているようにも見えないし、私だって何かを習っていたなんて言ったこともない。それでも、周囲の人間もこの話題に時間を割くべきではないと思ったのか、それ以上の追及はなく会議は始まってくれた。
 さて。百之助さんと私。前世ではどうやら私が想いを寄せていたようだけれども。現世の今初めて会った私は、百之助さんとどういう向き合い方をすれば良いのだろうか。



「あ、なまえ」
「宇佐美先輩」
「会議終わり? 確か今日取引相手と打ち合わせだった……って、え。百之助じゃない?」
「……宇佐美か」

 会議を終え歩いていると宇佐美先輩と鉢合わせた。そうして足を止めて話していれば、百之助さんも宇佐美先輩の顔を見るなり足を止めてみせる。……うわ、なんだろ。この2人見てると胸が苦しくなる。さすがに付き合いの長い宇佐美さんとも前世で何かあったとは思えないけど、なんか心苦しい。

「そっかそっか。なまえの取引相手、百之助だったんだ〜。すごい、これも何かの縁ってやつ?」
「宇佐美先輩と百之助さん、お知り合いですか?」
「うん。大学の同期……てか。え、“百之助さん”?」
「……あ」
「……チッ」

 視線が痛い。宇佐美先輩はニヤニヤしてるし、百之助さんは髪の毛をかきあげながら舌打ちを鳴らしてみせた。このイラついた顔に見覚えがあるのも、何もかも、全部前世の記憶のせいだ。前世の私はやけに献身的だったようで、百之助さんが抱えるイライラを全て受け止めていたらしい。そうして尽くした果てに頭まで撃ち抜かれただなんて。……ドMだったのだろうか。

「何々〜? 2人ワケアリな感じ〜?」
「いや……その、あの……習い事が一緒で、」
「昔懇ろだった」
「ヒィッ」

 いや昔が昔過ぎる……っ! 間違ってはないけど……! そんな焦りで喉を締めあげれば、宇佐美先輩の顔がニンマリと歪むのが分かった。あぁマズい。宇佐美先輩のことだからきっと、このまま放っておこうだなんて考えるわけがない。――むしろ、

「じゃあ今日の夜3人でご飯食べ行こうよ!」
「あ?」
「良いじゃん。久々にさ! ね!」

 ほら質が悪い。最後の“ね!”を私に向けて言う辺り、先輩後輩の関係性に訴えてきているのだ。この宇佐美という男はあざといのである。

「宇佐美先輩の誘いなら……私は」

 仕方なく参加の意を示し、百之助さんの様子を窺う。そうすれば百之助さんはその視線を受け取るように舌打ちを鳴らし「面倒くせェ」と分かりにくく参加を告げる。こんなにノリの悪い参加だというのに、提案者は意にも介さず「じゃあまた! 場所は追って連絡するから」と言って手を振って立ち去ってしまった。

「あの……百之助さん、」
「お前、俺に殺されたのにまだ好きなのか」
「えっ……と」

 そう面と向かって問われると言葉に詰まる。こんな不躾な質問を投げつけられているのにうまく言い返せないのも、初めて会ったにしては抱く感情が複雑なのも。全部前世の記憶のせいだとは思うけれど。それでも、この感情は確かに現世の私が抱いているものだ。だから、私は今でも百之助さんのことが好きなのかもしれない。……でもよくは分からない。

「よく分かりません……」
「そうか」

 素直に今の気持ちを告げれば、百之助さんは静かに言葉を呟いてその場から立ち去ってゆく。その背中を見つめながら浮かべるこの気持ちは、果たしてなんと呼べば良いのだろうか。



「百之助弱すぎない?」
「百之助さん……大丈夫ですか?」
「頭がクラクラする……」

 宇佐美先輩指定の居酒屋に出向き、早々に鳴らされたグラス。それを数杯も空けぬうちに百之助さんは頬を赤らめ気怠そうに体を壁にもたれかからせた。お酒に弱いのか、もしくは疲れが溜まっていたのだろう。酔うというよりかは具合を悪くした様子なのを見てお冷を渡せば、百之助さんはそれをどうにか飲んでみせる。それでも落ち着く様子は見えないので、今日はもう帰った方が良いのかもしれない。

「百之助のその感じだと今日イジるのは無理そうだね〜」
「イジるって……やっぱそのつもりだったんですね」
「当たり前でしょ。じゃなきゃ百之助と飲みになんて行かないし」

 しれっとキツいことを言ってのける宇佐美先輩に目を見開けば、「百之助の分まで奢るなんて癪だけど。今日は僕が払うから、あとのことよろしく」と言い放つ宇佐美先輩。その手には伝票が握られていて、すでにレジへと足を向けようとしている。その背中に慌てて呼び止める言葉を向けても「百之助の介抱なんか。死んでもヤだね」と躱されるだけ。もしかして宇佐美先輩、百之助さんのこと嫌いなんだろうか。

「百之助さん、大丈夫ですか?」
「ん……、」

 とはいえこんな状態の百之助さんを1人にするわけにもいかないし。私が送って帰るしかないか。結局、現世でも献身的な私になってしまうというわけだ。いやまぁ、これは宇佐美先輩が悪いけど。



「百之助さん、家に着きましたよ」
「……あぁ、」

 どうにかこうにかタクシーを捕まえ辿り着いた家。ここまで連れて帰ってこれたらあとは大丈夫だろう。その思いで百之助さんの体を離せば、その体は扉にもたれズルズルと落ちて行った。慌てて駆け寄れば、ぎゅっと眉根を寄せ目を瞑る百之助さん。そうして絞り出される「良いからなまえはもう帰れ」という言葉。それを聞いて“はいそうですか”と帰れるわけがない。

「あとちょっとです。頑張りましょう」
「……なんで」

 なんでここまでするんだ――と言いたいのだろう。それは私にだって分からない。分からないけど、あえて言葉にするなら「好きだから」だと思う。確かに私は百之助さんに頭を撃たれた。酷いことばかりする百之助さんを好きで居続け、どうしてだと問われた時も私は同じ言葉を言った。そうすれば百之助さんは「お前を撃ったらどういう気持ちになるかな」と不敵に笑い銃口を構えたのだ。

「あの後、どういう気持ちになりました?」
「……知らん」

 私の問いにはまともに答えず、ベッドにその身を投げだす百之助さん。そのまま腕を目へと押し当て「もう帰れ」と私を突き放そうとしてくる。……やっぱり私は今も昔も変わらない。そうやって自身に向けられる気持ちを跳ねのけようとしてしまう百之助さんのことが、どうしようもなく好きなのだと思ってしまうらしい。

「私、どうも百之助さんから離れられないみたいです」

 観念したように笑いを零せば、腕の隙間から百之助さんの瞳が覗く。その眼光には力強さが宿っていて、思わず息を呑んだ。そうして続く「じゃあ、」という言葉によって私の体はベッドの中に引きずり込まれ、あっという間に百之助さんに組み敷かれるような体勢へと変わる。

「俺に何をされても文句は言えねぇだろ」

 じっと合わさる瞳。思えば私たちは、こうやってまじまじと向き合うことなんてなかったような気がする。百之助さんの目は、いつもこんな風に彷徨っていたのだと今になってようやく分かった。

「そうやって傷付けることで愛情を確認しようとするのは、やめませんか」
「……あ?」
「ちゃんと、互いを知ろうとしたいです。……この世ではそれが出来るんですから」
「うるせェ」
「あっ、」

 百之助さんの顔が降ってくる。そうして降ろされた唇は私のもとへは来ず、代わりに首筋に舌を這わされた。その行為も私の口を塞ぐには充分過ぎる程で、キュッと口を噤み飛び出しそうになる気持ちを瞳を閉じて耐えていれば。体全体に鉛を落とされたような圧迫感が襲った。

「……百之助さん?」

 そういえば。昔から百之助さんはこういう行為に疎い節はあった。慣れないことをしたのと、アルコールを入れて体力が限界だったのだろう。気を失うように眠る百之助さんは、首元で少し荒い息を吐いている。昔もよくこうやってバレないように百之助さんの頭を撫でていたなぁと思い出しつつ、ゆっくり頭を撫でてみれば百之助さんの寝息が少しだけ穏やかになった気がした。そのことに安堵しどうにか下から這い出てみれば、百之助さんの額に薄っすら汗が滲んでいるのが見えた。……1人になんて、出来るわけないんだよな。



 床の固い感触がない。そのことを不思議に思い目を開けば、昨夜百之助さんが被っていたブランケットが目に入る。それを掴んですうっと匂いを嗅げば、ここが百之助さんの家であることを認識する。……そっか、百之助さんがベッドに寝かせてくれたのか。そのことを自覚すれば堪らなく嬉しくなって、顔をベッドに擦りつけていれば「おい。汚ねぇ顔押し付けんな」と冷たい声で背中を刺された。

「……すみません」
「顔くらい洗ってこい」
「はい、」

 通常運転に戻った百之助さんを見て、ホッとするような悲しいような気持ちになる。その気持ちを出してしまえば舌打ちまでオマケされることが分かるので、それを喉元に押し留めベッドから起き上がり洗面台へ向かう。そうして向かった洗面台には、恐らく新品であろう歯ブラシセットが置かれていてつい胸がギュンっと脈打った。……もしかしてこれは、百之助さんが私に買って来てくれたのだろうか。
 確認する前に使うのは申し訳ないので、それには手を付けないまま身なりを整え百之助さんのもとへと向かえば、テーブルの上に白い袋と共にサンドイッチやらおにぎりやらお茶やら水やらが溢れていた。

「適当に食べろ」
「すみません……ありがとうございます」

 その中から1つ取って手を合わせれば、百之助さんもおにぎりを手にしそれにかぶりつく。しばらく黙々と食べ続けていれば、なんだかこの状況がおかしくなってつい「ふふ」と笑いが零れてしまった。

「なんだ」
「なんだか、とても嬉しくて」
「……飯食ってるだけだろうが」
「それが嬉しいんです。……食事をするだけってことが堪らなく嬉しくて」

 零れる笑みの根源を打ち明ければ、百之助さんは自身の頭に手を当て髪を撫でつける。きっと百之助さんは私の言う言葉をイマイチ理解してくれてはいないのだろう。どうしてこんなことが――と不思議に思っているのが分かって、その様子がおかしくて再び零れる笑み。その笑みを浮かべる私の表情はどうやら嬉しさを表しているらしく、百之助さんの瞳がその表情をじっと見つめている。
 百之助さん。こうやって百之助さんとご飯を食べることに、幸せを感じる人間だって世の中には居るんですよ。百之助さんの瞳を独占する私は今、百之助さんにどういう感情を与えていますか?

「おい、」
「はい」
「……服なら貸してやる。風呂も入ってけ」
「良いんですか?」
「顔も汚かったが服も汚ねぇだろ」
「……ソウデスネ」

 ぶっきらぼうに吐き捨てる言葉に少し複雑な気持ちになるけれど。こうして追い出すことはしない様子に何倍も幸せな気持ちを与えてもらえるから。何度も何度もその喜びを微笑みとして溢していれば、百之助さんの口からも小さな笑みが落ちた気がした。

「今、笑いました?」
「うるせぇ」
「あの、洗面台にあった歯ブラシ。良かったら今日お借りしたあと、置いて帰っても良いですか?」
「……好きにしろ」

 吐き捨てるように言う百之助さん。その言葉に私はまた、堪らなく嬉しさを覚えてしまうのだ。だって私には、その言葉が傷付ける以外の方法を探し始めたように思えたから。

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