Reheat Me

 朝、ベッドで目を開いた時から体の異変を感じとる事ができた。いつもならスムーズに枕の間から顔を上げてそのまま起き上がる事が出来るのに。朝はそれが出来なかった。それ所か、意識が覚醒しているのにまだ夢の中にいるような感覚、ずきずきと痛む頭と喉。その状況から全てを察し、側にあるスマホの電源を入れ、緑色に光る画面に目を瞬かせながら孤爪研磨と表示される画面にメッセージを送り、もう1度意識を手放した。



「……ん、」

 風邪で弱る体が欲するがままに随分と長い間眠っていたらしい。次に目を開いた時には閉め切ったカーテンからオレンジ色の光が零れてきていた。スマホの電源を入れると16:20と表示されており、さすがに寝過ぎだろうと自分でも睡眠の深さに笑いが出る。

 そして笑いと共に喉の息苦しさを感じ、その苦しさを咳で紛らわす。咳をしながらスマホの通知を見ていると朝、意識を手放してから直ぐの時間差で孤爪からの“分かった。クロが風邪なんて何年ぶりだろうね。どうせ直ぐ寝るだろうから、クロの親には俺が言っとく”と幼馴染らしい返事が来ており、それで自分の額に貼られた冷却シートの理由が分かる。

 その事に感謝をしつつ、他の通知に目を通すと、“音駒男子バレー部”と名前の付いたグループトークからの通知が多く、そのほとんどが灰羽の物で埋まっており、途中で読むのを辞める。スマホから目を離し、喉の渇きを潤そうとこの日初めてベッドから起き上がり、部屋を出た。



 今日は家族全員出かけているらしく、家の中はシンと静まり返っていた。その家に黒尾が開けた冷蔵庫のドアの音が響く。
 ドアを開けるとそこにはスポーツドリンクやゼリーが置いてあり、“仕事あるからこれくらいしか準備出来なくてごめん”と親の字で書かれたメモが一緒に貼ってある。
 ありがとな、と感謝しつつペットボトルを持って椅子に座り、それを一気に飲み干す。流れ込んでくる水分の心地良さを感じ、明日は行けそうだと体の軽さから思う。そして立ち上がりながらペットボトルを潰し、鼻を1つ啜るのと同じタイミングで来客を知らせるインターホンが音を鳴らす。壁に掛かった機械の前に立って通話ボタンを押した時、その人物を見て「みょうじ?」と声が漏れる。その声が鼻声で自分でも少し驚いた。

「あっ黒尾、起きてたんだ。今日学校で配られたプリント類、届けに来たんだけど。ポストに入れとこうか?」
「あーいや、今行くわ」
「うん、分かった」

 もう1度通話のボタンを押し、玄関へと歩を進めてドアへと手をかけてみょうじと面会する。

「よっ。調子どう? 黒尾が風邪なんて珍しいね。てか、半纏って、おじいちゃんかっ!」
「うっせーな。風邪の時は半纏ってばあちゃんから習っただろ。てか、なんでみょうじがここに?」
「なんか大事なプリント配るの忘れてたって担任が言い出してさー。今日中に渡したいらしくって、“みょうじは確か黒尾ん家通り道だったよな?”とかご指名入っちゃって。それで、届けにね。そういうワケで、はい、これ」
「おう。悪ぃな。ワザワザどーも」

 渡されるプリントを握ってもう1度みょうじの顔を見てお礼を言うと「なんか……髪型違うね」と頭の方へと視線を向けながらみょうじがしみじみと言ってくる。

「あぁ、確かに。寝方が普段と違ったからな」
「えっ? 寝方で髪型決まるの?」
「おう、まぁな」
「何それ、黒尾の髪質って面白いね! 今度他のバージョンも見せてよ」
「高く付くぜ?」
「あっ、じゃあいいでーす」
「おいそこは乗れよ! 人と話すの久々過ぎてテンション変なんだよ」
「何よそれ。そんな事で熱ぶり返しでもしたら、バレー部が大変でしょ! リエーフくん、教室に来て騒いでたよ〜」
「は? まじかよアイツ……。通知もうるさかったけど、教室にまで来るかよフツー」
「あはは、でもリエーフくんなりに心配してるんじゃない? まぁ結局最後は夜久くんが回収してたけど」
「うわぁ……その光景目に浮かぶわー」
「でしょ? まぁそんなワケだから! 今日は大人しく寝る事! 分かった?」
「はいはい」
「はい、は1回ってばあちゃんから習わなかったー?……まったくもう。んじゃ、私はこれで帰るね」
「へいへい」

 顔をムッとさせた後、「んじゃね!」と玄関の階段を下りていくみょうじを見送っていると「あっ!」と声をあげてこちらを振り向き、また階段を上ってくる。

「どした?」
「これ! 差し入れ! 良かったら食べて!」

 ずいっと差し出された袋を勢いに押され受け取るとガザっとビニール音が鳴る。

「また明日ね!」
「えっちょっ、おい!」

 満足そうに笑って今度こそ階段を下りて帰ってしまったみょうじの姿は見えなくなり、みょうじに渡された袋だけがその場に居残る。その袋の重みを感じ、中を覗いてみると先程冷蔵庫に入れてあったスポーツドリンクと味違いのゼリーが入っており、ゼリーの方に“黒尾の風邪がどっかに行きますよーにっ!”とみょうじの整った字と一緒に決して可愛いとは言えない猫の絵が描かれたメモが貼ってあり、思わず笑みが零れる。

「もう腹タプタプだっつーの」

 そんな事を言いつつも、これならもう1度風邪を引いてみるのもありかもしれない、と子供じみた事を考えてしまうのは、多分風邪のせいだと黒尾は思った。

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