蝶よ、花よ、

 傾けた如雨露から細分化された雫がシャワーのように降り注いでゆく。晴天のもと、滴る水分をキラキラと弾き返す花弁を見つめていれば、ほんの少し気持ちが解れるのが分かる。

「……ふぅ」

 それでも、私の口から零れる吐息から重みが外れることはなく。決して今の状況に不満があるわけではない。嫌悪もしていない。ではなぜ――そう問われると複雑な自分の内情を打ち明ける必要があるけれど、そう易々と打ち明けられるものでもなく。

「待たせた」
「扉間様。私が早めに来ただけですので、どうかお気になさらず」
「この花の名はなんという」
「ベゴニアといいます。葉の形がハートの形をしていてとても可愛らしくって……あ、も、申し訳ありません」
「なぜ謝る」
「訊かれてもいないことまでペラペラと申し上げてしまいました……」
「構わん。話したいことを申せば良い」
「は、はい……」

 約束していた時刻ピッタリに現れたお方は、その赤い瞳を揺らがすことなく真っ直ぐと私を見据える。その射抜くような視線に自分の視線を絡ませることも出来ずひっそりと落とした視線の先には、眩しいくらいの輝きを放つ花びらたち。先程まではその輝きに気持ちを励まされたというのに。今は眩しくて直視が出来ず、私の視線は行き場をなくし漂うしかない。

「時間も惜しい。行くか」
「あ、はい」

 視線を誘導するように放たれた言葉。その言葉に目線をあげてみれば、扉間様のお姿は既に木の下へと向かわれていた。扉間様の貴重なお時間を無駄にしないよう、私も慌てて駆けよれば意外にもすぐさま扉間様に追いつくことが出来た。



「美味いな」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはワシの方だ」
「そんな……滅相もございません」

 扉間様はお忙しい身であられる為忍者学校を空けられていることもあるけれど、そうでない時は必ず指定された時刻に待ち合わせ場所に現れる。そうしてお決まりの場所となった木陰に腰掛け、2人して昼餉を食すこの行為はもう何度も行われている。
 忍者学校の設立者――いや、もっというなればこの木の葉の里の創始者様。そんな偉大なお方が私なぞが作った握り飯を1つ2つと口に運ぶその様は、やはり慣れないしこの時間ですら畏れ多い。

「なまえ、疲れているのか?」
「い、いえっ。そのようなことは……」
「顔色が優れん。熱でもあるでのではないか?」
「ひぅ、」

 周りは私の状況を羨望の眼差しで見つめる。私だって客観的に見れば“良いなぁ”と思ったかもしれない。ただ、私は生憎その物語の当事者になってしまったのだ。“良いなぁ”など呑気な感想を抱けるはずもない。なにせ、相手は偉大なる千手扉間様なのだ。

 忍者学校の事務員として雇われた私の仕事。その中に含まれる花壇への水やりは、花が好きな私からしてみれば楽しみといえる仕事だった。毎日こつこつと水と手間をかけてやれば、その分花々も色とりどりの鮮やかさで返してくれる。その時間を慈しんでいる時、唐突になげかけられた「付き合ってくれ」という言葉。まさかそれが“恋仲になって欲しい”という意味合いを持つものだとは思ってもおらず。
 訳が分からぬまま頷いたあの日から、こうして扉間様と過ごす時間が私の生活に組み込まれた。

「なまえ、もう少し力を抜け」
「で、ですが……。も、うしわけありません、」
「……なまえよ、ワシが怖いか?」
「うっ、いやそのようなことは……」

 そのようなことはございません――とハッキリ伝えることが出来なかったのは、扉間様の手が額に触れた瞬間、体全体をガチガチに固くしてしまった自覚があるからだ。扉間様程のお方に口先だけの偽りなど、述べるだけ無駄だと分かっているからこそ。それらしい言い訳を伝えることも出来ず、また1つ申し訳なさが募ってゆく。

「申し訳ありません……」
「なぜ謝る」
「それはその……扉間様のお気を悪くしてしまっているのではないかと、」
「気を悪くしているのならば、ワシは毎日のようになまえのもとを訪れなどしない」
「は、はぁ……」
「……申し訳なさを感じるのであれば、ワシの方だ」
「え?」

 ようやく合わさった視線。その先にある真っ赤な瞳は、思ったよりも冷たくはなく、この木陰のような暖かな火を思わせた。その熱に強張っていた私の身体がほぐされてゆく感覚を味わいつつ、扉間様の言葉の続きを待つ。

「己の癒しの為に、なまえの時間を割いているのだからな」
「えっ、」
「なまえが居なければ、花壇に咲く花を美しいと愛でることもしなかった。飯など腹を満たせればそれで良いという考えが覆ることもなかった」
「扉間様……」
「ワシにとってなまえは、それだけ特別な女子だ」
「そ、そんな……畏れ多い、」
「そんな謙遜するな」
「ですが……、」
「ワシが見初めた。それだけでなまえは充分特別な女子だ。……それではなまえの自信にはならぬか」
「……っ、」

 傲慢にも聞こえる言葉。ただ、相手はその言葉を放つに相応しいほどのお人なのだ。そのようなお方からこれだけ身に余る言葉をかけて慈しんでもらえるというのは、形容しがたいほどの喜びを生む。

「1つだけ……望みを申し上げても良いでしょうか」
「なんだ。言いたいことを申せば良い」
「花を贈ってくださいませんか?」
「花?」
「はい。扉間様の想いを形として頂ければ……もう少しだけ、自信をつけられるような気がして……」
「花か。考えておく」
「ありがとうございます」

 今度こそ瞳を絡ませ、見つめ合うことが出来た。そうして見つめ合う瞳からは、確かな愛情を感じとることが出来るから。少しだけ出過ぎた願いをしてしまったかもしれないと、後悔のようなものが芽吹きそうになったけれど。その芽は、数日後に大きな大きな花束を抱えて現れた扉間様の恥ずかしそうなご様子が摘むことになる。

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