意気地なしの恋人

 私は、意気地なしだ。

 そんな意気地なしが、十数年生きてきた中でたった1度だけ、勇気を出した。

「澤村くんが……す、き……です……」

 森林の中で鳴く小鳥のさえずりくらいの小さな、小さなか細い声。その声を澤村くんは丁寧に拾い上げて「ありがとう」と笑い返し、私の彼氏になってくれた。私の人生に起こった、最大級の奇跡だった。

 だけど私は、意気地なしだ。

「みょうじ!」

 澤村くんは人生の片隅を歩いているような私をちゃんと見つけ出してくれる。そして、大きな声で私の名前を呼んで笑いかけ、手を振ってくれる。眩しいくらいの笑みを浮かべ、垂れた目尻には優しさを滲ませて、声色には甘さを含ませて。澤村くんは、私に全身全霊の想いを伝えてくれる。

「……あれ?」
「ご、ごめん……」
「え、あ、」

 その想いを受け取れるほどの自信がない。澤村くんが想ってくれている分だけ私だって想っている。けれど、それを伝える勇気がなければ、応える強さもない。澤村くんはいつだって私と向き合おうとしてくれるのに、それから逃げ続ける毎日。……告白したのは私の方なのに。いつも澤村くんを困らせてばかり。

 意気地なしのクセにどうして勇気なんか振り絞ったんだ。



「みょうじ」
「……っ、」

 いつもみたいに逃げられなかったのは、いつも通りじゃなかったから。

「話、良い?」
「……うん、」

 ばったり会った廊下じゃなくて、私を待ち伏せていたから。

「あそこの空き教室、入ろう」
「……う、ん」

 澤村くんの声が、いつもよりぐんと低かったから。

「あのさ、俺たち、付き合ってるんだよな?」
「…………うん」

 澤村くんが何を言おうとしてるか、分かってしまったから。

「みょうじは俺のこと、好き……なんだよな?」
「…………、」

 私が、ちゃんと想いを口に出していれば。澤村くんの想いに応えていれば。澤村くんは、こんな悩みを抱えなくて済んだ。訊きにくそうに訊きにくいことを口にすることもなかった。澤村くんの凛々しい顔つきが歪むこともなかった。澤村くんにこんな思いをさせることもなかった。……違う。意気地なしが、勇気なんて出さなければ。はじめから、こんなことにはなっていなかった。

「……ごめん、」
「……いや。人の気持ちは変わるもんだし、仕方ないよ」

 澤村くんの、笑った時にくしゃっとなる顔も、何か考え事をしてる時の顔も、ガッチリとした肩幅も、伸ばしてない爪も、私と違ってお腹から出る大きな声も、自分だけじゃなくてみんなのことを考えようとする性格も、時々忘れ物をしちゃう所も、同級生と張り合ってムキになっちゃう所も。
 何もかも。ぜんぶ、ぜんぶ好きなのに。今目の前に居る澤村くんだけは好きだって言えない。こんなに苦しそうな顔をさせたのは、私という意気地なしのせい。

「……ごめんなさい」
「良いって。これからは友達として――って……えっみょうじ?」

 制服の裾をぎゅうっと握りしめてももどかしさは消えてくれなくて、どうしようもなくなって、下げた顔から涙がポタポタと落ちてゆく。涙じゃ、本当の想いを伝えることなんて出来はしないのに。

「ごめんなさい……」
「えっ、えっ……えっ、ちょっ、泣っえっ、」

 だけど、涙が奥底に居座る想いを引っ張り上げ口先へと運び込む。

「私なんかが……澤村くんのこと……好き、になっちゃって……ごめ、ごめんなさい……」
「みょうじ……」

 涙に連れられ外に出た想いは涙によって邪魔される。しゃくりあげうまく言葉を紡ぐことが出来ない私の声を、澤村くんは丁寧に拾い上げ「俺のこと、まだ好きでいてくれてるんだよな?」と形にしてみせて、それに頷きを返せばいいだけの状態にしてくれる。
 どうして、澤村くんには私の本当の想いが伝わるんだろう。どうして、澤村くんは私のことを真っ直ぐ見つめてくれるんだろう。どうして、こんな意気地なしな私を見捨てずに受け入れてくれるんだろう。

「俺もみょうじのこと好きだ」
「さわむらくん、」
「声かける度に避けられるとさすがにちょっと傷付くけど、みょうじが俺のこと好きでいてくれてるなら、今はそれで良い」
「で、でも……」
「ゆっくりで良いよ。俺も、みょうじのペースを学ぶから」
「澤村くんは……それで良い、の……?」
「おう。みょうじのこと、大事にしたいし」

 澤村くんがこういう人だから。私は好きになったんだってまたこうして思い知る。私の意気地のなささえ受け入れてみせる人だから。そういう人だから――澤村くんだから、私は勇気を振り絞ろうと思ったんだ。

 澤村くんが、大好きだから。

「まぁでも。正直、めちゃくちゃホッとしてる。俺のこと好き? って訊いて、“ごめん”が返された時は目の前真っ暗になったよ」
「……ごめんなさい、」
「いや、俺こそすまん。俺も思い詰めた顔しちまってたし」
「澤村くんにそんな顔させたのも、私だから……ごめ「もう謝るの禁止」……ご、ご……」
「ごめん以外のワード、出せるように練習しような」

 そう言って頭に手を置く澤村くんの顔がゆるやかに笑っていたから、私もつられて笑顔になる。そうすれば澤村くんは少しだけ目を見開いたけれど、もっと顔をクシャクシャにして見つめ返してくれる。

「……すき、です」
「うん。俺も」

 私は、意気地なしだ。

 だけど、澤村くんの前だけではちょっとだけ勇気が出せる。

「澤村くん、だいすき」

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