いつかの約束

「買い物付き合って」

 こういう言い方をなまえがするのは珍しい。いつもはもっと「車出して」くらいの言い方なのに。……なんというか、しおらしい。普段とは違う様子に思わず眉根を寄せて訝しれば、「ちょっと」と頬を膨らませながら肩を叩かれた。

「つーかどこだよ? 必要なもんは取り寄せれば良いだろ」
「良いじゃんたまには。出かけたい気分なの」
「まぁ、良いけど」

 ふっと溜息を吐き、車の鍵を手に取ろうとすれば「あ、待って待って」と待ったをかけられた。視線で意図を問えば、「久々にバイク乗りたい」と少し予想外の言葉を出すなまえ。……バイクか。最後に乗ったのはいつだっただろうか。学生時代はほぼ毎日乗っていたというのに。

「……だめ?」
「……いや、別に良いけど」
「へへっ、ありがと」

 乗らなくなったとは言ってもメンテナンスは欠かさなかった愛機。今の自分にはゴキに乗る資格などないのではないかと思って足が遠のいてしまっていた。それでも、なまえの希望を聞こうと思えたのは、この先ゴキに乗る機会もないかもしれないという思いもあったから。――久々のゴキ。そう思うと、ここ最近沈み気味だった気持ちが少し風になびく気配がした。



「きーもちぃー」
「あー?」
「なんでもなーーい」
「あ?」
「へへっ」

 後ろに乗るなまえの言葉はうまく聞き取れないが、楽しんでいることは容易に分かる。腹に回された腕にぎゅっと力がこもっているのがその証拠。……昔はこんな風に密着するのが恥ずかしくて、中々なまえを乗せることが出来なかったっけ。

「あ、あと場地さん」
「場地さんがどうしたの?」
「……いや、殴られんじゃねーかって。不安だったなぁ、なんて」
「あー……んー、千冬がどうしてそう思ったかは知らないけど、場地さんなら有り得たかも。千冬よく殴られてたし」

 信号待ちの隙間で交わす会話は、自然とこのバイクの本来の持ち主の名前が多くなる。俺となまえは場地さんと3人でよくつるんでいたから、場地さんのことはなまえと2人きりになってからもたくさん話した。……そういえば、こうやって場地さんの話をなまえとすんのも久々だ。
 場地さんが居なくなってからもしばらく俺となまえはダチで居続けたし、こうして恋人になるまでにもそれなりの期間を要した。もしかしたらなまえとダチのままだったら、もっと早くになまえのことをゴキに乗せていたかもしれないと思う反面、後ろに乗せる女はなまえしか居ないとも思っていたし、初めては“彼女”を――という密かな願望もあったので、今考えると願ったり叶ったりになっているなと思う。

「まー、今なら殴られても良いかもしんねぇ」
「……何言ってんの」

 まだ早いって――となまえが言ったような気もするけど、その言葉は信号が変わってから吹かしたエンジン音で掻き消した。



「なぁ。これこそ取り寄せるべきっつーか、車で来るべきっつーか」
「大丈夫大丈夫」

 そう言いながらなまえの腕にはもう5冊の漫画が積まれてゆく。そうして「あっ」と溢れた言葉と共に、それまで抱えられていた漫画が買い物カゴの中に吸い込まれていった。……本屋に買い物カゴなんてあったんだな、などと頭の片隅で思いつつなまえからその買い物カゴを奪う。にしても。こんだけ大量の少女漫画、全部読むのにどんだけかかんだ? ……つーか懐かしいやつもあるな。学生時代なまえに「黙ってコレを読め」と押し付けられたやつ。思えば、そっから俺自身も少女漫画読むのにハマったんだっけ。

「場地さんも読んでたよな」
「あー、そうそう! 絶対読まないだろうって思ってたのに、意外とハマった漫画には誰よりものめり込んでたよね」
「ハハッ、そうそう。“ライバルの男ぶっ殺してぇ”って目ぇ血走らせてたこともあったな」
「あったあった」

 昔話に花を咲かせては思わず緩む頬。……やっぱ場地さんはすげぇな。思い出になっちまった今も、こうして気持ちを緩ませてくれる。遠い昔に置いてきたと思っていた気持ちを取り戻させてくれる。……場地さんが作った東卍だからこそ、守りたいと思える。

「ね、千冬」
「ん?」
「……持って帰れるかな?」
「…… なまえが買ったんだからな」
「ちょっと買いすぎちゃった」

 会計を終え、両手いっぱいの漫画を見て苦笑いを浮かべるなまえ。そんななまえに「責任持てよ」と吐き捨てながら袋を奪い、駐輪場へと歩き出せばなまえが「千冬ぅ〜」と甘えた声であとを追ってくる。
 コイツには俺が必要なんだろうな、とこういう瞬間にふと思う。……そして、それは俺自身にとっても同じことが言える。俺たちはずっと互いを必要としてきたし、これからもそうだと信じている。――でも俺たちは、もうそれだけは済まされない日々を重ねて大人になってしまったのだ。

「なぁ」
「んー?」
「なまえの隣、誰にもやるなよ」
「……は? 何急に」

 それでも。それでも、ゴキの後ろはなまえのものだけであるように、なまえの隣は俺だけのものであって欲しい。そう願うことを、その願いをワガママとして伝えることを、どうか許して欲しい。

「ごめんな、こんなこと言っちまって」
「……なんで謝んのよ。安心してよ、私だってそのつもりだから。約束してあげる」
「……そっか」
「てか、そういうのは私に言うんじゃなくて、自分自身で実行してよね」
「……悪い」

 短く返す言葉は謝罪の意味を持ったもの。その言葉には、もうなまえも何も言葉を返すことはしなかった。



 呼び出しがあったのは、それから数日とない日のこと。あの日必死の思いで持ち帰った少女漫画に、俺自身はあまり手をつけられずにいたことを少し後悔しつつ、呼び出しに応じる為の準備を整える。

「呼び出し?」
「おう。夜に幹部会が開かれることになった」
「……そっか。漫画、千冬全然読めなかったね」
「……だな」

 手早く準備を済ませ玄関に向かえば、「案外早かったね」と言いながらなまえがあとをついて来た。なまえの言う“早かった”は何を指して言っているのかは、なまえが“ゴキに乗りたい”と言ったあの日に分かっているので訊くことはしない。代わりに「ありがとな」と礼を述べれば、なまえの顔が一瞬くしゃりと歪んだ。

「漫画の感想、誰に言おうかな」
「……供えてくれよ。俺、あっちで場地さんと一緒に読むから」

 決定的とも取れる言葉を放てば、なまえの顔は完全に俯いてしまった。でもそれも一瞬のことで、次の瞬間には満面の笑みを浮かべ、なまえは口を開く。

「もし、生まれ変わりとかが本当にあるなら。私は千冬の運転するバイクにもう1度乗りたい」
「……俺も、なまえ乗せてツーリングに行きてぇ」
「じゃあ、その時までの約束ね」
「……おう」
「私も、あの約束、ちゃんと守るから」
「……ありがとな」

 どちらからともなく体を寄せ、今度は向かい合った状態で腕を背中に回す。スーツに皺がつくんじゃねぇかってくらいなまえの指に力がこめられているのが分かったので、俺もそれに負けじとなまえの背中に回した腕に力をこめる。愛おしくて堪らない存在をこの手で抱きしめることが出来るのも、今日で最後だ。……あぁどうしよう。離したくねぇ。生まれ変わりとかそんなんよりも、今この瞬間が止まる奇跡を望んでしまう。……でもそれは、ただの逃げだと分かっているから。

「じゃあ。そろそろ行くわ」
「……千冬、」
「ん?」
「これから先――生まれ変わった先でも、ずっとずっと。私は千冬のことが好きだよ」
「俺も。なまえのことだけが好きだ」
「……行ってらっしゃい、千冬」
「おう。行ってきます」

 なまえという存在のおかげで、俺は約束を果たすことが出来る。それが、いつになるかは分かんねぇけど。いつか、必ず。だって、そうなまえと約束したから。

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