Regain summer

「夏、取り戻さない?」

 なまえが唐突にこんなことを提案してきた。とはいっても、夏という季節は取り戻すものでない。なんなら夏は4つの季節のうち、それなりにうんざりする長さで人生を支配してみせる。し、ちょうど今がその“夏”と呼ぶに相応しい時期だ。

「暑さにやられたか?」

 少しの間を置いて尋ねた言葉に対し「別にやられてない」と拗ね気味に言葉を返され、更にはジト目まで付けられてしまった。心配したのにこの仕打ちか――と少しムッとする心を宥めつつ、「じゃあどういう意味だ?」と穏やかな口調で辛抱強く尋ね続ける。こういう時、警察という職に就いたことにありがたみを感じる。……なんて言ったら怒られてしまうかもしれないが、事実、忍耐力を鍛えられたおかげで些細な喧嘩の数は減っている。とはいえ、なまえに警察官の彼女を務めてもらっているという点では、なまえにも忍耐を働かせてしまっているわけだけども。

「なんかさ、学生の頃の方が夏を身近に感じてたじゃん?」
「……そう、か?」
「毎日暑い思いをしながら登下校したり、クーラーの効かない場所で必死に下敷き仰いで風を送ったり、制汗剤で汗を紛らわせたりしてた」
「あぁ、まぁ、そうだな」

 なまえの言葉に学生の夏を思い出す。もう遠くなってしまった日々だというのに、今でも耳の奥からはうるさくて堪らなかったセミの鳴き声が轟いてくるから不思議なものだ。……そういえば、最近はセミの鳴き声すらまともに聞いていないかもしれない。

「だからさ。夏、取り戻さない?」

 もう1度同じ言葉で尋ねてくるなまえ。今度はその意図を汲み取ることが出来て、思わず破顔する。なまえの顔が、学生時代の彼女に戻っていたから。

「取り戻すっつっても、どうやって?」
「それは――」



「あっついな……」
「ねー。私ちょっとギブかも」
「おい。なまえが言ったんだぞ」
「……はぁい」

 俺たちは一体何をしているんだ。
 こんな猛暑日に、エアコンの効かないベランダにシートを敷いて2人して座り込んでじっとしているだなんて。誰かに見られたら間違いなくぎょっとされるだろう。ここが5階で良かった。……とはいっても5階は5階。 上に行けば行く程熱は上昇するというもの。さすがに日陰に居るとはいえ、中々の苦行を強いられているような気がしている。……学生の頃はこんな夏の日差しのもとでよく体を動かしたものだ。

「……アイス、食べない? さすがに」
「食べる」

 よしっと弾む声と共になまえが引き戸を開けて部屋の中へと駆けこむ。……というか、律儀に閉めなくても良いのに。そんな俺の気持ちを見透かしたのか、引き戸越しのなまえの顔が悪戯に笑う。その笑みによってなまえの意地悪に気付き、目に力をこめてみせる。そうすればなまえは慌ててアイスを2つ冷凍庫から取り出し、「これ、大地が好きなヤツ。こないだ買ってたんだ」と擦り寄って来る。溜息を吐いてみせたが、本気で怒ってはいないことなど、なまえはお見通しのようだ。

「……ここ数年でぶっちぎりのウマさだ」
「ねっ。めちゃくちゃ沁みるわぁ」
「あぁ、だな」

 2人して目を細めアイスの冷たさを味わう。キーン、と冴え渡る冷えが頭の痛みを予感させる。……あぁ、この感じも懐かしい。隣ではいち早くアイスクリーム頭痛が訪れたのか、なまえが「んー!」と唸り声をあげている。その声を笑い、「ゆっくり食べなさいよ」と窘めてやれば「でもこれが醍醐味でもある」としたり顔で応えられた。なまえにとって、冬の醍醐味は俺が買ってくる肉まん。それは大人になった今でも変わらない。でも、夏の醍醐味はここしばらく味わってなかった。そのことに気付いてしまえば、この茹だるような夏の日差しも、じとっと張り付く服も、エアコンには敵いそうもない団扇も、全て悪くはないと思える。……たまになら、ベランダで味わう夏も良いかもしれない。

「わー! もう無理!」

 太陽に視線を移した瞬間、なまえが声をあげて後ろ手で戸を開けた。そうしてバタっと倒れこみ、上半身を部屋の中へ預ける。そうして吐き出される「すーずしー」という声。その声から滲み出る切実さに思わず笑いが込み上がってきて、俺も伸びをすると同時に身体を部屋の中へと倒れ込ませる。目を閉じ、涼しい風で髪を揺らす科学の力を実感すれば、もはやベランダに戻りたいとは思えなくなってしまった。文明の利器の大勝利である。

「エアコンさいこう」
「……だな」

 なまえの言葉に同意を返せば、なまえの瞳もパチっと開かれ至近距離で見つめ合う。そうして続けられる「これも、夏の醍醐味」という言葉に、俺はもう1度「……だな」と言葉を返すのだった。この時間も、全て。夏の醍醐味だ。

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