カラオケボックス

「嫌になる……」

 准から吐き出された弱音。それはこの喧騒にまみれた小さな箱の中で漂い、私の手元に落ちて来た。いつもハツラツと笑う准が落ち込んでいる。その原因は少なからず私にもあるので、さてどうしたものかと私は私で准の隣で頭を悩ませた。



「嵐山さんじゃない?」
「ほんとだ! 嵐山隊長だ」

 三門市の有名人といえば――。そう問われた人のうち、誰かが絶対名前を挙げるであろう人物。それが私の彼氏、嵐山准。広報部隊といわれる嵐山隊の隊長なだけあって、見た目も性格も100点満点をつけられる男。そんな人が彼氏で、私の中に劣等感が湧き起こる――なんてこともなく。むしろ、准に選ばれたという点でとてつもない自己肯定感を准はくれる。そんな彼氏に劣等感を抱けという方が無理な話。

 准はいつだって人にマイナスな感情を与えない。それは、街中で出会った一般市民に対しても同じ。久々のデートで街中を歩いていれば、必ずといって良い頻度で准は声をかけられる。そして、声をかけて来た人全員に丁寧に時間を割き、特別なひと時を与えてみせる。私はそんな准を眺めるが好きだし、心のどこかで誇らしい気持ちさえ抱いていた。

「今日は特別多かったね」
「あぁ、日曜日だからだろうか」
「そうだね。平日に比べると人が多いかも」

 手を繋いで歩く道中。はじめは人目のつくところで手を繋ぐのは――と迷ったけど、「別に俺はなまえと一緒に居ることをやましいことだとは思わない」という言葉と共に准がその迷いを握りしめてくれた。それだけで私は充分だとも思ったけど、まぁ。そこは。私たちは付き合っているわけで。……まぁ、そういう気持ちにもなるわけで。

「……どうする?」
「あ、あぁ」

 そこを目的に歩いていたわけじゃないけど、ふと偶然出会ったホテル。そこで足を止めたのは一体どちらか。それを追究することはせず、2人して顔を見合わせる。……久々のデートということは、そっちも久しく“無い”ということ。握った手から2人の気持ちが等しいということは分かる。あとは、1歩目を踏み出せば良いだけ。

「あれって……」
「え、人違いじゃない?」

 准の足がホテルに向かって踏み出されそうになった時、遠くからこちらを指差す人が視界に入った。その指差しから逃げるように准の歩みがホテルから遠ざかる。繋いだ手につられるように私の歩みもホテルから離れ、気が付けば近場のカラオケへと逃げ込んでいた。そして隣に座る准から「嫌になる……」という言葉を吐き出されたのが数分前のこと。






「あそこで逃げるようなことになってしまって……すまない」
「んーん。准は広報部隊だし、イメージは大事だもん」
「だが……俺は、広報である前になまえの彼氏だ」
「うん、それはそうであって欲しいけど」
「……だが、これだとそうあるのも難しい」

 カラオケに来たのに、私たちは何も選曲すらしていない。そして皮肉なことにテレビには、ボーダーを宣伝する嵐山隊の映像が流れている。テレビ画面では快闊な姿を見せる准が、隣でこの世の終わりみたいな姿を見せている。……ちょっと、このギャップはおかしいな。

「んー。じゃあ准はボーダー辞めたい?」
「それは……、」
「私は、ボーダーで活躍する准が好き。市民を大事にする准が好き。ボーダーじゃない私の彼氏な准も好き」
「なまえ、」
「だから今日みたいなことがあっても、私は笑い話に出来るよ」
「でも俺は……、俺は……なまえと……その、」

 もにょもにょと言い淀む准。その姿がおかしくって、可愛くって堪らない。キスくらいなら良いだろうと唇を押し当てれば、准の肩がビクっと跳ねるのが分かる。唇を離す瞬間に鳴ったリップ音を耳に届けながら、「じゃあ」と提案する言葉。ここは周囲が騒がしいおかげで、目の前の准だけに集中出来る。それは准も同じようで、准も私の言葉をじっと待っている。……密会にはピッタリな場所だけど、もっと密着する為にはここはうるさすぎるから。

「換装体になるのはどう?」
「換装体……?」
「そしたら少しくらいなら見た目変えられるし、ラブホに行ってもバレないんじゃない?」

 言った後に気付くこと。准もそれに気付いたらしく、口をパクパクとさせている。……やっぱり、この提案はボツか。さすがに。

「トリガーホルダー持ってたらログでラブホ行ったのバレるか」
「体力が尽きないが……良いのか?」

 同時に呟いた言葉。数秒遅れで相手の言ったことを取り込み見つめ合う。私は、本部に行動範囲がバレることを心配した。准は……准のその心配は――。理解した瞬間、体がぶわっと熱を持つ。誤魔化すように笑って「え、するなら生身でしょ」と言ってみたけど、それが爆弾発言だってことは言った後にしか気付けず。

「そ、そうか。そうだよな。トリオン体でするなんて、勿体ないよな」
「もっ……、勿体ないの……かな」
「勿体ないだろう。なまえには俺自身の手で触れたい」
「そ、そか。……じゃあ勿体ないか」

 カラオケボックス、悪手だったな。2人きりだからこの気恥ずかしい空気から逃れられない。変な気まずさもどこかへ行ってはくれない。……まぁでも、さっきまであった重たい空気はどこかに行ってくれたから、悪手という判断は取り消そう。

「……てか、ログ問題だよ」
「それは別に構わない」
「えっ良いの? ボーダー関係者にバレるかもだよ?」
「一般市民にバレることには腰が引けてしまったが。ボーダー内部の人間にバレるくらいはなんてことないさ」
「でも……、注意されるかもだよ?」

 提案したくせに逃げ腰な私を准が笑う。マイナスな言葉を紡ぐ私の口を准はキスで塞いだ後、「すまないが、そこまでイメージを保てる程俺の理性は持ちそうにない」ととどめを刺されてしまった。そうして続く「次はそれで良いか?」という問い。その問いに私はそっと頷く。……やっぱりカラオケボックスは悪手だっただろうか。ここだと小さな頷きであっても、しっかりと准に気持ちが届いてしまうのだから。

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