「ノートは?」
「燃やした」

 おかしい。この男、頭おかしい。昨日は「明日返す」って言ってたのに。いざ貸したら帰らぬ物にしてみせた。しかも、“捨てた”じゃなく“燃やした”。1年生の時に被ってた猫はどこに行ったオイ。

「理由はもう訊かない」
「え、分かるの?」

 キッと場地を睨みつけていた視線をそのまま千冬に向ければ、千冬は少しだけ肩をビクッと揺らし動揺を零す。今じゃ千冬のが可愛い猫のようで、少しは場地にも見習って欲しいとさえ思う。
 千冬を見つめ、少しだけ気持ちを癒し「だって場地だよ? 理由なんか1つでしょ」とトーンを下げて言えば「あ? なんだなまえ。理由分かってんなら俺がそうすることも分かってたハズだろうが」なんて言い放つ場地。……コイツもっぺん留年しやがれ。

「あのさぁ、例えお腹が空いてたとして。私のノートを燃やすことで満腹になりますか? 眠たかったとして。その睡魔はノートを灰にすることでなくなりますか?」
「なくなんねぇだろ。お前バカなのか?」
「じゃあなんで燃やすんだバカ!!」

 下がった分だけ倍に跳ね上げたトーンは、教室中に響き渡った。私の怒声を浴びて、クラスメイト全員の顔に緊張が走るのが分かる。そして視線の先に場地を見据え、固唾を呑む雰囲気を気取る。それは私たちを1番近くで見ている千冬も同じで、「なまえちゃん、お、落ち着いてっ……」と宥めようと必死の様子。
 そしてこの場の中心に居る場地は、「イライラは多少なくなるかと思ったんだよ」という言葉で燃料投下ボタンを押す。私の額にブチィ! と血管が浮き上がるのを見た千冬が「なまえちゃん! なまえちゃん、」と必死にステイをかけてくれたから、どうにかビンタを張らずには済んだ。

「……もう過ぎたことは良い」
「なまえならそう言うだろーと思った」
「なまえちゃん、深呼吸。な?」
「……弁償はしてもらう」
「あ? だからもうねぇんだよ。ねぇものをどうやって返せっつーんだよ」
「開き直るな!」

 我慢出来ずぺチッと頭を叩けば、クラスメイトが凍り付いた。とはいってもそれは杞憂に終わり、場地は私のビンタを舌打ち1つで受けてみせる。……いやここで逆ギレでもしようものなら私だって出るとこ出るわ。

「俺、なまえちゃんの度胸尊敬する」
「千冬、場地にビビるのにも限界ってもんがあんのよ。私もそれなりに場地とクラスメイトやってきてるからさ」
「……羨ましい」

 場地と2年間同じクラスだってことをこんなにも喜ぶ千冬は、変わった趣味してるなと思う。……まぁでも、ガリ勉スタイルから本来の姿になった時、場地との付き合いをやめなかった私も変わったヤツなのかもしれない。

「中身は無理でも、ノートくらいはどうにか出来るでしょ」
「他人から巻き上げる」
「それしたら最終的に私が黒幕になるわ」
「黒幕だろうが」
「なまえさんっ、俺、一緒に買ってるくるから!」
「……ごめんね千冬」

 私の目が血走ったのを悟り、千冬が言葉の継ぎ手を名乗り出た。千冬にはいつも緩衝材の役割をしてもらっているなぁと申し訳なく思えば、「なんで千冬に謝る必要があんだよ」なんて呑気な声が場違いに放たれる。……場地のせいだっつーの。

「色は青ね」
「あ? 色なんかどうでも良いだろうが」
「だめ。青っていってもアレだからね、水色だから」
「違いが分かんねぇ」
「圭介くん。水色っていうのね、ホラ。お外を見上げてごらん。これが水色だよぉ?」
「きめぇ」
「んだとコラ」

 再び千冬が「水色ね。オッケー! 分かった!」と引き受けてくれたことでようやく終わりをみせた会話。周囲の人間もこれが私たちの会話の進め方なのだと理解したのか、注視も薄まった。さて。燃やされたノート。中身を誰に借りようか。クラスメイトに「貸して」と言った所で、怯えられないと良いけど。



「そのノート、結局使ってるんだ」
「……ね。あれだけ避けてたのに。……目障り過ぎて」
「そっか……」






 ノート事件の翌日。「おら」とまるで反省の色を感じさせない態度で手渡されたノート。差し出されたノートは、指差した空の色よりも何倍も深みのある色で。それは、水色というよりかは、どちらかというと藍色に近かった。腕を辿って場地の顔を見上げれば、「俺はもっと濃い方がカッケーと思ったけど。千冬がしつけぇから。間取った」と不機嫌そうに告げられた。

「お使いそっちのけで、自分の意見通そうとする辺りさすがだわ」
「あ? ちゃんと買ってんだろうが。なまえの目は節穴か?」
「ハァ〜!? あの瓶底眼鏡かけてるわけじゃあるまいし。節穴なワケあるか」
「瓶底眼鏡バカにすんじゃねぇ」
「なら今すぐかけなさいよ」
「バキバキに折った」
「……ほんとそういうとこ」

 溜息と共にノートを受け取ったものの。その教科は水色のノートと決めていたし、約束通りの色じゃないこともあって、わざとそのノートを使うことはしなかった。場地はそのことに一瞬腹を立てていたけど、次の瞬間にはすぐに忘れたような顔をして「またノート貸してくんね?」なんて笑うから。「誰が貸すか!」と目を吊り上げ肩パンを繰り出し、私も同じような顔で笑えたのに。……まさか、このノートが場地からの最初で最後のプレゼントになるだなんて。そんなの、誰も想像出来なかったよ。

「私、場地って死なないって思ってた」
「はは。……ちょっと分かるかも」
「尖った歯とか吸血鬼っぽかったし」
「格好良かったよなぁ。歯見せて笑う姿も、イライラしてる姿も。全部」
「……イライラしてる時はムカついてしょうがなかったけど」
「そっか。なまえちゃんはそうだったな」

 千冬と私の会話の終わり、落とされた視線の先では藍色のノートが待っている。どれだけ目につかないようにしても、引き出しに隠しても、このノートは存在を主張し続けて来た。それに気付かないフリをしたけど、そうすればするほどノートは無視出来ない存在になっていた。

「忘れようと頑張っちゃってる時点で、無理なんだよね」
「……無理だよ。あんだけカッケー人を忘れようだなんてさ」
「……確かに。あんな強烈な人間、後にも先にも場地だけだ」
「だな」

 ニカっとはにかむ千冬の顔を見つめ、ふと視線を窓の外へとずらす。今日も今日とて空は綺麗な水色をしている。けど、私にはその色が場地がくれたこのノートの色に見えてならない。私にとって今の空は、場地に焦がれる色をしている。

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