ヒーロー

 弱い自分が嫌で通い始めた道場。強くなりたくて頑張ってるはずなのに、私はここでも弱い者として扱われた。

「なまえ、組手しようぜ」
「……うん」

 同い年だっていっても相手は男の子。力の差なんて目に見えて分かってるし、私と組手したってなんの練習にもならないのに。先生が見てない隙を狙っては、よく標的にされている。やられっぱなしなのも、逃げるのも嫌だから私は何度もその誘いに乗っては負け戦を味わう。

「なぁ、オレとも勝負しよーよ」

 ある日、唐突に乱入してきた男の子。確か先生の孫で、万次郎くんっていったっけ。普段はまともに練習にも参加しないのに、どうしてだろう。私と男の子たちの間に割るようにして立つ万次郎くんは、「何? もしかしてビビってんの?」と挑発するように笑う。その言葉に分かり易く青筋を立てたお山の大将は、「ボコボコにしてやる」と万次郎くんを睨みつける。
 それまで私が立たされていたはずの場所に、いつの間にか万次郎くんが立っていて、私は気が付けば追い出されるような形でギャラリーになっていた。

「泣いて喚いても許してやんねーから」
「オマエ、ほんと弱いね」
「あ!? ――っ!」

 一瞬、万次郎くんが跳んだ。そうして蹴り出される右足は、男の子の顔面目掛けて一直線。その蹴りをモロに喰らった男の子は、泣き喚く間もなく意識を飛ばされていた。あまりにもあっという間過ぎて、誰も何も言葉を紡げず静まり返る道場。そこに「群れでしか行動出来ないやつらが威張ってんじゃねーよ」とつまらなそうに吐き捨てる万次郎くんの言葉だけが響いた。

「……すごい」

 遅れて出た独り言は、「こら万次郎! 何しとんじゃ!」という先生の怒鳴り声にかき消されてしまった。それまで漠然と“強くなりたい”と思っていた私に、万次郎くんという存在が強烈に刻み込まれる瞬間だった。



「万次郎くん、」
「マイキーだ」
「ま、まいきー?」
「オレはマイキーになったんだ。だからオマエもそう呼べ」
「……あ、うん。……マイキー、くん。お願いがあるんだけど」
「何?」
「私と組手してくれないかな」

 数日後、意を決して頼み込んだ願い。それは「え? ヤダよ。汗かきたくねぇもん」とバッサリと切り伏せられてしまった。そこを何とか――、そう頼み込んでもマイキーくんは首を縦には振ってくれなくて。何度かそのやり取りを続け、そこに色んな貢ぎ物を付け加えてみた数度目。

「ちょっとだけならいーよ」

 その言葉をゲットしたのは、貢ぎ物として鯛焼きを渡した時のことだった。そこから毎日鯛焼きを持参して道場に訪れ、マイキーくんと特訓を重ねて。他の人との組手では負けなしになった頃、私の転校が決まった。



「なまえさんにとって憧れの選手は居ますか?」
「憧れの選手……ではないんですけど、ヒーローのような存在が居ます」
「ヒーローですか」

 あれから随分時が経った。私は引っ越し先でも空手を続けて、今では大きな大会で優勝するくらいには強くなれた。それでも、思い出すのはただの1度も勝つことが叶わなかったマイキーくんのこと。……今ならマイキーくんと良い勝負が出来そうな気がするけど。マイキーくんのことだから、「汗かくからイヤだ」って断りそうだ。

「その方はどんな人ですか?」
「んー、もうしばらく会ってないので……。どうなってるか分からないんですけど、」

 インタビュアーの質問に、何度も想いを馳せ続けたマイキーくんを思い出す。……マイキーくんは今、どんな風になってるんだろう。今度、鯛焼き持って会いに行ってみようかな。……たとえどんな人になっていても、マイキーくんは私のヒーローに違いないのだから。

BACK
- ナノ -