春を待ち侘びぬ

 東北に生まれ、東北に育ったからといって、冬の寒さに慣れることはない。毎年律儀に気温を下げる地球に対し吐いた溜息は、今年も綺麗な白へと色を変え街の景色に馴染んで溶けてゆく。

「あ、繋心」
「おう」
「今年は去年より寒いね」
「だな」

 決して慣れはしないこの厳しさと共存する為に、人間はたくさんの衣服でその身を守り適応してみせる。とはいえ、自分の目の前に居るなまえはさすがに着飾り過ぎだろうと烏養は先程とはまた違った溜息を街中に放った。

「なまえ、その格好で転ぶなよ」
「えっ心配してくれてんの? やっさしぃ」
「その格好で転んだらコロコロ止まんねぇだろ。あっという間に雪だるまの出来上がりだな」
「……ばぁちゃんがこれも着ろあれも着ろって言うから」

 ぷくぅと頬を膨らませ反論を独り言ちるなまえを笑い、「代わりに雪道を散歩してくれる孫が心配なんだろ」と言葉を返せば、「まぁ、気持ちはありがたいけど」と寒さで固まった頬を少しばかり緩ませるなまえ。その足元で尻尾を振り、なまえを見上げていた犬が“もう良いだろう”と急かすように「ワン!」と短く鳴き声をあげた。

「あ、ごめんぽっち。行こうか」

 握っていたリードを持ち直し、ぽっち――飼い犬を見つめ、微笑んだなまえの口元から寒さにも負けぬ白が覗く。
 なまえの祖母は足が悪く、こうして雪が積もった日は孫であるなまえが様子伺いも兼ねて飼い犬の散歩に訪れることはもう何年と続く決まり事である。
 そこに烏養自身が加わるようになったのは、なまえと恋人になるより先かどうだったか――今となってはもう思い出せない。

「大体、なんで“ぽっち”なんだ?」
「んー、確か“ぽち”だとあり触れてるからとかそんな理由だった気がする」
「はっ、短絡的だな」
「名付けた当時は私もまだ若かったんですぅ」
「まぁぽっちも気に入ってるみたいだし、いんじゃねぇの」

 なぁ? と呼びかけた相手は威勢の良い声で返事を寄越すから。その返事に2人して気の抜けた笑い声をあげる。ぎゅっぎゅっと足元から鳴る雪音を楽しみながらのんびりと歩く街中は、寒いけれど決して嫌な気温ではない。

「南国に居る人たちって、この寒さを知らないんでしょ?」
「まぁ、常夏っていわれるくらいだしな」
「良いなぁ、常夏」
「そうかぁ? あっちはあっちで大変だろ」
「そっかあ、それもそうかも」

 呆気なく収束を迎えたこじんまりとした論争。そのことに溜息を吐くでもなく、不満を唱えるでもなく歩みは続く。そうしてひたすら歩く散歩道。冬は厳しいこともたくさんあるが、決して嫌なことばかりではないと烏養は日々実感している。吐き出す息は澄んだ空に良く映えるし、ピリっと張り詰めた空気を味わいながら歩くこの道は、こうして流れる穏やかな時間を助長しているようにさえ思える。

「ちょっと飲み物買って良い?」
「おう」

 なまえの指先へと方向を変え、辿り着いた自販機の傍らでぽっちのリードを預かる。その間になまえの両手に抱えられた缶と小さめのペットボトルのうち、BLACKと書かれた黒い缶を受け取りカシュっという音を響かせれば、湯気と香りがあたりに散らばった。

「あー、あったけぇ」
「あは、繋心鼻赤い」
「真冬だぞ? 寒いに決まってるわ」
「そだね」

 当たり前のことを言ってくるなまえに当たり前だろうと返すこのやり取り。本来なら不毛なものだと捉えられてしまうのかもしれないが、烏養からしてみれば、こういう不毛さが日常には欠かせないのだといえる。

「つーか、そういうなまえも鼻赤いぞ」
「うわっ」

 自分の少し下にある鼻先に缶を宛がえば、なまえは肩を揺らし目を見開いた。その反応がおかしくて悪戯が成功したと喜んでみせれば、今度はむっと睨みつけられた。とはいっても相手はまんまるに着膨れした自分の恋人である。怖くもなんともない。

「もうちょい強めに押したら後ろに転がっていくかもな?」
「じゃあそうならないように、」
「うぉ、ちょ……っ!」
「へへ。仕返しですぅ」

 なまえの少し上にある烏養の顔。その顔を自分と同じ位置まで下そうと両肩に手を置かれ、そうしていつもより低い位置にまで下がった唇。そこに押し付けられた熱は、ほんの一瞬だったが烏養の体を温めるには余りあるものだった。
 立ち尽くす烏養からぽっちのリードを抜き取り、雪道を闊歩して行くなまえの姿を烏養は少しの間呆然と見送る。

「繋心〜! 置いてくよ!」
「……今行く!」

 冬の寒さに慣れることもないけれど。自分の恋人に与えられる熱に慣れることもない。

「……っ! ちょ、繋心!」
「仕返しだ」
「仕返しの仕返しって……ガキ!」

 それはなまえにとっても同じであれば良いと、烏養は冬空に向かって願うのだ。

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