矢を放てなかったキューピッド

 長年一緒の時を過ごしてきた相手――いわゆる幼馴染。それが男女となると、その関係に“恋”が絡むのは不思議なことではない。よく聞く話だ。……そう。よくある、ありがちな話。定番といえるからこそ、この関係性は固く崩しがたい。

「みょうじ、俺帰るけどどうする?」
「あー……じゃあ、帰ろっかな」

 その声に狙撃訓練をやめ、周囲にあった荷物の片付けを行う。なるべく待たせないようにと慌てる私の手とは反対に、「みょうじがそんだけハマってんなら、俺も買ってみようかな」と男は呑気な声あげてみせる。
 ハマってなどいない。なんでも良いから一緒に居たくて、欲しくもないジュースを「そっち方面のコンビニにしか置いてないから」などという言い訳に使っているだけ。本当ならそれを求めて遠回りして帰るなんてこと、したくもない。もっと言えば、この男を好きじゃなかったら訓練を途中で止めることもしない。

「なぁ、聞いてくれよ」
「……また? もう幼馴染の話はお腹いっぱい」
「んなこと言うなって。俺とアイツのことどっちも知ってるのはみょうじしか居ないんだし」
「……そーですね」

 この男とはスナイパーの合同訓練で知り合った。はじめは狙撃にまつわる相談だけだったのが、話す回数を重ねていくうちにその色を変えていった。きっかけは、私がこの男の幼馴染だという女子と同級生だったこと。それが分かった時、男は顔をぱぁっと明るくさせ、それを見た私は反対に顔を強張らせた。

「こないだ狙撃訓練で自己ベスト更新したこと話したら、“格好良いね”って。……俺、格好良いらしい」
「はいはい。良かったですね、好きな子から褒めてもらえて」
「……ふっ」
「うわにやけてる」

 知りたくなかった。この男に幼馴染が居ることも、その相手に恋をしていることも。そしてその相手が、太刀打ちすら出来ないほどに良い子だってことも。……何も知らずにいれたら、この男と帰るこの道に虚しさを感じずに済んだのに。

「じゃあ、俺はここで」
「うん。また明日」
「おー。あ、学校での話、なんかあったら聞かせてくれな!」
「はいはい、ばいばい」

 冗談めかして受け流しているようにみせているけど。これは必死に逃げているだけだ。これ以上は聞きたくないという拒絶。……そのくせして、2人きりで居るこの時間を手放したくないと思っている。

「ばかみたい」

 大して美味しいとも思わないジュースを買って、訓練の途中だったからと再びボーダーに戻るこの道。さっきまでは上澄みのときめきで誤魔化せていた。でも、1人になった途端虚しさが体を渦巻く。……一体、何をしているんだろう。幼馴染同士の恋愛に、私が入り込む隙間など、どこにもないと分かっているのに。



 ボーダーに戻り訓練場に足を運べば、まだ数人の隊員が残っていた。私だってそれなりの意志を持って入隊したはずなのに。恋愛の為に訓練を放り出し、結局スナイパーとしてのランクもままならない。私は一体、何がしたいんだろう。

「おつかれさーん」
「……隠岐」

 狙撃位置に付いてライフルスコープを覗き込んでいれば、隣に移動して来た男に声をかけられた。その男に一瞬だけ視線を移した後、すぐさまスコープに照準を戻す。隠岐は隠岐でスコープから視線をずらさず、「また散歩してたん?」という問いだけを寄越して来た。

「……そう。気分転換がてらにね」
「へぇ、そうなんや。それで、なんか進展あった?」
「別に……、」

 私の心臓ではなく的を射抜けと言ってやりたい。私がどういう思いであの男と一緒に帰っているか、隠岐は分かっている。分かった上で私にこうして尋ね、私にも分からせようとしてくる。

「……おれ、みょうじさんの恋がうまくいかんかったらええなって思うてる」
「……は?」

 その言葉にはさすがに冷静さを欠いた。パッと放たれた弾は、見当違いの場所へと飛んでゆく。すぐさまスコープから目線を外し隠岐を見つめても、隠岐は的から視線を逸らすことはしない。隠岐はそのまま射撃訓練を続けながら、「ごめんな、応援出来んくて」と声色1つ変えずに放ってみせる。

「みょうじさんもこれくらい素直に言うたらええのに」
「そんなこと言えたら、今こんな苦しい思いしてない」
「せやなぁ。みょうじさん、苦しそうやもんな」

 見てないくせに。分かったことを言わないで欲しい。そう反論したかったけど、私の口から鋭い言葉が出ていくことはなく。隠岐の言葉は、私が見えないように、気付かないようにしていた気持ちに輪郭を付けてみせた。……そう、私は苦しいのだ。アイツのことを好きな私で居続けることに、限界を感じている。

「そんな姿見て、応援したいとか思えへんよ」
「……、」
「なぁ、」

 隠岐の目が初めて私を捉える。そうして放つ「……いや。なんでもない」という言葉。その一瞬の逡巡の間に、私は隠岐の優しさを知る。こういう時、“おれにしとかへん?”なんて、よく聞く言葉を言われたら。……言ってくれたら。私はその言葉を利用して逃げ出しただろう。そうして逃げた先、私を待つのが変わらぬ苦しみだということに、隠岐も私も気付いているから。

「苦しいのは、おれも同じや」
「……ごめん」

 私自身が、この恋を射抜くことが出来るその日を。私たちはずっと、夢見ている。

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