白旗を振るから傍に居て下さい

「東くんって反逆者?」

 東は手に持っていた箸が指から抜け落ちそうになるのをどうにか堪えた。大学の食堂で呑気にうどんを啜っていたら、まかさこんな爆弾発言を投下されるだなんて、さすがの東にも予測することは出来なかった。

「えっと……確かみょうじさん、だったっけ?」
「急にごめんなさい。……でも、どうしても気になっちゃって」

 目の前に腰掛け、ずいっと顔を近付けてくるみょうじ。そうして誰にも聞こえないように囁く声は「それか侵略でも企んでる?」という疑問。その疑問がみょうじの中でどういう思考回路を辿って出たものかは、この段階になると予測を立てることが出来た。

「あはは、違うよ。最近新しく出来た機関があってね。そこの絡みでちょっと」
「もしかして……ネイバーを撃退した人たちの?」
「そう。そこに俺も入ったんだ」
「……なるほど。そっか。……そっかぁ」

 東の説明を聞いて、ずいっと寄せていた顔を離し天井を見上げるみょうじ。その顔は随分と晴れやかなものだったので、東自身も己にかかったよからぬ誤解が解けたことを知る。それにしてもまさか“反逆者か?”と正面切って尋ねられるとは。

 みょうじの登場から今に至るまでほんの数分。その数分がまるで嵐のように思えた東は、その口角に苦笑を滲ませた。再びうどんを啜ろうと箸を持ち直し、1度手を止める。そうして近くに置いてあった軍隊関係の本を閉じれば、「……違うだろうって分かってたから言えた言葉だったけど。失礼過ぎたよね。本当にごめんなさい」とみょうじが深々と頭を下げてみせた。

「いやいや。……そりゃ驚きもしたけど、こんだけ軍隊とか策略とかの本読んでたら怪しいよな」
「レポートとかなんだろうなとは思ってたけど、あまりにも齧り付いてるから……つい気になっちゃって」

 みょうじの言葉に東は人知れず反省した。ボーダーという存在自体がまだ広く知られていないこのご時世。そこで戦史やライフルなど、戦に関わる物を嬉々として調べまくる人間が居たら確かに怪しいと思われるかもしれない。
 今後はもう少し人の目を気にしようと心の内で取り決め、それに気付かせてくれたみょうじに東は「そう思われても不思議じゃないな」と同意と共にそっと礼を送った。

「出来たてってことは、東くんは初期メンバーってこと?」
「まぁ、そうなるな」
「そっか。じゃあ、これから後輩に色々と教えていかないとだね」
「……なるほど」

 みょうじの言葉に、東は再び気付きを得る。これからボーダーはどんどんその域を広げるのだろう。そうすれば続々と隊員は増えていき、その隊員は自分の後輩となる。……となれば、東に教えを乞う者も出てくるのだろう。

「人に教えるっていうのは、確かに良いかもしれないな」
「東くんって人に教えるの上手そうだもんね」
「どうやら“反逆者”の路線は消えたようだ」
「……ごめんって」

 そう言って照れ臭そうに笑ったみょうじは、その日からことあるごとに東に声をかけるようになった。対する東も、よからぬ誤解を与えぬよう、ボーダーで起こる日々を許す範囲でみょうじに話した。
 その会話に段々と後輩の名前が出るようになっていき、気が付けば東にはたくさんの弟子が出来ていた。





「なまえは“ボーダーの母”らしいぞ」


 みょうじは手に持っていた箸が指から抜け落ちそうになるのをどうにか堪えた。呑気にうどんを啜っていれば、まかさこんな突拍子もないことを目の前に座る東から言われるとは。みょうじは東と何年もの付き合いをしているが、さすがにこれは予測出来なかった。
 
「え、何その占い師みたいな名前。てか私、ボーダー隊員でもないよ」
「後輩になまえとの馴れ初めを訊かれてな」
「え、まさか話したの? アレ」
「もちろん話すさ。出会い頭に言われた言葉の中で、今でもアレが1番胸に残ってるからな」
「う〜……忘れて欲しい……」

 口元を手で覆うみょうじに東はコップを差し出し、その様子をにこやかな表情で見つめる。あの時の自分自身を思い返し、よくもまぁ取り乱さずにいたものだと褒めたくもなる。目の前に居る恋人は、こんなにも分かり易く動揺しているというのに。

「そしたら言われたんだよ。“東さんの彼女さんが居たから、ボーダーがここまで強くなれたんですね”って」
「いやそれは……春秋くんのおかげだよ」

 私は何もしてない――そう言って首を振るみょうじに対し、東は「そうかな」と否定を呈す。確かに、スナイパーの技術面のことや戦術面のことを学ぶのは、自分自身が好きでやってきた。それを人に伝え、それを己の成長にも繋げた。そこに楽しさを見出しているのも事実。
 ただ、その楽しさとは別に、その日々をみょうじに話すことにも東は特別な想いを抱いてた。みょうじという存在は、東にとって間違いなくボーダーに居続ける理由の1つである。

「うん、やっぱりなまえのおかげでもあるな」
「……なんかでも、ちょっと複雑」
「ん?」

 東から受け取ったコップを飲み干し、その縁を指で拭いながらみょうじがポツリと不満を零す。その不満に首を傾げ中身を問えば、「……だって、まだ奥さんにもなれてないんだよ?」という言葉が待っていた。

「っ、そ、れは……だな、」
「あはは! 春秋くんが動揺してる!」
「いやその、ちゃんと考えてはいる。……けど、まだ、その、」

 この手の話になるとみょうじには1度も勝てた試しがなく、東は白旗を上げるしかない。そうすればみょうじは「分かってる。分かってるから言えるの」と嬉しそうに笑ってみせる。目の前に居る恋人だけは、4年以上経った今でも攻略の兆しが東には見えない。

「いつかは私のことを春秋くんのお嫁さんにしてね?」
「あぁ。約束する」

 そして、この先何十年と時間をかけても攻略することは叶わないのだろうなと、東は今から予測するのだった。

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