華麗なるノックアウト

 ぱち、と目が冴える。すぐさま体を起こせば、自宅でないことは容易に理解出来る。慣れはしないが、決して見慣れない訳ではない風景に焦りは感じない――が、携帯に視線を落とした瞬間、なまえの思考はけたたましく活動しだす。

 毛布を蹴飛ばし、周辺に散らばった衣服をかき集めながら廊下を歩けばリビングに辿り着く。そうして視界に映った人物に「ちょっと!」と声を荒げれば、かけられた男は「おはよう」とにこやなか笑みを返してきた。

「コーヒー飲む?」
「のみ、……いやそれどころでは……!」
「時間大丈夫?」
「〜っ、起こして下さればいいのに……!」

 髪の毛も乱れ、目尻に流した涙の後すら残っているなまえとは違い、相対する唐沢は髪の毛も整えスーツもぴっちりと着こなし優雅なティータイムを嗜んでいる。同じ夜を過ごしたのに、朝にこれだけの差があることを歯痒くも思ったがなまえはそれに捕まる時間すら惜しい。

「起こしたんだけどね。これでも」
「ご自分だけ悠長にコーヒーまで淹れて……」
「ごめんごめん。朝から可愛い寝顔見てたら気分良くなっちゃって」
「部長っ!」
「そんなに目を吊り上げなくても。ベッドじゃあんなにふやけてたじゃない」
「……部長!!」

 なまえが怒っても唐沢はどこ吹く風。なまえの怒声を小鳥のさえずりのように聞き流し「さて。俺は先に出るから、鍵よろしくね」と自分の要求を告げる。

「シャワー浴びてからおいで」
「……はい」

 素直に頷きを返すなまえの反応に、唐沢の口角が緩やかに上がる。特別な関係でないと見られないなまえの素顔をじっと見つめ、仕上げにキスを落とせばなまえの頬は艶やかに染まる。

「じゃあまた後でね」

 またすぐ職場で会えるというのに、互いが名残惜しむように見つめ合う。が、大人の朝は目まぐるしく流れてゆく。夜のようにゆっくりじっくり愛を確かめ合う訳にもいかず、視線を外し玄関へと向かえば、なまえが雛鳥のように後ろを追って来る。

「行ってらっしゃい」
「行ってきます」

 律儀に送り出してくれるなまえを愛おしく思い、それを声色に乗せて届ければなまえの顔つきがハッと閃いたものに変わった。

「鍵はいつも通り、玄関ポストに入れておきますので」
「……いや」

 いつも通りを告げたなまえに対し、唐沢は待ったをかける。そうして続ける「ボーダーで返して」という言葉に、なまえの目が見開かれた。

「えっ」
「不用心だし。ね?」
「で、でも……今日は1日会議の予定では……」
「その時でいいじゃない」
「でもそれじゃ……」

 なまえの言いたいことを唐沢はきちんと理解している。なまえと唐沢の関係は、職場では上司と部下である。それ以上の深い仲であることをなまえが意図して隠しているからだ。
 だからこそ、唐沢の申し出になまえが戸惑いを見せる理由も判っている。分かっていてなおこう言うのには、唐沢の計画が関わっている。

「んー、じゃあ今夜もうちに来たら?」
「えっ」

 周囲の人間に関係をバラすか、今夜も唐沢のもとへ会いに行くか。なまえの気持ちを推し測れば、容易に後者を選択するだろうと予測が立つ。それはつまり、今夜もなまえは夜遅くまで眠ることが出来ないことを意味する。
 ともすれば、明日の朝も今日と同じような展開を迎えるかもしれないということ。

「俺はどっちでも良いけどね」
「ぶ、部長……!」

 こういう時、なまえは唐沢克己という男の恐ろしさを思い知る。この男は、初めから勝てる交渉しかしないのだ。

会議開始直前、「これ、家に落ちてたよ」とピアスという名の爆弾を投下する唐沢さん

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