あなただけが真実

「国見くんって、浮気しそうだよね」

 はぁ? という言葉を既の所で呑み込んだ。休憩スペースで行われている井戸端会議の内容は、どうやら職場の男性についてらしい。その声に「分かる〜」という賛同の声が乗った所で、持っていた紙コップがグシャリと形を変えた。「英はそんなことしないよ!」とつい乗り込みそうになったけど、その行為は実現しなかった。……いや、出来なかったと言った方が正しいのかもしれない。
 
 秘かにお付き合いを重ねている私たちの関係は、誰にも知られてはならない。だからこそ、もし。もしも英が二股をしていたとしても、バレにくいんじゃないか。それこそ、英は器用だからバレないようにやろうと思えば出来てしまえそうだと思ってしまった。実際の所は分からないよな――。そんな風に傾きかけた気持ちにハッとし、無意味な咳ばらいを1つ。彼女の私が英を信じないなんて、そんなの英に申し訳なさ過ぎる。



「英って、私と会わない日何してる?」
「別に何も」
「どっか出掛けたり遊んだり……」
「することもある」
「そっか」
「……何、急に」
「いや別に。ただ、ちょっと気になっただけ」
「ふぅん?」

 信じてないわけじゃない。疑ってるわけ……でもない、と思いたい。けど、よぎったものはなくならない。それを拭いたくて、普段は訊かないことを訊いてみた。とはいえ、返事はやっぱり予想していたもので。やっぱりなぁという気持ちと、それじゃなくなってくれない燻った気持ち。そのどちらともを抱えながら、私の家で我が物顔でくつろいでいる英を見つめる。英は、そんな彼女の視線なんて気にも留めていないかのようにベッドに横たわってスマホをじぃっと眺めている。
 英はあまり自分のことを進んで口にしないし、訊かれるのも好まない。それを分かっていてもついしてしまった質問は、やはり自分の中にある英への疑惑の現れなんだろうか。ただの井戸端会議に振り回されて不安になって。……英に知られたらバカバカしいと鼻で笑われるだろうか。それとも、失礼なヤツだと怒られるだろうか。最悪、「どうしてバレたんだ」なんて恐ろしい展開が待っているかもしれない。……嫌だ、この話題から離れよう。

「なまえは?」
「えっ?」
「なまえは、今日の昼休み、何してた?」
「お昼は普通に休憩スペースでご飯食べてたよ?」
「なんかくだらねぇ話耳にしたり、それで不安になったりした?」
「……し、して…………した」
「へぇ。したんだ」

 スマホに落とされていた瞳がゆるりと私を捕らえる。気の抜けた返事を寄越した時と声色は変わっていないけれど、瞳の中には陰りが見える。……これはよろしくない。不機嫌な時の顔つきだ。実際の所はどうなんだという疑問はまだあるけど、それよりも先に疑ってしまったことを謝るべきだ。

「だ、だって……いやゴメン。……ごめんなさい」
「バーカ」
「バッ、バカって……」

 バカとはなんだ、という怒りよりも“それで済むんだ?”と呆気に取られた。もっと不機嫌になって、理詰めで立ち直れないくらいの攻撃が来るとばかり思っていた。それを英はたったの2文字で終わらせてみせた。そのことに驚き顔を上げれば、その頬をぶにっと掴まれ数回振られる。摘ままれた肉はそれなりに痛いけれど、そのことを反論出来るような状況ではないので目を閉じ耐える。そうして数秒英の好きにさせていれば頬を解放され、「なまえってほんと間抜けだよな」という言葉を押し付けられた。

「確かに俺はそういう風に見られるかもだけど」
「……うっ」

 そんなことないよ! なんて言葉をどの口が言えよう。思わず押し黙る私をチロリと見つめ、その流れでスマホへと再び落とされた視線。英の視線はそこから揺らぎを見せることはない。もはやこの会話に興味なんてないかのように一定のテンポで動かされる指。その指を見つめながら、さてなんと言葉を返そうと必死に思考を働かせていると、「まぁやれって言われたらやれるだろうけど」なんて突拍子もない言葉を放たれ脳内が真っ白に染まった。

「や、やれるの!?」
「やれると思うよ。俺なら」
「そっか……そうだよね」
「そこで納得されるのもちょっと」
「あ、ごめん」

 思わず同意してしまえば、英の口角がちょっとだけ上がる。スマホにも飽きたのか、カチリと音を鳴らしロックされたスマホを英は無造作にベッドに放った。そうして再び緩やかな視線を私へと向け、見つめ合うこと数秒。英はその沈黙を「でもそんな気力、俺にあると思う?」という問いで破った。……ないな、英には。……そっか、そうだ。だって英だ。器量があっても気力がないじゃないか。

「そんな面倒くさいこと、英は絶対にしないね」
「そういうこと」

 ベッドから起き上がり冷蔵庫へと向かう英。その背中にごめんの意味も込めて抱き着けば、「うざい」と辛辣な言葉を返されてしまったけれど。それでも払われることのない腕に、より一層の力を込めて気持ちを伝える。ごめんね、とありがとう、と。大好きだよ、の気持ちを込めてぎゅうっと腕をまわせば、英はその腕に自分の手を重ねて応えてくれた。

 無気力な英がこの内緒の関係を続けてくれている。それだけで充分想いの証明をしてくれているんだって、今更実感したと告げたら。英はきっと、バカだと呆れ笑うのだろう。

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