曖昧なひとたち

 時間が空いたから会わないか――その連絡を受けて向かうは駅の近くにあるカフェ。そのカフェが見えてきた時、テラス席に腰掛け本に視線を落とす京治の姿も見えた。少しだけ足早に歩みを進め、テラスへと辿り着き「お待たせ」と声をかければ、京治の視線がゆるりと私を捉える。

「小説じゃないんだ」
「仕事柄ね」
「なるほど」

 京治の手に握られていたのは単行本よりも小さく、文庫本よりは大きいサイズの本。そしてその中は文字や記号だけでなく、絵で彩られている。
 入社当時は“文芸誌希望だったのに……”と少しだけ少年漫画誌に配属されていたことに落胆していたのが懐かしい。京治は「仕事だ」と言うけれど、その表情にあの日の落胆はもう見えない。

「もうだいぶ寒いね」
「冬だからね」
「私もホットコーヒー頼もうかな。京治は? おかわり要る?」
「うん、じゃあ。一緒に注文しようかな」
「了解」

 このカフェに設置されているテラスはサンルームのような作りになっていて、天井は閉開式になっているおかげで冬は断熱バッチリだし、夏は風が吹き抜ける心地の良さ。京治も私もお気に入りの場所だけど、今日みたいに木枯らし吹きすさぶ日はさすがに体の熱が引いてゆく。その体に染み渡らせるコーヒーの美味しさを私たちは知っているから、やっぱりお気に入りと呼ぶに相応しい。

「木兎さん元気?」
「この前取材に行って来た」
「まじ? どうだった?」
「相も変わらず。元気だったよ」
「だろうねぇー」
「なまえは? 雀田さんたちとは会ってるの?」
「雀田先輩とは定期的に会ってるけど、白福先輩とはたまにって感じかな」
「千葉だっけ」
「そうそう。食品メーカー栄養士だって、白福先輩にピッタリだよね」
「確かに」

 ゆるり、ゆるゆる。なんの刺激もない会話だけど、それが良い。そうして流れてゆく会話と共に流し込むコーヒーも、3杯目の底が見えてきた。そろそろどこかへ出かけるとしよう。……とはいってもこの寒さ。テラスの向こうを歩く人たちは顔を伏せその身を凍えさせている。正直、寒いのはご勘弁願いたい。私はそこまで寒さに強い方じゃないし。

「そろそろ出ようか」
「うん」

 カップが空になったのを見た京治が伝票を持ちながら席を立つ。今日は京治が勘定を持ってくれるらしい。ということは次は私だ。……いやでもよく考えたら前も京治が奢ってくれたような……?

「ね、京治。こないだも京治が奢ってくれたよね?」
「そう? 覚えてない」
「え、じゃあ私得した?」
「そうだね」

 カフェを出て隣り合う2人。その隙間を少しでも木枯らしを通さなくて済むようにピッタリと縫い合わせて。右腕と左腕の先では指同士が仲良く絡み合っている。
 私の言葉を笑う京治の横顔をふと盗み見て、あの日の京治を思い浮かべてみる。……あの時、今以上に真顔だったよなぁ。

「好き、だと思う」
「……え、だと思う?」
「多分、好き」
「多分?」

 京治と私は梟谷バレー部の中で唯一同い年だったし、色々と相談し合ってきた。その関係性は良好なものであったし、高校を卒業してからもこの距離感で続いてゆくのだとも思っていた。その均衡を破ったのは京治。……とはいっても、なんともまぁ曖昧な言葉でぬるっと超えて来た。その言葉になんと返せば良いのだろうかと思案するうちに、いつの間にかそのラインが私たちの普通になっていた。

 少しだけ変わったことといえばこの手。いつの日かなんの断りもなく捕まえられたかと思えば、「手くらいは繋ごう」と真剣な顔で告げられ。コクコクと頷きを返したあの日から、このちょっとした変化も日常へと組み込まれた。
 京治の細くて長い指に掴まる一回り小さな指。2人の力が同じ強さで握られているのが分かって、なんとなく高鳴る心臓。……私も京治のこと、好きだと思う。そんな気はするんだけど。さてどうだろうか。

「今日はどこに行こうか」
「んー、そうだなぁ」

 京治の告白に返事はしていない。だから今こうやって手を繋いで歩く私たちの関係性は“恋人”ではない。だからといって“友達”とも呼べない。そんな曖昧な関係は、他と比べると摩訶不思議だと言われるのかもしれない。それでも、今はこの歩幅がちょうど良いと思う。

 刺激的な夜を過ごしてみたり、倦怠期に陥ったりすることもない。京治を想って苦しむ夜もない。そういう、疲れを知らずにいれるこの平坦さが心地良い。いつか、そこにきっと愛が芽生えるはずだから。

「京治と一緒に行けるなら、どこでも良いかも」
「……はは、何それ」

 こうして2人で芽吹きを眺め、大きくなるのを笑えるのなら。私たちはきっと、うまくやれるはず。

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