アップルパイ

 俺と付き合っていて、なまえは楽しいのだろうか。高校時代に同じクラスになったのがきっかけだったのは覚えている。とにかく目立ちたくなくて、自己主張もまともにしなかった俺に何かと世話を焼いて来た唯一の人物。

 決してやり過ぎないなまえの親切心は、俺にとっていつしかなくてはならないものになっていた。
 とはいっても、互いの関係を彼氏彼女に変えた所で俺の中の何かが変わるなんてこともなく。低い位置で一定を保つ温度を、なまえはもどかしく思ったことはないのだろうか。

「やっぱりここのアップルパイが1番だね」

 そう言って笑うなまえに「うん」としか返せない俺のどこになまえは惹かれたのだろう。俺は何もなまえに愛だの恋だのという甘酸っぱさをあげられていないというのに。

 いつの日か耳にしたなまえの好み。俺とは違いすぎて強烈に印象付けられている。
 俺はミステリアスな色気なんて持ち合わせていないし、いつの日かそんな俺になまえは飽きてしまうのではないか――そう思うと内心焦りでいっぱいになるので、クールさだって持ち合わせていない。
 俺はなまえを独り占め出来る程の何かを持っていない。なまえを乱す程のキスもハグも与えてやれない。

 そんな俺が、どうすればなまえの心を閉じ込めておけるだろうか。

「研磨ってさ、実は色々考え過ぎる所あるよね」
「……エッ」

 アップルパイをぺろりと平らげたなまえはずずず、と湯飲みを啜る。アップルパイには何が合うだろうと考え、コーヒーと紅茶と緑茶を淹れたあの時もなまえは笑いながら同じことを言ったことを思い出す。
 ということは、今も俺がぐるぐると思考をまわしていたことをなまえは見抜いたということだろう。鋭い観察眼を持ち合わせているなまえに目を見開き固まれば、「お腹いっぱい」と満足げに呟き手を合わせるなまえ。

「このアップルパイ、私が好きだって言ったら家に来る度準備してくれてるし。緑茶の組み合わせが好きって言ったらそれをセットで出してくれるし。そういう部分に研磨への好きが詰まってるんだよ」
「……それは別に……、簡単なことだし」
「簡単でいんだよ。だからこそ“適温で好き”で居られるんだと思うから」
「……?」

 なまえの言う通り、俺の頭の中はぐるぐると思考が巡っている。だけどなまえの言葉は俺の脳内にはまったくもって浮かんでいなかった言葉だった。今一つ咀嚼できないそれをハテナで返せば、なまえは柔らかく笑って受け止める。

「出来立てよりちょっと冷めてるけど。それが良いってこと」

 アップルパイ、また一緒に食べようねと笑うなまえはありふれた笑顔を浮かべている。
 きっとなまえと食べるアップルパイはいつだって馴染みのある味で、それでいてちゃんと美味しいのだろう。

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