呪言

※捏造された設定しかありません。


 呪術師は血が物を言う世界だ。名のある一族に生まれ落ちた途端、とてもとても重たい圧がのしかかる。そして、思うような実力に恵まれなかった人間は“落ちこぼれ”と呼ばれる。

 みょうじ家もそれなりに名を馳せた一族だった。とはいっても、昔は、の話。今では風前の灯火といえる勢いしかないけれど、その名残は強くみょうじ家の人間に根付いている。そんなみょうじ家に生まれ落ちた私は、文字通り“落ちこぼれ”と言われながら育って来た。
 誰も彼もが私のことを見えていない人のように、かけられる言葉があるとすれば鋭い牙を剥くように、生きていること自体が罪なのだと植え付けるように、そんな風に接してきた。私だって間違いなくみょうじ家の人間で、同じ血を分け合っているはずなのに。

 呪いよりも恐ろしいものがこの世には存在する。これは幼い頃から刻み込まれている私の常識。

「ツナマヨ」

 それでも、この人生に絶望を感じなくてすんでいたのは、おにぎりの具があったから。昔はもっとたくさんの言葉を耳にしてたっけと思いながら後ろを向けば、ふわふわの白い毛が凛々しい瞳の上で揺れていた。

「棘。どうしたの?」
「すじこ」

 すじこが何を指すのか、きちんと理解出来ているか分からないけれど、私の隣に腰掛けた棘を見てきっと会いに来てくれたんだと解釈する。……棘は誰よりも優しい人だから。きっと、私のことを心配してくれているのだろう。

 棘との出会いも皮肉なことにみょうじ家に生まれたからこそだった。狗巻家とみょうじ家は昔から深い関係にある。なんでも、みょうじ家の祖先が狗巻の人間に助けられたことからその縁が続いているのだという。だからみょうじ家は狗巻家の人間には頭があがらない。

 棘と私は生まれた年が同じで、歩き始めるのも、言葉を口にするのも近いタイミングだった。外の世界に興味を示すのも同じくらいだったので、その頃から棘とは一緒に遊ぶようになった。ボール遊びをしていて取り合いになった時、「貸して差し上げなさい」という母親の咎めよりも「貸して」という棘の言葉に体が従って驚いたことも記憶している。その時はよく分からなかったけど、狗巻家が言葉に呪力を込めて戦う呪言師であるということを知った時にその力を理解した。

 棘自身も自分の力の強大さに気付いたのか、最近はもう幾分久しくおにぎりの具材以外を耳にしていない。最後くらい棘の口からなまえと聞きたかったなと思うけれど、これはこれで良いものだとも思う。

「おかか」
「不安はあるけど、仕方ないよ。私は落ちこぼれだから」
「おかか!」
「ありがとう。でも、私がみょうじ家の力になるにはこれしかないから」
「おかか! おかか!」

 違う、そうじゃない――棘は必死に私の言葉を否定してくれるけれど、これは祓うことの出来ない呪い。事実は、何よりもきつくこの身を縛り付ける。

 呪術師として役に立てなかった私に出来ることは、縁談に身を挺すること。
 腐っても鯛だと思う人も居るらしく、みょうじ家の名を欲しがる人もこの世には存在する。話を受けた時、みょうじ家の人々はさてどうしたものかと頭を悩ませていた。みょうじ家としても血筋を絶やすわけにはいかない、その為にはどんな形でも子孫を残しておきたい。しかし今回の縁談はいわば格下相手からの申し出だったようで、そんな家柄にみょうじ家の人間を送り出すのも――そういう悩みであることは訊かなくても分かった。
 何もかもをそういう所でしか判断出来ないみょうじ家の人々に嫌気がさしつつも、ここで私が名乗りをあげればみょうじ家に認められるかもしれない、そんな邪な考えがよぎった。そうして「私が縁づきます」と名乗り出ればみょうじ家の人々の顔に安堵ともとれる感情が浮かんだ。

 あぁ、みょうじ家の人間からしてみれば体のいい縁切りが出来たんだな――そう思うと同時に棘の顔が浮かんだけれど、もうどうしようもなかった。
 そこからはとんとん拍子に話が進み、明日から私は相手の家へ身を置くことになっている。そうして頃合いになったら正式に婚姻を結ぶ流れだ。

「……しゃけ」
「そんな顔しないで。私は幸せだから。だってみょうじ家から出て行けるんだよ? 清々する」
「高菜?」
「うーん、心残りがあるとすれば棘とこうして気軽に会えなくなることかなぁ」
「ツナ?」
「今まで、楽しくないことの方が多かったけど、棘との時間はそれを覆すくらい楽しかったから。これから先、それ以上の楽しみがあるのかなって考えたら、ちょっとだけ不安。……でも、きっと大丈夫」

 そう言って笑いかければ、棘の表情は反対に悲しそうになる。きっと棘は見抜いているのだ。私の言葉が真実じゃないことも、自分自身に向けた呪言だということにも。でもみょうじ家は呪言師でもなければ、ましてやその中でも落ちこぼれに位置する私にはそんな力を持つ術もなくて。さて困ったなと頬を掻く私に棘が「……いくら」と静かに問いかける。

「もし棘にお願いすることがあるとすれば、“棘を忘れろ”って……言って欲しいな」
「お、かか、」

 棘の瞳が揺れる。その中に映る私もゆらゆら揺れる。この呪いをどちらともが望んでいないことは分っている。……それでも、どうしても。棘を知ったままこの先を生きていくなんて私には出来そうもないから。……だから、どうか。私に残酷な呪いをかけて。

「……ありがとう、棘。……私、」

 ずっと、棘のことが大好きだよ――私の呪言は声にはならず、代わりに頬を涙が伝ってゆく。言いたい言葉を言えない代わりに、言いたくない言葉を口にさせて。そのことに胸を締め付けられながら目を閉じ棘の言葉を待った。

 どうか口にしないでくれと悲痛な叫びを抱えながら。

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