夜明けのすきまを縫いとめて

 年の瀬。いつだって慌ただしいその時期は、毎年きちんと来る。
 もしかしたら1年の中で1番あっという間だって言う人も居るかもしれない。私もその意見に同意はするけれど、私にとってはその時期の中に1番大事な日も入っている。だから私は、決してこの時期の慌ただしさを時の流れに任せることはしない。

「すみません」

 真っ暗な空に吐き出された息を辿るようにして歩いた先、蛍光灯の明かりが漏れ出るドアを横に引けば逃げ場を失っていた熱気が外へと押し寄せて来る。決して高くはないけれど、顔のパーツの中では1番の高さを誇る鼻先からじんわりと熱が溶けて顔全体に温かさが帯びてゆく。

「道に迷ってしまったんですが」
「どこに行かれま――って……は?」

 後ろ手でドアを戻しながら言葉を続けると、書類に目を落としていた男性の声が目線が上がると同時に尻すぼみし、最後は腑抜けた単語が零れて落ちた。目も口もポカンと開いたままの顔つきは、警察官と呼ぶには不適格だ。

「家に帰ろうと思ったんですけど、ここら辺に詳しくなくて」
「いや……え、な、んで……いやつーかここ……」
「歩いて来たので、歩いて帰れる場所に居るとは思うんですけど」
「いや……今何時……はっ!? なまえ、1人で出歩いてきた――んですか」

 職業を忘れ取り乱す大地は見ていてちょっぴりおかしい。交番という小さな箱には似つかわしくない大声を張り上げている姿も、先輩警官に視線を這わせながら言葉尻だけを整える姿も、何もかも新鮮だ。

「ちょっとこっち」
「あ、こっちから歩いて来たんですけど」

 適当な言葉を吐きながら大地の後を追って外に出れば「今何時だと思ってる!」と開口1番大目玉をくらってしまった。叱られる覚悟はしてきていたのでそこまでの衝撃はない。まぁそうだよな、と思うくらいだ。

「仕事の邪魔してごめん」
「いや……それは……どうせこの時間は暇だし」
「そうかな? と思ってこの時間に来たんだ」
「だからって日付が変わる直前に来なくてもいいだろ」
「だってあと少しで大地の誕生日終わっちゃうし」
「……そんな無理して来なくていいっての」
「無理してない。会いたくて来たの」
「なまえ。気持ちは嬉しい。けど、それをされて俺が心配しないとでも思ったか?」
 
 少し予想外だったのは、思っていたよりも大地が怒っているということ。確かにあと数十分で日付が変わろうかという時間帯だけど、私だってもう立派な大人だ。それに今日は年末だからいつもより外を出歩く人は多い。自分の中で安全性はある程度確保して来たつもりだったのに、大地は思い切り眉根を寄せ顔をしかめている。

「ごめん……。帰りはタクシーで帰る」
「財布持ってくるからちょっと待ってろ」
「いいよいいよ、少しなら持ってきてるし」
「いやでも……」
「ほんと平気。私のワガママで大地の仕事の邪魔しちゃったし。そこまで迷惑はかけられない」

 そう言えば、大地の顔が今度はへにゃりと歪む。この言葉に毒も棘も潜ませてはない。思ったより良い反応をもらえなかったことは確かだけど、仕事の邪魔をしたことも、大地が私を想って心配してくれていることも、なにもかも解ってることだから。

「悪い、なまえ」
「ううん。ちょっとでも顔が見れて良かった。仕事、頑張ってね」
「……あぁ。本当に大丈夫か? なんだったらタクシー呼ぶけど」
「おまわりさん。イチ市民に肩入れし過ぎなのでは?」
「だってなまえは俺の大事な彼女だべや」
「……そういうこと言えちゃうの、本気で凄いと思う」
「……なんだよ。これでも嬉しいんだからな」
「へっ、そうなの?」
「だから言っただろ。“気持ちは嬉しい”って」
「あだっ」

 髪の毛の隙間を縫って撃たれたデコピンは、冷えた肌には少々刺激が過ぎる。ヒリヒリと痛む額をさすっていれば、その手を避けながら大地の手が首にまわされた。そのまま首を掴んでキスでもしてくれれば良いのに――なんて。そんな理想は公務員相手にはまかり通らず。たわんだマフラーをぎゅっと結び直され、口元がごわごわする。

「……本当に1人で大丈夫か?」
「大丈夫だよ。歩いて帰れる距離だし」
「ちゃんとタクシー使うんだぞ」
「分かってるって。ほら、もう戻って」
「でも……」
「先輩1人にしたままで良いの?」
「だけど、」

 いつまでも戻ろうとしない大地と、いつまでも帰ろうとしない私。
 私たちは心の奥底で同じことを考えていて、その思いが真冬の空に恋人たちを置き去りにする。身体の冷えを犠牲にすれば一緒に居られるのなら、もっとずっとここに居たい。だけど、愛しい人の体を痛めつけることはしたくなくて。

「大地、戻って」
「なまえが帰るのを見たらな」

 付き合い初めの頃、中々電話を切れなくて合図をして切ったこともあったっけ――なんて思い出も蘇ってくる。本当は“そんなこともあったよね”と笑い話も交わしたいけれど、さすがにそれが許される状況ではない。

「じゃあ……私、そろそろ」
「……あぁ。……気を付けてな」
「うん。大地、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「直接言えてよかった」
「……俺も。会えて嬉しかった」
「じゃあまた今度ね」
「おう。本当に、気を付けるんだぞ。何かあったらすぐ連絡しろよ」
「……ふふっ」

 大地ってば、最後まで心配そうな声あげてる。申し訳なさを抱えながら辿り着いた交番からの帰り道は、それ以上の幸せを抱えて歩くことになった。



「なまえ!」
「……えっ? 大地?」
「やっぱりタクシー使ってない!」
「……ごめん。歩いて帰れるし、いっかなって……」
「なまえ!!」

 少しでも幸せを長く噛み締めたくて、タクシーは使わず歩いて帰っていれば後ろから呼び止められ、本日2度目の大目玉を喰らった。しかもさっきより大きめの怒声。……大地、ここ夜中の住宅街です。なんて、今の大地に言ったらどうなるかなんてことはもう学習済み。

「……ごめんなさい」
「まったく。……まぁ、そんなことだろうと思ったけど」
「交番勤務、いいの?」

 結び直してくれたマフラーを触りながら見上げれば「先輩が“送り届けてやるのが仕事だろ”って」と白い息を吐きながら声を弾ませる。……どうやら大地は先輩に可愛がってもらっているようだ。

「私、先輩に感謝しないとだ」
「俺もだ。おかげで今年も最高の誕生日プレゼントを貰えたし」
「……? 私、今年はまだ何もあげれてないよ?」
「会いに来てくれただろ」
「え、それだけでいいの?」
「あぁ。今年は会えないって思ってたから」

 会えて良かった――その言葉は真っ白だけど、あたたかな熱を持っている。警察官としてではなく、彼氏として告げる声は甘くて優しい。……私も、今年は仕事に大地を取られるって思ってたから、会えて良かった。

「来年は頑張って休みとるよ」
「無理しなくていいからね?」
「どの口が言ってるんだ」
「いひゃい」
「まったく。なまえが言うかっての。自分は夜道ほっつき歩いて来たくせに」
「だって会いたかったんだもん」
「帰りも言うこと聞かないで歩いて帰ってるし」
「だって……」
「だってじゃない」
「ごめんなひゃい」

 寒さで固まった頬を大地の両手がぶよぶよと引っ張る。うにうにっと揉まれた後、包み込むように触れられれば、途端に私の頬は緩む。私はいつだって大地の前ではだらしなく幸せを曝け出してしまうようだ。

「結局家まで送ってもらっちゃった」
「これも仕事だから」
「最後までワガママに付き合わせちゃってごめんね」
「いいよ。まぁでも職権乱用だって怒られないか少し不安だけどな」
「へへっ。その時は私も一緒に怒られるから」
「それは心強いな。じゃあそん時は連行させてもらいますか」
「その言い方はやだなぁ」
「……じゃあ、俺はそろそろ」
「……うん」

 スマホを見れば、時刻は23時59分を示していた。
 あと少しで年が明ける。それは言い換えれば大地の誕生日があと1分で終わるということ。あともう数十秒だけ一緒に居たい。

「大地」
「ん?」
「誕生日、おめでとう!」

 本当はぎゅうっと抱き着いて、抱き締め返して欲しいけど。さすがに制服姿の大地にそれをすることは出来ないから、代わりにありったけの想いを込めて敬礼を向ければ大地の顔が思いきり破顔する。

「色々ツッコミどころがあるな」
「えっ嘘」
「……まぁそれはまた今度。ほら、日付も変わっちまったし、早く家に入って」
「あっほんとだ。じゃあ、明けましておめでとうございます」
「じゃあって。雑な挨拶だな」
「へへっ。今年もよろしくね、大地」
「おう。こちらこそ」
「今年も、来年も、その次も。ずっと、ずっと、よろしくお願いしますね」
「……おう!」

 警察官がそんなだらしない笑みを一般市民に見せるのはどうかと思いますけどね、愛おしいお巡りさんよ。かくいう私も同じくらいだらしない顔してるんだろうけど。

「なまえが家入らないと、俺も帰れないぞ」
「うん。じゃあ……今度こそ、おやすみ」
「おやすみ。温かくして寝るんだぞ」

 色んな挨拶を交わした後、結局最後は私が大地に見送られることになった。
 そういえば学生の時も、大地は必ず私が家に入っていくまで見送り続けてくれたっけ。大地は警察官になる前から私のことを守ってくれる立派な人間で、出来過ぎるほど出来た最高に格好良い彼氏だ。

 いつだって私は見送られる側だから、いつかは私も大地のことを見送ってみたいなと思うけれど。それが叶うのはまだ少しだけ先の話。

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