事前申請

 みょうじと俺の関係性は付き合っている人同士。端的に言い表せば“恋人”だ。だから時間が合えば一緒に下校することもあるし、休日に都合が合えば出掛けることもある。その度にみょうじは“本当に良いのか”と少し申し訳なさそうに尋ねてくる。
 俺自身が嫌だと思えばこちらから言い出すこともしないし、みょうじの誘いに乗ることもしない。それを伝えると「そっか」と言ってはにかんだように笑うその顔が嫌いではないので、俺とみょうじは性懲りもなく同じやりとりを何度も交わす。

「聖臣くん、あの……手、繋いでもいい?」

 それは手を繋ぐという行為の前も同じ。みょうじが小さめのポーチから消毒液を取り出しそれを手にしっかりと馴染ませた後で意を決したように訊いてくる言葉。いちいち訊いてこなくてもいいのに、とも正直思う。だけどまぁ、清潔な手で触れられるに越したことはないのでこの事前申請スタイルに触れたことはない。

 前に部活で一体俺とその彼女はどんな付き合い方をしているんだと騒ぎ立てられた時、渋々これらのことを話せば何故か飯綱さんからため息を吐きながら「お前はほんっと……」と呆れたような様子で怒られた。俺らの付き合い方をとやかく言われる筋合いなんてないのに。……もちろん、それを告げれば飯綱さんは「そうだけども!!」と良く分からないキレ方をしていた。

「別にいいけど」
「失礼します」

 無事に許可が下ったことでへにゃりと相好を崩しながら自分の手を重ねてくるみょうじ。俺の手にすっぱりと収まっている手をきゅう、と掴めばみょうじの顔は比例するように溶けてゆく。その反応が少しだけおかしくて、細くてあどけない指一つひとつに俺自身の指を絡ませてみれば、みょうじの頬は途端に真っ赤に染まった。

「きっ、聖臣くん!?」
「ナニ」
「ゆ、ゆゆゆびっ」
「嫌なの」
「嫌じゃないです! でもいいんですかっ!?」

 口調がおかしくなっている辺りにみょうじのテンパり具合が窺える。何度も言うけど俺は嫌だと思えば伝えるし、嫌じゃないからしているわけで。……というかみょうじは俺に気を遣い過ぎていると思う。みょうじは綺麗なのに。

「あの、指、握っても……?」
「逆にいつまで広げてるつもり」
「あっハイ。し、つれいします」

 いつもよりもそっと力を入れ指と指を絡ませるみょうじ。互いの指が同じ強さで結ばれた瞬間、みょうじの顔は最大限に溶けた。手を繋ぐ行為1つでこれなら、その先は一体どうなるのだろうか。

「やばい……ちょっと熱出そう」
「は? いや大袈裟、ってみょうじ」
「えっ?」

 さすがに大袈裟だろうと引き気味に言おうとした瞬間、みょうじの体は向かい風によって揺らされ歩道からふらりと飛び出した。歩道の向こう側には車がたくさん通っている。その場に人間が飛び出そうものなら一発アウトだ。その思いから慌てて手に力を籠め、その強さで腕を引っ張れば胸の中にみょうじが捕獲された。

「ききききよっおっ、」
「俺の嫌いな人間知ってる?」
「…………不注意な人間です」
「それになりたい?」
「なりたくないです。気を付けます。本当にごめんなさい」

 さっきまでとは打って変わって顔面が真っ青に染まるみょうじ。赤くなったり青くなったり忙しないやつだと思う反面、俺のせいでこうなっているのだと思うと少しおかしくもある。……こんなことを言ったら飯綱さんからまた怒られるかもしれない。いやでも飯綱さんも“他人の感情に文句をつけるな”と言っているし、飯綱さんだってそれは同じだろう。
 
「あ、の聖臣くん……一体いつまでこうしていれば……?」
「あ、悪い」
「ううん! こっちこそ……本当にごめんね」

 ぐるぐると考えすぎていたらしい。ハッとして腕の中に収まるみょうじを見つめれば再び顔を真っ赤にした様子で俺を見つめていた。血圧を上げたり下げたりさせ過ぎるのも良くないと思い、すっと解放すればみょうじの顔が今度はハッとした表情に変わった。

「聖臣くん、私消毒スプレー持ってるから使う?」
「え、なんで」
「だって私のこと抱き締めちゃったし」

 みょうじの不注意はいけないことだけど、抱き締めたことは“抱き締めちゃった”ことではない。嫌だと思ったらそんなことしない。みょうじはもっと堂々とすればいいのに。俺だってそれなりにみょうじのこと好きだから付き合ってるわけだから、もっと“俺から大事にされてる”って思えばいいのに。

「……みょうじは病原菌か何かなの?」
「え、違うけど」
「じゃあ別にそこまでしなくても」
「エッ」

 今度はぴしりと石のように固まるみょうじ。俺の言葉、そんなに衝撃的なものだろうか。俺は本音と建て前を使い分かるほど器用じゃない……というか、使い分ける必要性を感じない。だからこの言葉も紛れもない本音だ。

「……俺、みょうじと手を繋ぐのも、抱き締めるのも別に嫌じゃないよ」
「で、でも……もしかしたら私がトイレ直後の状態かもだよ?」
「だとしてもみょうじはちゃんと手拭くだろ?」
「まぁ、はい」
「それ知ってるし」
「そ、そっか。……じゃあもう1回手、繋いでてもいい?」
「別にいいけど」
「じゃあ……失礼します」

 今度は握手スタイルではなく、指同士が絡まるやつ。やっぱり俺らの関係性であればこの手の繋ぎ方が正しい。なんとなく、今まで抱いていた違和感が1つ消えるのを感じる。

「ふふっ」
「そんなに嬉しいことなの?」
「うん! すごく嬉しい!」

 そう言って絡み合った指を数回ぎゅっ、と力を込め「ふふふ」と微笑むみょうじ。……やばい、キスしたくなってしまった。いやでもその為の準備を俺だってしてない。キスというのは手を繋ぐことよりも密になる行為だ。俺としてもそういう行為はなるべく清潔な状態で行いたいし、でもそれは突発的な流れでは絶対に出来ないことだ。

「……明日の昼休み、ご飯食べた後」
「うん?」
「きちんと手も洗うし、消毒もする。歯も磨く」
「いつものことだよね?」
「それにマウスウォッシュもする。だから、」
「……うん?」
「キス、してもいい?」
「キッ」

 キッと短く息を吐いたあと、数秒フリーズした後にみょうじの顔が一気に紅葉してみせた。“キスの予約なんてするな”と飯綱さんに怒られるのだろうか。でもキスって合意の上で行う必要があるわけだし、今こうして伝えておけばみょうじの心の準備だって出来るわけで……俺だって“嫌だ”と伝えられれば今のうちから諦められるし……。

「わ、私も……マウスウォッシュまでしておくね……」
「……よろしく」

 言った後に渦巻いていた不安は、ぼそぼそと呟かれたみょうじの声を聞いた時霧散していった。……明日の食事後の手入れ、いつもより念入りに行おう。秘かに誓いを胸に立てた後、そっとみょうじの顔を盗み見れば高揚とほんの少しの緊張が見てとれた。……俺も、みょうじから大事にされているんだな。

BACK
- ナノ -