(ずる)賢く

 バレーをすることも好きだったけど、それ以上にバレーをしている人をサポートすることが好きだった私が選んだ道は、チームスタッフだった。
 チームスタッフといってもまだまだ駆け出しの新米。自分自身のことさえ右も左も分からないような状態だし、今はとにかく周囲の迷惑にならないように必死な毎日を過ごしている。

「あ、マツエクだ」
「えっ、あ、す、すみません……!」
「えっ、いやっ! 似合ってるなぁと思って……こっちこそすみません」
「へっ、あっ、あ……りがとう、ございます……」

 ただひたすらに指示された仕事を懸命にこなしている所に、ひと際大きな声を向けられ思わず肩が竦んだ。反射的に“すみません”という言葉を口にしたけれど、それを受けた相手はその言葉を望んでいたわけではなかったらしい。それどころか、こちら以上の動揺を見せながら逆に申し訳なさそうな口調で言葉の続きを紡ぐ。

「急に声かけちゃってごめんね。俺このチームでセッターをやってます、飯綱です。新入りさん、だよね?」
「ぞ、存じ上げております……! 今年からDESEOホーネッツスタッフとして働くことになりました、みょうじなまえです。よろしくお願いします!」

 ガバっと頭を下げて元気良く挨拶をこなせば、飯綱さんは「こちらこそ。ちなみに柳さんってどこに居るか分かる?」とアナリストの所在を尋ねてくる。

「柳さんなら多分向こうに、」
「ありがとう。それじゃみょうじさん、またね」
「あ、はい!」

 片手をあげて立ち去る飯綱さんの背中をじっと見つめ、すぐさま仕事へと手を戻す。飯綱さん……飯綱選手はDESEOの正セッターで、高校時代からその名を馳せていた名プレーヤーだ。そんな人がこうして気さくに声をかけてくれるような人柄だってことに、何故かじーんと心に沁みるものがある。
 飯綱さん、良い人だなぁ。と、いうか。よくマツエクなんて知ってたな。私のお兄ちゃんなんて知ってて付けまつ毛くらいだ。……もしかして、彼女さんがマツエクしてるとかなのかな。

「いかん! 仕事!!」

 まだまだ新米なんだ。仕事に集中しなければ。



 働き始めて数ヶ月もすれば、少しずつ色んなことを学んでいく。仕事内容もだし、選手それぞれの特徴も。そうして触れ合ってきた中で確立された私の中の飯綱像はとても真面目で、一生懸命バレーをする人で、いつでもバレーのことで頭がいっぱいな人だ。つい最近も“サーブ効果率をあげるには”とスタッフと遅くまで真剣な顔で話していた。
 だからこそ、そんな飯綱さんがマツエクの存在を知っていることに違和感を覚え、より一層彼女説が濃厚なものになっている今日この頃。……そりゃ居るに決まってるよね。顔もイケメンで、性格だって良いんだから。ファンが多いのも納得だ。

「もー、やめろって」
「なんで、良いじゃん」
「あ、もう!」

 練習終わり、輪になってクールダウンをこなす選手たちが盛り上がりを見せている。普段から和気あいあいとしたチームではあるけれど、今日はどうやら話題の中心が飯綱さんのスマホのようだ。
 仕事をこなしつつ、耳だけでもそちら側へと意識を向けてしまう。

「やっぱ美人だよな」
「ちょ、ヤメロって」
「別に恥ずかしがることでもないだろ」

 ……あ。彼女さんだ。
 一瞬だけ手が止まってしまった。ずっと判ってたことなのに。こうも決定的なシーンに出くわすと一丁前に傷を負っている自分に呆れる。今まで“かもしれない”と思ってきたことに“はいそうです”という肯定を与えられただけなのに。……駄目だ、仕事に集中。
 酷く動揺している心に知らんぷりをかまし、別の場所へと移動しようとした時、「なぁ、なまえちゃん、見て。めっちゃ美人じゃね?」とスマホを向けられ知らんぷりは叶わなくなってしまった。

 私に見せる? と少しだけ敵意を向けそうになったけれど、選手相手にそんなこと出来るわけないし、気にならないわけもない。飯綱さんの隣に居る女性は一体、どれ程の美人さんなんだろう。
 ほぼ脊髄反射に近いスピードでスマホに向けた瞳が捉えたのは、飯綱さんと一緒に映る目鼻立ちのぱっちりとした美人さん……が2人。飯綱さんを挟むようにしてピースサインを向けている。

「え、これは……?」
「飯綱の姉ちゃんと妹ちゃん! すっげぇ美人さんだと思わない?」
「はい。ものすごく」
「飯綱に似てね?」
「はい。ものすごく」
「ちょっ、みょうじさん!」
「えっ?」

 スマホを掲げている選手の問いに素直に応じれば、その向こうに居る飯綱さんが慌てたように私の名前を叫ぶ。……なんというか、なんでだ? なんとなく、自分の彼女を見られるのが恥ずかしいって気持ちは分かるけど、自分の姉妹を見られることにここまで焦る気持ちは今ひとつ分からない。私は自分のお兄ちゃんを見られることにそこまで嫌悪感を抱かないけどな。それに、自分の姉妹が褒められるのって嬉しい気もするけどな……?

「ほら! なまえちゃんもこう言ってることだし! やっぱ飯綱、女装だな」
「えぇ〜……」
「えっ? じょそう?」
「今年のファン感。飯綱に女装させるの、良くない?」
「あ、なるほど! ファン感謝祭ですか」
「どう? なまえちゃんも見てみたいと思わない?」
「……見たいかもです」
「えっ、みょうじさん……マジ?」
「……はい。マジです」
「まじかぁ……」

 飯綱さんの体から力という力が抜けてゆく。これは観念という言葉を体で表しているのだろうか。

「なまえちゃんも見たいって言ってるし、腹決めろ飯綱」
「……ほんっっっと勝手言うよな、お前ら」
「美人姉妹を持ったお前が悪い」
「女装する為に色んな努力が要るの、分かってる? 肌のコンディションやらムダ毛処理やら、マツエクやら、ネイル……は無理だけども」
「ぶはっ、飯綱やる気じゃん」
「中途半端なもの見せられるかってんだ!!」
「おぉー、プロ意識さすが」
「……何言ってんだ。俺1人で女装するわけないだろ?」
「いやいやいや……俺は良いって」

 遠慮すんな――と再び盛り上がりを見せてゆく輪からそっと離れ、自分の睫毛に手を当てる。飯綱さんが私のマツエクに気付いたのはきっと、お姉さんや妹さんの努力を間近で見ていたからだ。だからさっきだって生半可な意識で美を求めようとはしなかったんだろう。……やっぱり、飯綱さんって真面目な人だ。

「彼女じゃなかったんだ……」
「えっ、彼女?」
「うわぁ!?」
「わっ? ご、ごめん……何度か呼び掛けてたんだけど」
「い、づなさん……すみません……、気が付かなくて」

 顔も意識も緩んでいたせいで、後を追ってきた飯綱さんにまったく気が付かなかった。どうしよう。今のニヤケ顔、ばれてないよね?

「ど、どうされました?」
「あ、あのさ。さっきの話なんだけど」
「さっきの……えっと、女装のですか?」
「じょ……ウン。まぁハイ。その女装なんですが、やるにあたって色々とご相談したいことがありまして」
「え、はい。なんでしょう」
「オススメのスキンケアとかあれば……知りたいです」
「…………ふはっ」
「えっ、な、何?」
「あ、いえすみません。……協力出来る部分は喜んでしますけど、スキンケアはその人の肌質とかにもよるので、参考になるかどうか」
「そっかー。確かにな……」

 1回専門店とかで診てもらうべきか? と顎に手を当てて悩み始める飯綱さん。意外と女装に乗る気なような、ただ単純に生真面目なだけなのか。そんな彼の様子を見ていると思わず口角が上がってしまうけれど、あまり悩ませるのも可哀想だと思い口を開く。

「あの、良かったらサンプル品何個か持ってきましょうか? それで合うのがあれば」
「まじ? 良いの?」
「もちろん!」
「も、もしそれで合うのがあったらさ、一緒に買いに行ってくれないかな」
「え?」
「いやほら! ああいうフロアって男1人じゃ中々勇気要るっていうか……その、」
「ふふっ。分かりました。その時は是非」
「……! ありがとう!」

 多分、きっと。飯綱さんにはこういうことを相談出来る特別な女性は居ないのだろう。そのことに嬉しさを感じてしまう私は、飯綱さんのように真面目にはなれない。だって、飯綱さんのそういう生真面目な人柄をもう少しだけ近くで味わいたいと思ってしまうから。だから、「通販でも買えますよ」という事実はそっとしまいこむことにした。

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