劣らぬ愛を持っている

 横たえた体には未だ気怠さが纏わりついてくる。沼に沈み込んでいた意識が浮き上がるのに合わせ、薄っすらと瞼を開けてみるが視界は暗い。どれだけ眠っていたのだろうか――はっきりとしない意識で今の時分を見計らおうと頭をまわすけれど、脳にも熱が籠っているのかすぐに息苦しくなって思わず眉根を寄せた。

 んん、と短い唸りをあげると同じ頃合いで額をひんやりとした感触が覆う。熱にうなされていた所に与えられた冷気は、体が1番求めているもの。それに縋るように額を数回擦りつければ、その感触はより密に感じることが出来た。

「ミト様……ありがとうございます」

 今朝から看病していくれていた人物の名前を呼べば、返事は聞こえなかったけれど”もっと寝ろ”と伝えるように頭を2、3回撫ぜられた。



 再び目を開けた時には視界も薄く明るさを取り込む頃で、体の調子も比例するように軽くなっていた。それからしばらくしてやって来たミト様に「遅くまでありがとうございました」と礼を告げれば、目を細め穏やかな笑みを返してくれた。

「なまえ、体調はどうだ?」
「柱間様。ミト様のおかげでずいぶんと楽になりました」
「おぉそうか! これで一安心ぞ」
「ご心配をおかけして申し訳ございません」
「旦那様。食事の準備をしてきても良いでしょうか?」
「あぁ、なまえはオレに任せるが良いぞ」

 見舞いに来てくださった柱間様はミト様にはにかみ、布団の近くに胡坐をかいた。火影である柱間様と、その妻であるミト様にこんなにも良くしてもらって身が縮こまるばかりだ。私なんて忍としても役に立たぬ女子だというのに。……体調1つ整えることも出来ないだなんて。千手の名を頂いたのに情けない。

「扉間は居らんのか?」
「休みの日は術の開発をなされているようです」
「ハァ……まったくアイツは。研究熱心なのは良いことだが、自分の妻が風邪の時は常時傍に居てやるべきだろう」
「そんな……扉間様のお時間を取る訳にはまいりません」

 私が扉間様の妻になって約半年。馴れ初めは“扉間様に見初められた”などではなく、互いの知らぬ所で進んでいた縁談だ。初代様の弟君との縁談を両親は嬉々として押し進め、私の下に降りてきた時には既に結納まで決められていた。
 だからといって望まぬ結婚であった訳でもない。火影である柱間様を傍で支え、任務もしっかりこなし、後進育成にも余念がない扉間様は私にとって理想の男性であった。だからこそ、扉間様の妻が私などに務まるはずがないと劣等感に苛まれ続けてきたのも事実。今回の風邪も“心労によるもの”と診断をされてしまった。そんなことをミト様や柱間様に言えるはずもなく。

「体調管理も出来ず、お恥ずかしい限りです」
「風邪など誰でもひく。体が弱っている時は気も弱るからの。ゆっくり休むが良いぞ」
「……申し訳ありません」

 頭を下げる私を、柱間様の瞳が見つめる。心の中では“扉間の嫁にしたのは間違いだった”なんて思われてたらどうしよう。未だに子も成せぬ私を柱間様は一体どう思われているのだろうか。……扉間様だって、私のことをどう思っているのか分からない。

「良い匂いがしてきたの。ミトの手料理はこの世で1番美味い」
「……柱間様はミト様が大好きなのですね」
「そりゃあ1番好きでないと妻にはせんぞ」
「そう、ですか……」
「なんぞ? 扉間と喧嘩でもしたか?」
「いえ、そのようなことは決して。……ただ、」
「ただ?」

 少し羨ましくて――本来なら決して口にしないはずの本音は、ひょろひょろと布団に零れ落ちていった。柱間様の耳に入ってしまっただろうか。今更な不安が後からやって来たけれど、「なまえと扉間は不器用同士だからの」という柱間様の声が俯いていた私の顔を上げさせた。

「実は昨日、仕事終わりにここに寄ったんだ」
「えっ……そうだったんですか? 私気付きもしないで……」
「なに、夜更けだったしの」

 夜更けといえば、私が1度起きた時分だろうか。柱間様と一緒に帰る前にミト様が手ぬぐいを変えてくれたのかもしれない。昨夜の出来事を繋げ「ミト様にも遅くまで看病していただいて……」とお礼を紡げば、「違うぞ」と否定を返された。

「ミトは夕方には帰っておった」
「……え? ですが夜中に誰かが手ぬぐいを……」
「扉間よ」
「扉間様? しかし今朝はお姿を見ておりませんが……」
「普段オレよりも仕事をこなす扉間が、昨日ばかりは誰よりも早めに帰宅しての。普段から仕事のキレはすさまじいが、昨日は桁違いだった」
「そ、うなんですか……」
「それだけなまえが心配だったんだろうな」
「……それは、」

 それはどうだろう。現に扉間様の姿は見てないし、今だって術の研究に出られているし。“夫”という肩書による責任を全うしようとしただけかもしれない。扉間様は与えられた役割をきちんとこなすお方だから。

「玄関は施錠されておったから、庭から邪魔してみたんだが扉間にすぐ見つかってな。アヤツの感知能力はさすがよの」
「はぁ、」
「アイツ、縁側に居るオレに向かって“なまえが起きるだろう。帰れ”と凄んできおったわ」
「そうなんですね……」
「その時にオレは“あぁコイツ不器用だな”と思うた」
「不器用、ですか?」
「なまえの汗を拭う扉間の顔は愛おしい者を見つめる顔つきだった。なのに、オレの存在を感知するなり能面被りおって。あれは照れ隠しぞ」

 あの時感じた心地良さは扉間様に与えられたものだったのか。というか、柱間様の話であれば扉間様は早い時間からずっと看病してくださっていたということ。……なんと、なんということだろう。

「私、扉間様の貴重なお時間を……」
「なまえよ。扉間はオレの弟であることは知っているな?」
「……はい」
「我らは“愛の力”を源とする一族ぞ」
「……ですが、私は……」

 ミト様のように想われているようには思えない。数ヶ月抱えてきた不安は言わずとも表情に出ていたらしい。私の顔を見つめていた柱間様から「兄として代わりに謝る」と頭を下げられ、慌ててそれを制す。愛されぬ原因は私にあるのだ。私が、扉間様の期待に応えられぬ不出来な女だから。

「なまえとの縁談を持ち掛けた時、それまでの縁談は散々断ったくせにすんなりと受けおっての」
「えっ!?」
「扉間は不要なものはすっぱり切り捨てることが出来る男だ。その扉間がなまえとの縁談は切り捨てなかった。……それだけで扉間がなまえを愛しているなど一目瞭然」
「そんな……、」
「しかし、それは長年扉間を見てきたから分かるだけだ。なまえからしてみれば不満ばかりの男だろう。すまない」
「い、いえっ滅相もない……! 扉間様は立派なお方です。不満など決して……!」
「ならば、なまえは扉間のことを愛しているか?」
「あ、愛し……」

 問いかけに対し、口籠ってしまったのは否定したかったからではない。“愛している”と言葉に出すのが恥ずかしかったからだ。全てを言い終わる前に顔を真っ赤にさせた私を「なまえと扉間は似ておるの」と柱間様が笑う。もしかして、扉間様にも同じ質問をしたことがあるのだろうか?

「とにかく。扉間はああ見えて――「兄者。こんな所で油を売るとは、ずいぶん余裕だな」……とび、扉間!」
「ワシは休暇日だが。兄者も同じであったか?」
「ほ、ほんの息抜きというか……なんというか……の、」
「……まったく。早く仕事に戻らんか」

 なんだか久しぶりに見た気がする扉間様は「後はワシが引き受ける」と言ってミト様が作って下さった料理を盆に乗せ仁王立ちし、柱間様を見下ろしている。

「旦那様。ここは扉間に任せて私らはお暇しましょう」
「そ、そうだの。オレもそろそろ仕事に戻るか! ガハハ……」
「ミト様、ありがとうございました」

 ミト様に礼を告げる私の隣で、扉間様も同じよう頭を下げミト様と柱間様を2人して見送る。柱間様たちが居なくなった代わりに、逃げていた静寂が帰ってきた。訪れた沈黙はつい先程まで繰り広げられていた柱間様との話を思い出させ、ぐるぐると脳内を反芻させる。

「体調はどうだ」
「お、おかげさまで随分と良くなりました」
「そうか。粥、食べるか」
「あ、はい。頂きます」

 柱間様が座っていた場所に同じような体勢で胡坐をかき、粥を小皿に乗せる扉間様。その手に慌てて「私がいたします」と告げれば「こんな時くらい体を労われ」と不愛想に命ぜられ、押し黙ってしまう。……きっと分かりにくいだけで、扉間様はとても深い優しさをお持ちなのだ。

「昨日は手間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」
「……謝罪は要らん」
「では……ありがとうございます。手ぬぐい、心地良かったです」

 言葉を替え、感謝の気持ちを伝えればそれには「……ふん」と短い息を吐かれた。柱間様の言葉を信じるとすれば、これはきっと照れ隠しだ。……そうと分かれば途端に嬉しさが溢れてくるから不思議なもので。

「私が休めるように、と家を空けられていたのですか?」
「……食え」
「あ、ありがとうございます。……あの、扉間様、」
「……ワシが居ってはなまえに気苦労ばかりかける」
「扉間様……、」

 扉間様は私の気持ちも全部分かっていた。その上で扉間様は色々とご配慮くださっていたのだろう。それらに気付こうともせず、1人で不安に変えていたのは私だ。柱間様もミト様もこんなにも良くしてくださったというのに。腹の底を勝手に推測して不安になって。そんなお方たちではないと、とっくに知っていたはずなのに。

 気恥ずかしさや自信のなさから想いを口にするのを恐れていた。けれど、これはきちんと口にして形にするべきなのだ。

「私は扉間様のことを愛しております」
「な、にを急に」
「いつか扉間様との間に子を持ち、柱間様とミト様にも負けぬ幸せな家族を築きたいと思っております」
「……そうか」

 本心と夢を伝えれば、扉間様はほんの少しだけ口角を緩め囁くように本心を打ち明けてくださった。

「ワシも――」

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