岩泉は男前

モブキャラ


 私の高校で1番モテる男子は誰か? という質問があるとするならば、及川徹だと誰しもが口を揃えて答えるだろう。及川は、バレー部の主将であり、運動が出来て、イケメンで、人当たりが良くて、それでいて優しいと女子が好きなステータスの全てを兼ね備えているといえる人物だ。実際、彼はアイドル的な人気を有している。ただし、その女子生徒の中にも少なからずの例外はあるのだと、私自身がそれを証明している。

「ね、なまえ! 体育館に寄り道して帰ろっ! 徹くん見て帰りたい!」
「え、メンドイ」
「良いじゃん! そんなこと言わずに! 今度デザート奢るから!」
「じゃあ新しく出来たカフェのデザートセット」
「うっわ、容赦な!」
「じゃあこのまま直線コース」
「うぅ〜……分かった!!」
「ヒナちゃん、どんだけ及川が好きなのよ」
「だって格好良いじゃん!」

 体育館へと方向を変えた私の隣を満足そうに歩くヒナちゃんの顔は既に恋する乙女だ。「待って、前髪乱れてない? 私」そういって手鏡で髪を整えるヒナちゃんに「練習中だし、見てないって」と言ってみてもヒナちゃんは聞く耳を持たない。それ所か、「だっていつ徹くんの視界に映るか分からないし! どうせ映るなら少しでも可愛く居たいじゃん! そういうの、なまえにだってあるでしょ?」と逆に言い返されてしまう。

「イマイチ分からない」
「恋してみたら分かるよ」

 そういうもんなの? ……よく分かんないけど、誰かの為に可愛くあろうとするヒナちゃんは見ていて可愛いと思う。恋っていうものは偉大なのかもしれないとヒナちゃんの理論に自分の思考も傾きかけていた時、目的としていた体育館が見えてくる。

「せっかくだし、見学してこっか」
「えっ! いやいや大丈夫!」
「なんでよ。見学した方が及川の視界に入る可能性高いじゃん」
「ムリ! 自分から入りに行くなんて無理っ、遠くからこうやって眺めてるだけでいいの!」
「えー何それ」

 せっかく足を運んだのだから中に入ろうと提案する私の言葉に全力で拒否をするヒナちゃんの理屈はやっぱり分からない。だけど、ヒナちゃんがそう言うのならば否定はしないでおこうとヒナちゃんの希望通り、体育館のドアの外側にある階段から中の様子を見ることにする。

「及川ってなんであんなに人気なんだろうね」
「逆にそんなに興味なさげななまえのが不思議だわ」
「えー、だって自分がイケメンってこと熟知してる感じするじゃん。私そういうタイプよりかはもっと暑苦しい感じの……うーん、自分のタイプがよく分かんないや」
「何それ。じゃあもしかしたら徹くんがタイプだったってなるかもってこと? えっ、そしたらなまえと私がライバルに……?」

 そう言って目を見開きながらこちらを向くヒナちゃんに「いやそれはないから」と目を見ながら強く答える。今の話の流れでは絶対に有り得ないことだから安心してもらって構わない。「そっかー。それなら良かった」と安心して体育館へと視線を戻したヒナちゃんの目が、さっき以上に見開いてもう1度私の方を見る。

「えっ、どうしたの?」

 訊くよりも早く、私の右半身が強く弾かれる。その強い衝撃はなんの準備もしていなかった私の体全体をいとも容易く揺らしバランスを崩される。揺らぐ視界にヒナちゃんの驚いた顔が映る。その顔、及川にしちゃダメだよ。そんなことを思いながら私の体は地面に投げ出された。

「なまえ、大丈夫!?」
「……ん、平気。何が起こったの?」

 慌てて駆け寄るヒナちゃんにそう問うと、私たちの間をバレーボールが転がってくる。そのボールを見て私は自分に起こったことを理解する。

「おいっ、大丈夫か!?」

 慌てた声で駆け寄って来たバレー部員を見ると、焦った表情を浮かべて私を見つめる同じクラスの岩泉が居た。

「岩泉のボールだったの? サーブ? スパイク? パワー凄いんだねぇ」
「いやあれは及川の……って、関心してる場合じゃねぇべや。お前今階段から吹っ飛ばされてんだぞ!? どっか打ちつけてねぇか?」
「うん。手で受け身とったから大丈夫っぽい。余所見してた私が悪いし、練習止めちゃってごめん」
「いや。あいつのサーブ弾いてボールの軌道変えたせいだ。悪い。立てるか?」

 手を差し伸べてくれる岩泉に「ありがとう」とお礼を言いながらその手を握る。マメの感覚がする手からもの凄い力で上に引っ張りあげられた瞬間、足に激痛が走った。

「いっ!?」

 その激痛は立ち上がろうとした私の意志を妨害し、再び地面へと座り込んでしまう。

「なまえ、足っ!」

 ヒナちゃんが指差した私の左足首は靴下の上からでも腫れているのが確認出来る。多分、階段から落ちた時に挫いてしまったのだろう。その痛みがさっきの原因か……と思っていると私の手を握ったままだった岩泉が手を離し、私の前に座り込む。

「えっ、何してんの岩泉?」
「保健室連れてく。だから、背中に乗れ」
「大丈夫だよっ、立てさえすれば後は自分で行くから。ヒナちゃん付き合ってもらって良い?」
「もちろんだよっ! てか、なまえごめん……私が誘ったからっ、」
「気にしないで。ほんと、大したことないから」

 足首の腫れを見て涙目になるヒナちゃんに心配をかけたくなくて、笑顔を浮かべるけれど、実際は痛くて顔を歪めてしまいそうになる。みんなに心配をかけたくないから、どうにか立って早く保健室に向かいたいのに、足が言うことを聞かない。
 どうしよう……と泣きそうになってしまっていると体が下からもの凄い力で押し上げられ、ふわりとした感覚に陥る。普段よりも高い位置からヒナちゃんを見下ろしている自分の視線に違和感を覚えていると、自分で向いた訳でもないのに、体育館の中に視線が移り、私の頭の上から聞き慣れた声がする。

「おいクソ川! ちょっと抜ける!」
「ちょっと岩ちゃんその言い方酷いっ!」
「うるせぇ、元はといえばお前のサーブが悪いんだろうが! ……たっく。つぅことで姫川。保健室には俺が連れて行くから」
「あ、うん。……てか私も一緒に」
「大丈夫だよ。ヒナちゃん。やっぱ待たせるの悪いし、今日は先に帰ってもらっても良い?」
「えっ、でも……」
「姫川。大丈夫だ。俺が責任持って付き添うから。そんな心配すんな」
「……分かった」
「ごめんね、ヒナちゃん。また連絡する」
「こっちこそ、ほんとごめんね……」

 涙を浮かべたままのヒナちゃんに笑って返していると「んじゃ、行くぞ」と体がフワフワと揺れる。その振動が私の今のシチュエーションを思い出させる。そっか、私今岩泉から抱きかかえられてるんだった! そう思うと、体が急に焦りだす。

「ねっ、岩泉! これはちょっと……! 私、歩けるからっ!」
「おわっ、急に暴れるんじゃねぇよ! 足挫いてんだからっ!」
「や、だってこれだいぶ恥ずかしいっ!」

 事情を知らない人からしてみればお姫様抱っこをしている岩泉とされている私は相当に目立つはずだし、そうじゃなくてもこれは注目を浴びてしまう。そして何より、「あの、私っスカート……っ!」そう。私はスカートを履いているのでこのままだと何時捲れるか分からない。それが凄く恥ずかしい。手で顔を隠しながら岩泉に訴えると足が止まる。

「あっ、お、……おぅ、わ、悪ぃ……っ、」

 しどろもどろに発せられた言葉と共に「1回降ろすぞ」と言いながら体をゆっくりと降ろされ、近くの花壇の淵に座らされる。

「配慮が足りなくて悪い……」
「そんなっ、私があん時モタモタしてたから……結局岩泉に助けてもらってるし、こっちの方がごめん。……ありがとね。あん時立てないくらいだったから、助かった」
「その原因は俺なんだから、俺が保健室に連れて行くのは当たり前だ」

 そう言いながらジャージを脱いでこちらに手渡してくる岩泉。

「うん?」
「これ、腰に巻け。そしたら見えねぇだろ」
「え、良いよ良いよ! 保健室まで後は歩くからっ! 肩貸してくれたらありがたいかなっ!」
「無理だべ。その足じゃ」
「うっ」

 確かに、私の足は未だにじくじくとした痛みに襲われてるし、歩けるかどうかと聞かれると危うい。だけど、またお姫様抱っこされるのは恥ずかし過ぎる。また動けないでいる私に見かねたのか、岩泉の口から短い空気が零れ落ちる。そして岩泉がまた私に背を向けた状態でしゃがみこんでみせる。

「背中でおぶれば良いだろ。とにかく、お前を歩かせる事は俺はしねぇからな」

 そう言って肩越しに私を見つめ「ほら、早く」と急かす岩泉からは体育館で私を抱き上げた時のような強引さを感じる。「うっ、」と声を漏らしても岩泉は動じない。多分、もうこれは私が背中に乗るまで動かないのだろうと悟り、私の膝の上にあるジャージを腰に巻いてゆっくりと立ち上がる。

「っつ、」

 鋭い痛みが襲ってくるけど、直ぐ目の前にある背中に体を預けるとその痛みは直ぐになくなる。代わりにまたあの浮遊感が体を襲い、ふわふわと体が揺れる。そして先程よりも岩泉の体を近くで感じることに心臓が脈を打ちだす。
 バクバクと鳴り始める心拍を気取られたくなくて、体をなるべる離そうと試みても「歩きずれぇ。悪ぃけど手、首にかけてくれねぇか?」と言われてしまい、その企みは失敗に終わってしまう。

「え、首絞めろって?」
「馬鹿か。またさっきみたいに前で抱きかかえるぞ」

 恥ずかしさを誤魔化す為に言った冗談も、恐ろしい言葉で返され失敗に終わってしまった。

「ひぃ! 嘘ですごめんなさい!」
「じゃあ大人しくおぶられてろ」
「はい……」

 岩泉の言葉に大人しく従うと笑って返してくれる。……岩泉って男らしいなぁ。私の足があまり揺れないようにゆっくりと歩いてくれる岩泉の背中で思っていた時、ある疑問が頭をよぎる。

「ねぇ、今更なんだけど、」
「ん?」
「私、重たくない?」
「ほんと今更だな」
「ちょっと! そこは“そんなことないぜ?”とか爽やかに返すとこでしょ!? 岩泉って嘘つかないから否定してくれないと傷つくんですけど!」
「別に重てぇなんて言ってねぇだろ」
「私今全体重かけてるから恥ずかしいんだからっ!」
「まぁ、全体重かけてる割には重みは感じねぇから、大丈夫だ」

 なんとも言えない返事をされて安心しきれない気持ちにもなるけれど、がっしりとした体つきをしている岩泉はさっきから私を抱えて歩いているにも関わらず、汗1つ掻いていないから、さすがは体育会系だなぁと感心する。

「てかみょうじはなんであそこに居たんだ?」
「ヒナちゃんがさ、バレー部見学したいって言うから」
「へぇ。なのにギャラリーには行かなかったんだな」
「でしょ? ヒナちゃんが拒否るから。私は折角なら、って思ったんだけど」
「それであそこに居たワケか」
「そう。そしたら運悪く流れ弾に当たっちゃって、結果岩泉に迷惑をかけてしまっているというワケです。ごめんなさい」
「いや、別にそこは気にすんなって。及川のことは俺が後でぶん殴っておくから」
「あはは、及川だって悪くないんだから! 岩泉は及川に対して厳しいよね」
「アイツ見てっと腹立つからな」
「またまたぁ、もしかしてモテる及川に嫉妬してるとかじゃないのぉ?」
「……みょうじ、そろそろ視界を変えるか?」
「ごめんごめん! 嘘っ! 嫉妬なんてしないよね! アハハ私ってばなんて失礼なこと言ってんだろうね〜岩泉くんにっ! 私のバカっ!」
「……お前も及川目当てだったりするのか?」
「まっさかぁ! イケメンだとは思っても、格好良いと思ったことはないんだよね。タイプじゃないっていうか。……あ、及川には内緒ね?」
「じゃあお前のタイプってどんなだよ」
「私の? うーん……」

 さっきヒナちゃんに説明しようとした時のように、もう1度頭の中で考えてみる。及川みたいに自分のイケメンさに気付いてなくって、ああいう爽やかってよりはもうちょっと暑苦しいような、人間臭いような……なんていうか……イケメンっていうよりは男前って言葉が似合うような……。
 そこまで考えて、考えるのをやめる。だって、その考えの先に居る人物が1人居たから。ヒナちゃんが手鏡で髪を整える時に言っていた言葉を思い出す。

―だっていつ徹くんの視界に映るか分からないし! どうせ映るなら少しでも可愛く居たいじゃん!

 私にはそんな時がないのかとも問われ、分からないと答えた私にヒナちゃんは“恋をしたら分かる”とも言った。ヒナちゃん。私、自分のタイプ、ちゃんと分かってたみたい。それにね、岩泉からどう思われてるかが気になって、重たくないか聞いてみたり、岩泉の邪魔をしたくないのに、こうやって岩泉が助けてくれることを嬉しいと思ってる自分が居るんだ。これってさ、いわゆる――。

「みょうじ?」
「私のタイプは……秘密!」
「はぁ? なんだそれ。ここまで運んだお礼だ、教えろ」
「教えない〜っ!」
「振り落とすぞ?」
「そんなことされたらパンツ見えるんですけどっ! そしたら私お嫁に行けないんですけど?」

 話を逸らすためにそんな風におどけてみせる。そんな私に岩泉は「あー、そん時は俺が引き取ってやるから。安心しろ」と前を向いたまま事も無げに言って見せる。

「えっ」

 驚いた声をあげる私に「はは、冗談だ。仕返しだ」と笑う岩泉の背中に「冗談かよ……」と言葉を吐きながら顔を埋める。

「ははっ」

 笑う為に鳴らした喉の振動が岩泉の体を伝って私にも伝わる。知ってる、私は知ってる。岩泉は男前だから、こんなことを軽い冗談なんかで言う訳がない。現に岩泉の赤くなった耳がそのことを物語っている。

「そん時はよろしく」
「……おう」

 岩泉は怪我したのが私だから、こんなに必死になってくれているのだろうか。そして、私のタイプが気になるのは私のことを気になってくれているからだろうか。そうだとしたら、嬉しいな。ねぇヒナちゃん。これっていわゆる――恋ってヤツですかね?

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