聖夜の贈り物

現代設定です


 CLOSEDの看板を下げた小さなこじんまりとしたカフェ。そこのドアを当たり前のように開き、来店を知らせる鈴を鳴らす人物。顔を上げなくても誰かは分かるので、「おかえり」と客人には告げない言葉で迎える。

「ナポリタンが余ってるけど、食べる?」
「あぁ」

 返事を受け手早く皿に盛りつけ目の前に差し出したナポリタン。それをおしぼりで清めた手を合わせ、「いただきます」と告げフォークに絡め食す目の前の男。その動作だけで彼の育ちの良さが分かると同時に、どうして育ってきた環境が違う男が私なんかとの交友を続けているのだろうかと不思議に思う。

「今日杉元さん来たんだけど」
「……アイツ、暇なのか」
「いやいや。大事な常連さんだから。よく昼休みにここにランチ食べに来てくれるの」
「ふんっ。それが暇だということだ」
「私の大事な常連客をそんな風に言うなら、鯉登のこと出禁にするから」
「むぅ……」

 出禁というワードをちらつかせると、ようやく口を噤み大人しくナポリタンを頬張る鯉登。その様子に溜息を吐きつつ食後のコーヒーの準備に取り掛かる。ここはこじんまりとした店だけど、それなりに馴染みにしてくれている人は多い。それこそ、「このお店を紹介したくて。連れて来ちゃいました」と微笑みながら「ね、基ちゃん」と彼氏さんを連れて来てくれたお客さんだって居る。杉元さんだってその大事なお客さんのうちの1人だ。……ただ、杉元さんの場合はキッカケがちょっと特殊かもしれない。何せ杉元さんは私の住むアパートのお隣さんなのだから。

「おいなまえ。そろそろ引っ越しの時期ではないか?」
「引っ越しの時期って何。クリスマスやら年末やら大忙しの時期だわ」
「まったく。いつまであのような小さな部屋に住むつもりだ」

 杉元さんへの攻撃が終わったかと思えば。今度はお決まりの私の家への攻撃が始まった。今住んでいるアパートは確かにオートロックはないけど、杉元さんや白石さん、それに大家のおばあちゃんとその孫のアシパちゃんに囲まれた、人に恵まれた良い物件だ。それなのに鯉登はいつも「部屋はこれだけか? 私の自室より狭いような場所で本当に暮らせるのか?」などと言って詰め寄ってくる。不用心だとも言われたこともあるけど、あのアパート以上にセキュリティがしっかりとした場所はないと私は思っている。隣にはあの屈強な杉元さんだし、下の階には防犯対策にやたらと詳しい白石さん。そして私より年下なのに誰よりも逞しいアシパちゃん。……うん、やっぱり大丈夫だ。だというのに、鯉登はいつもこうして仕事終わりに私を迎えに来ては家まで送り届けてくれる。

「金か? 金が入り用なのか?」
「うるさい。だったらこのナポリタンもコーヒーもぼったくってるわ」

 そう言いながらコーヒーカップを目の前に置いてやると、鯉登は少し顔を綻ばせながらコーヒーカップに口をつける。こうやって何かを食している時は行儀良くなるところが少しだけおかしい。思えば杉元さんがこの店の常連になってくれたのは、鯉登のおかげな気がする。今みたいに「引っ越せ」と詰め寄られながら家まで送ってもらったある日、それを痴話喧嘩だと勘違いした杉元さんが間に入ってくれたのが杉元さんと関りを持つことになったキッカケだった。そこから谷垣さん、菊田さんといった人物との出会いにも繋がったし、そう考えると全て鯉登のおかげな気がしてきてしまう。

「鯉登の“せい”なことも多いけど」
「む?」
「なんでもない。……あ、そうそう。話の続きだけど」
「話の続き? なんのことだ?」

 初っ端から話の骨を折ったくせに、それを忘れるとは。とんだマイペースボンボンだと睨みつつ「杉元さんたち、今年のクリスマスは旅行に行くらしい」と話を前へと進める。それに対し鯉登は「なんだ」と鼻で笑い、「アイツの予定など心底どうでも良い」と吐き捨ててみせた。まったく、どうして鯉登は杉元さんにここまで敵意を剥き出しにするのか。初めましての時も一触即発の雰囲気になっていたし。本当に手のかかる男だ。

「今年はフチ……アシパちゃんのおばあちゃんが谷垣さんの家にお呼ばれしてるらしくって。だったらアシパちゃんたち3人で遠出でもしようってなったんだって」
「旅行……そういえば私も久しく行っていないな」
「その旅行に私も誘われたんだけど」
「杉元にか!?」

 カップをガタッと置き目を見開く鯉登。あまりの声の大きさに自分用のコーヒーを準備していた手が怯え、コーヒーを作業台に少し溢してしまった。そのことに目線で怒りを伝えれば、わざとらしい咳払いで逃げてゆく鯉登の威勢。大人しくなった鯉登に溜息を零しつつ、作業台を濡らすコーヒーを拭き「行きたかったんだけど」と会話を進めると「……行くのか?」と小さな声で尋ねられた。

「断った。だってクリスマスは毎年鯉登の誕生日会する日だし」
「アイツ……クリスマスになまえを誘ったのか」
「別に2人きりってわけじゃないし、深い意味なんてないでしょ」
「どうしてなまえは物事を深く考えんのだ。そんなんだから不用心だと言われるのだ」
「はぁー? じゃあ今年の誕生日会は鯉登と2人きりになっちゃうから中止で良いですね??」
「なっ……、そ、それとこれとでは話が違うだろう!」
「どう違うのよ。マジで意味分かんない」

 ふん、と鼻を鳴らしながらコーヒーを啜る。その傍らで鯉登がピヨピヨ鳴いているけど、残念ながら方言バリバリで喋られても半分以上何言ってるか分からない。思えば鯉登が学生時代にこっちに越して来た時、その方言に喰いついたことからこの腐れ縁は続いているのだ。もう何十年と続いている縁はそう易々と切れるものでもないし、既に私の誕生日プレゼントは貰ってしまっている。だから今更誕生日会を取りやめるわけなんてない。じゃないと杉元さんたちの誘いを断るはずもない。それくらい、少し考えたら分かることなのに。どうして鯉登はここまで興奮しているのか。……まったく、どんだけ自分の誕生日を祝って欲しいんだ。



「今年の誕生日の件だが」
「え? 何、まだその話?」

 店仕舞いを終え、鯉登に送ってもらっている車内。ポツリと会話を切り出した鯉登に呆れながら反応を返すと「私と2人きりでなければ良いのだろう?」とどこか切羽詰まった口調で言葉を継がれた。別に2人きりが嫌ってわけじゃないんだけど。もしそうだとしたら今もこうして2人きりになってないし。それにさっきの空間だって2人きりだったじゃないか。……コイツ、自棄になってるな?

「別に「今年は私の家に来い」……はぁ?」
「それなら良いだろう」
「待って待って。どういう意味? それなら良いって何? ちょっと訳分かんないんですけど」
「とにかく、その腹積りでいろ」

 当日は迎えに行く――そう言って会話を切り上げてられてからというもの。そこからの数日は何もクリスマスの日について触れられず、誕生日当日に「おめでとう」と祝った言葉に対して「クリスマスの日、忘れるなよ」と釘を刺されるに留まったまま、クリスマスが目前のところまで来てしまった。



「気を付けて」
「お土産、楽しみにしててね」
「うん。ありがとう」

 迎えた12月25日の朝。旅行に出かける杉元さんたちを見送り、家で準備していると鯉登から着信が鳴り慌てて家を飛び出した。いつもは私の家で杉元さんたちも交えてクリスマスパーティと一緒に祝っていた鯉登の誕生日。それが今年は何故か場所が変わって鯉登の家。……というか、クリスマスパーティがなくなったのなら普通に誕生日当日に祝うだけで良かったのでは? なんて疑問を浮かばせたところで、車で迎えに来られた今となっては鯉登の車に乗る以外の選択を選ぶことなんて出来ない。なんかいつもと状況が違うせいで妙にソワソワしてしまう。鯉登相手なのに……なんか変な感じだ。






「えっ!?」

 辿り着いた鯉登の家。そこで発した第一声は「お邪魔します」ではなく短めの母音だった。確かに2人きりじゃないけど……けど……この人……。

「初めまして……ではないですね」
「ですね……」

 目の下にある皺と、特徴的な鼻。この顔を私は少し前に自分の店で見た。確か「基さん――ですよね?」そう呼ばれていたはずだ。窺うように名を呼ぶと男性は「はい。月島基と申します。この前はご馳走様でした」と礼儀正しく頭を下げてきた。やっぱりそうだ。あの時に比べて表情が死に過ぎてて自信が持てなかったけど、あの時の男性だ。月島さんがどうしてこの場に居るのだろう。思わぬ人物との再会に驚く私の傍らで「なんだ月島。なまえと知り合いだったのか?」と私たちを巡り合わせた鯉登自身も首を捻っている。

「前になまえさん、の店に伺いまして」
「なんだそういうことか。なまえの料理はうまかっただろう? 月島」
「えぇ。どれも美味しかったです」
「いえいえそんな……っていうか鯉登、なんで月島さんとアンタが知り合いなの?」
「職場の部下だ」
「鯉登が?」
「月島が、だ」
「……だからそんな偉そうなんだ。いやそれは元々か」
「むっ!?」

 鯉登の尊大な態度は元からだと納得しているところで月島さんが「これ、頼まれていたものです」と鯉登に封筒を差し出した。その封筒を見つめるなり鯉登の顔がパァっと輝き、「でかしたぞ月島ァ! 待ってろ。今ワインを持ってくるからな! あぁ早くこの中にある写真を拝めたい……!」と声を弾ませながらワインセラーへと足を向ける。あんなに大きなワインセラーが違和感なく置かれている鯉登家を見ると、私の家は確かに小さいなと痛感する。まぁそれはそれで落ち着くし良いんだけども。問題は目の前に居る月島さんだ。

「あの月島さん……良いんですか?」
「何がですか?」
「いやだって……今日はクリスマスですし。こんな所に居る場合では」
「……仕事ですから」
「ハァ〜ほんと、大変……申し訳ないです」

 月島さんの目が死んでいる原因は私のせいでもある。おおよそ鯉登に私と2人きりにならない為の要員としてこの場に駆り出されたのだろう。アイツは今日という日が恋人が居る人にとってどういう日か、まったくもって分かっていない。とにかく、私のせいで一緒に過ごしたい相手が居る月島さんをいつまでもここに留まらせておくわけにはいかない。

「あの月島さん、今のうちに帰って下さい」
「……は?」
「鯉登のことは私に任せてもらって大丈夫です。だから逃げるなら今のうちです」
「しかし……、」
「一緒に過ごしたい相手、別に居ますよね?」
「…………すみません。お言葉に甘えます」
「いえいえ! 逆に鯉登の為にありがとうございました」

 そそくさと荷物を纏めた月島さんはすっと立ち上がり会釈をした後、いつまでもワインセラーの前で頭を悩ませている鯉登を尻目に鯉登家を飛び出した。……月島さんの顔、あの時見た時と同じ顔してたな。

「月島っ! お前はどっちのワインが良い……って、月島? 月島はどこだ?」

 月島ぁん? と両手にワインを持った状態でソファの下を覗き込んでいる鯉登。そのアホっぽい背中に向かって「帰ったよ」と投げかければ、鯉登の顔がガバっとこちらを向いた。「帰った……? まだ何ももてなしてないというのにか?」とポカンと口を開けているので「今すぐ彼女のもとに向かわせてあげるのが1番のもてなしだから」と溜息混じりに言いつつ、テーブルの上を彩っている食事に手をつける。……これ、きっと全部お取り寄せの高級食材だ。美味しすぎて悔しい。

「おい待て。それだとなまえとの話が違ってしまうではないか」
「私との話って。別に私は“鯉登と2人きりが嫌”とも言ってないし」
「……違うのか?」
「えっ今更? 嫌だったらもうずっと前に“嫌”って言ってるでしょ」

 両手に持っていたワインを机の上に置き、顔を伏せる鯉登。じっと押し黙った様子を不思議に思いつつ料理を食していると、ふっと鯉登の顔が上がり私の顔を見つめてきた。……なんだ、なんでこんな緊張した表情を浮かべているんだ? あまりにも鯉登が思い詰めた顔をしているから、私も思わず食事を飲み込む喉をゴクリと鳴らしてしまう。

「なまえ……、今日がどんな日か、知っているか」
「鯉登の誕生日を祝う日……だけど」
「それはそうだが。それよりももっと……本来12月25日という日が持つ意味だ」
「くりすます……?」
「そうだ」

 そうだって……。え、そうですよね? クリスマスですよね? 逆にクリスマスの重要性を知ってたんですかと私が訊きたいくらいだ。鯉登の今更な確認に思わず力が抜けてしまう。今更クリスマスという日の重要性を確認してきて、鯉登は一体何がしたいのだろうか。

「そういう日になまえは私と2人きりなることを選んだ……ということで良いな?」
「…………へっ?」
「そしてここは私の家。つまり……なまえ、貴様……」
「待っ、えっ、えっ……えー……??」

 まさか。そういうルートでこの解釈に行き着かれるとは思ってもいなかった。目の前でゴクリと固唾を呑む音がする。そして喉を鳴らした相手はあろうことか距離を縮め私に近付いて来ている。これは……この展開は……。

「まだなまえから誕生日プレゼントを貰っていなかったな」
「あ、あの……今年はオリジナルブレンドのコーヒーを「なまえが良い」……は?」

 ついに鯉登は私の目の前まで辿り着き、そのまま肩口を抑えられ後ろに倒されてしまった。私の上に居る鯉登はもう1度「なまえが欲しい」と力強く願いを口にしてくる。……この男の身勝手さにはもう随分と慣れたと思っていたけれど。今回は困ったことに、決して鯉登だけのワガママというわけでもないのだ。

 しょうがないからその願いを叶えてやろうと、私はそっと鯉登の首に手をまわすことを選ぶ。この誕生日プレゼントを渡すまで、随分と時間がかかってしまったけれど。まぁ、渡せず仕舞いにはならずに済んだし。私にとっても、最高のクリスマスプレゼントを貰った気分だ。

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