ほしかげ

 物腰が柔らかい。怒った所を見たことがない。いつも笑顔。誰の口からも悪い情報が出てこない彼の、私しか知らない部分。これだけは誰がなんと言おうと、秘かに胸を張っていたい。

「もう帰るの?」
「明日、結婚記念日だから」
「……そう」

 シーツの皺を掴む私には、彼の背中に指を這わせることなんて出来ない。そう、と答えた私の声がくぐもったことに気付いた彼は優しい手つきで私の頭を撫でてくる。その手に愛を感じるのはいけないことだろうか。

「すき」
「ありがとう」

 伝えた2文字の言葉を、嬉しそうに大事そうに受け取りお礼を告げる彼に、愛情を抱くのは罪なことなんだろうか。
 決して同じ言葉を返してはくれない彼の、器用でズルい部分。そこにすら愛おしさを感じてしまう私の感情は、裁かれるものなのだろうか。

「明日は何をするの?」
「明日は家の掃除して、買い物行って、夜はディナー」
「へぇ。あの徹がねぇ」
「あのって何。俺だって人間だからね?」
「それは分かってる」

 裸のまま寝そべる私と、ベッドサイドに腰掛け衣服を身に纏う徹。これから訪れる夜を、私は1人で迎え越さなければならない。
 何度もそれでいいと思った。何度でも訪れればいいと思った。そうして訪れる1人ぼっちの夜のはずなのに、どうしてこんなにも胸に寂しさが降りかかるのだろうか。

「……行かないで」
「……なまえ」
「……ごめん、」
「俺こそ。ごめんね」

 徹が謝らないでよ、と言ってあげたかった。いや、本当なら言わないといけない。それでも口に出来なかったのは、心のどこかに徹を独占したいという我がままな本音が居るからだ。

 この関係性を持ち掛けたのは私。だけど、それを受け入れたのは徹。そして徹は1番の愛情を他人に注ぎながら、私という日陰の存在をも惹きつけ続ける。そういう、普段の彼からは想像もつかないこの歪んだ関係性を、ただ1人。私だけが知っている。
 徹の暗い陰った存在になれている。私はその唯一の人間。

 他の気持ちはどうにか押し殺してみせるから。だから、どうかお願い。この薄暗い矜持だけは、胸の中でひっそりと輝かさせて。

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