めし

※夢要素・名前変換ありません


「ただいま」

 すっかり暗くなった街中を歩き、辿り着いた1軒の家。その家に入りながら告げた言葉には「おかえり」と聞き慣れた声が、聞き慣れた口調で返された。

「ご飯出来てる。手洗っておいで」
「うん」

 数日ぶりの帰宅であるというのに、待遇の変わらなさに少しだけ拍子抜けしてしまった。しかしそれを口にするでもなく、自分も普段通りの作業をこなし再び食卓に戻り席につく。

「おっ」

 短い声を発したのはご飯がいつもより豪勢だったからという訳ではない。最後の公式戦となった鴎台戦の前、3年生でおこなった晩めし決定戦で優勝を勝ち取ったしょうが焼きだったからだ。

 そのしょうが焼きを咀嚼し、白米を掻き込む。やっぱり家の晩めしが1番美味しいと実感する。遠征で知らぬうちに疲れていた体に馴染んだ味が染み渡り、思わず口角が上がった。

 労うかのような豪華なご飯でもない。3年間、いやもっと長い間食べてきたお馴染みの味。初めて試合に出た日、初めて勝った日、初めて負けた日、なんでもない普通の日。

 どんな1日を過ごしたとしても、必ずこの食卓に帰ってこうして箸を付けてきた。今日だってその1日。そしてこれからも続いていく。でも、やっぱり今日という日は特別なもので。

 長い間触れてきたボールと、決定的に別れを告げるのだ。やはり感慨深いものがある。

 その感慨を落とし込むようにご飯をゆっくり咀嚼し、手を合わせた後、食器を台所に運び洗い物をしている母親に言ってみた。

「今までありがとう。これからもよろしく」

 高校を卒業したら、もう間もないうちにこの家も出る予定だ。それでも、自分がこの家の人間であることに変わりはない。

「明日はなにが食べたい?」

 母親は「残念だったね」とも「お疲れ様」とも言わず、ただ一言。いつもと変わらない口調で尋ねてきた。

「そうだな……」

 何がいいだろうかと、考えている途中。何故か色んな思い出が溢れてきだして、涙が零れ出た。普段通りの日常で迎え入れてくれたというのに、そのちょっとした優しさがひどく心に沁みた。

 主将という立場が嫌だった訳ではない。もちろん、嫌なことだって沢山担ってきた。至らない部分もあったと思う。そんな自分を慕ってついてきてくれた仲間たちのことは大好きだったし、自慢出来る仲間たちだ。

 それでも、口にはできない何かを人知れず抱えていたらしい。その何かは母親のその一言によって解き放れた。そうすれば必然的に双眼からぽろぽろと涙が溢れ、慌てて腕で目を覆う。

 こんな風に自制の効かない涙を流すことは滅多にない。ましてや親に見せる涙なんて準備などするはずもない。

「サイコロ……ス、テーキ……かな」

 必死に誤魔化し、冷蔵庫の中にあるペッドボトルを掴む。いくら背中を向けているといっても、声を聞けば泣いていることなど一目瞭然。

 それでも母親は何一つ追求せず、「じゃあ明日はサイコロステーキね」と優しく言った。

「……明後日はからあげで」
「ふふっ」

 母親の笑う声がする。まだ少し震えた声を笑ったのか、それとも肉メニューばかりを告げる息子に笑ったのか。

 どちらにしても、親からしてみれば自分などまだまだ子供なのだ。

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