Dear my love

――結婚することになった

 高校以来、めっきり会う回数が少なくなっていた潔子から電話越しに報告を受けた。相手があの田中であることは会わずとも絶えず交わしていた交流の中で知っている。

 報告を受け歓喜に湧きつつ電話を終えると、目の前に居た人物から「良いことでもあったのか?」と興味深そうに尋ねられた。

「多分そっちにも田中経由で報告あると思うけど。潔子と田中、結婚するんだって」
「……まじか!! まじかぁ」

 ビールジョッキの傾けを途中で止め、机に戻す間澤村は2度同じ言葉を吐いた。1度目は驚き、2度目は悲愴感に似た感慨深さを帯びさせて。仕方ない。潔子はバレー部のマドンナだったのだ。高校内でも高嶺の花として名高い存在であった潔子を射止めたのがあの坊主――いややめよう。私にも少し潔子をとられた寂しさがあるようだ。

「潔子、すごく嬉しそうだった」
「まぁ相手が田中だったらな。そりゃ幸せになるだろ」
「ね。一途だし、格好良いヤツだし。田中になら潔子を任せられる」
「父親かよ」

 ニシシ、と笑う澤村は今度こそ美味しそうにビールを飲みほした。いいなぁ。お酒強くて。私もそうやってしみじみとお酒を呑んで潔子の幸せを噛み締めたい。

「てかさぁ。スガは今日も不参加?」
「あー。まぁそう言ってやるな。アイツも仕事大変なんだよ」
「分かってるけど……。でも私達だって警察やらなんやらでそれなりに忙しい中集まってるワケだし?」
「いいじゃねぇか。集まれるヤツが集まりたい時に集まれるだけで」
「うん、まぁね? そうだけど。ここ最近ずっと私と澤村の2人だけじゃん」

 お洒落長髪髭は東京だし。潔子はこれから結婚準備で忙しくなるし。みんな忙しい。スガだって小学校の先生だしそりゃみんな仕事を抱えて生きてる。もう前みたいに毎日顔を合わせるだなんて無理。それは全部分かってる。……けど。

「なんだよ。俺と2人は嫌ってか」
「当たらずとも遠からず」
「なっ。失礼な。今日はみょうじに奢って貰おうか」
「えーっそっちのがバカスカ飲んでるくせに!」
「だから毎回俺が払ってるんだろ」
「そういうこと言うの、大人気ない」

 こうして笑い合える関係性がむず痒くて、嬉しい。だから2人で過ごす時間は好き。だけど2人で居ると、私達はこうして馬鹿を言い合う友人同士なんだと痛感してしまう。だから好きで嫌い。
 好きと嫌いって実は近い場所に居るんだと思う。だから、当たらずとも遠からずなのだ。

「にしても。こうして私達の知り合いから既婚者が出るとはねぇ」
「な。俺らも大人になったってことだな」
「……いいなぁ。潔子。幸せそうだったなぁ」

 潔子の声を思い出しては串に刺さった肉を咀嚼する。どれだけ噛み締めても溢れてくるのはうま味成分のみ。いいなぁ。……羨ましいなぁ。

「俺らも早く相手見つけねぇと」
「うるさい。それを言わないで」

 澤村の言葉はそこに苦みを足すには十分だ。私の中にある嫉みという暗い感情が表に出された気がしてしまう。もちろん、澤村にそんな暗い気持ちがあるとは思えないけれど。

「良いよね澤村は。自分警官だし周りに色んな出会い溢れてるしで」
「そんなことないぞ。仕事に必死でそんな余裕ねぇ」
「……ふん」

 鼻を鳴らすと「オイ」と窘められた。うるさい。“そんな余裕ない”と一蹴された側の気持ちになってみろってんだ。私だって仕事は忙しい。でも、この集まりだけは集まりたいし、集まれる時じゃなくても来たいのだ。それは全部、目の前に居る男の為なのだと、澤村は知らない。

「あー! 潔子いいなぁ!」
「はは。そんなにか」
「そんなに!」

 遂に呆れ笑いに変わった澤村の表情。あぁ、むかつく。人の気も知らないで。こっちは大してお酒も飲めないってのに。酔えたら酔いに任せてもっと言いたいこと言えるのに。
 本音が恥ずかしく、言いにくいものである程飲み込むようになってしまった。こんな所だけは大人になってしまったものだ。……違うか。学生時代からロクに想いも告げられなかったのだ。これは大人なんかじゃなく、意気地なしだ。

「まぁそうだよな。好きなヤツと一緒になれるって、幸せだよな」
「それは潔子もだけど、田中もだよね」
「確かに。どっちかっていうと、田中のが幸せなのかもな」
「“結婚して下さい”からの“いいえ”、私バレー部マネしてる間何回聞いただろ」

 数年経った今でも鮮明に思い返せる言葉。私でコレなんだから、潔子はもっとだろう。でもそれももう馴れ初め話としての微笑ましいエピソードだ。

「色んなことが懐かしいな」
「ね。ヤケクソで“付き合って下さい!”って言ったら“はい”って言われた時の田中の顔、やばかった」
「俺も見たかった」

 私も色んな人に見て欲しかった。あの驚きに満ちた顔。珍しく染まった潔子の頬。それを受けてもっと真っ赤になる田中の顔。まるで花嫁さんの美しさに歓喜の涙を浮かべる新郎のようだと思ったのを覚えている。
 まさかその感想が数年後には現実になるとは。人生って分からないものだ。

「確かに交際すっ飛ばして“結婚”は無理だもんね。にしても潔子が断り続けてた理由がそれだったとは」

 潔子も真っ直ぐだからなぁ、と親友と呼ぶにふさわしい人物を笑う。そんな潔子が大好きで、その潔子が幸せになれるのならば、それは私の幸せでもある。

「人の結婚でこんなにも幸せになれるなんて。結婚っていいものなんだね」
「だな。でもさ、俺は自分で体感した方が何倍も実感できると思うな」
「確かにそうだけど。……澤村今余裕ないんでしょ?」
「あぁ。正直言うと、ない」
「……でしょ? 無理じゃん」

 またしてもどよんとした雰囲気が私を覆う。好きな相手の“その気がないアピール”ほどゲンナリするものはないっていうのに。澤村って本当に疎いヤツなんだよな。

「でも、いつかはって思ってる」
「……あっそ」

 ぐいっとジョッキを傾け、中身を空にして私を見やる澤村。……いつかは。そりゃ澤村ならいつかは結婚して、素敵な奥さんと可愛い子供を抱いて笑い合うんでしょうよ。澤村なら出来るんでしょうよ。……私なんかとは比べ物にならないくらい可愛らしい奥さんと結婚して。

「だからみょうじ。俺と付き合って下さい」
「…………」

 手にした焼き鳥をポトリと落とした。……今、何て言った? 俺とお付き合い? それ私に向けて言った? 嘘でしょ? え、嘘だよね?

「手短な相手で済まさなくても……」
「そんな魂胆で言ってねぇ。俺はみょうじだから言ってる」

 落とした焼き鳥をもう1度皿から拾い、口に運ぶ。手が震えてうまく噛み切れないけれど、どうにか口に含んで飲み込み、温くなったビールで流し込む。それら一連の行為を澤村はただじっと見つめるだけ。その真っ直ぐな視線が酒の勢いでないことを痛い程証明してくるから、私は澤村を見れずにいた。

「嘘「じゃねぇ。本心だ。俺はみょうじのことが好きだ」……うっ」

 それでも臆病な私は尚も茶化して本心を探ろうとした。そんな浅はかな行為を見透かしているかのように澤村はそれを遮り逃げ道を遮断してみせる。……どうして急にそんな。なんで今、このタイミングなの。

「スガたちが顔を出さないのは全部、俺のせいだ」
「……は?」
「協力、して貰ってた。学生時代からずっと」
「え? 学生時代? ん?」
「それなのにずっと勇気が出なくて。そしたらお互い仕事が忙しくなって。俺も忙しいし、みょうじも忙しい。そんな状態でもっと言いだしにくくなって」
「……え、うん。え?」

 小気味良いペースで響いていた金属音がパッタリとなくなる。代わりに増えるのは私の戸惑いの声と、覚悟を決めたような澤村の声。

「だけど、俺だって好きなヤツと幸せになりてぇ」
「……っ、」
「確かに今は余裕ないけど。みょうじとならしたい」
「そ、んな……」
「だからみょうじ。俺と結婚を前提にお付き合いしてくれませんか」

 もし、潔子に私からも報告があると告げたら。潔子は同じように喜んでくれるのだろうか。そして、同じように寂しい思いを抱え、澤村ならばと受け入れてくれるのだろうか。

「……ここの会計持ってくれたら」
「はい。喜んで!」
「ふはっ、必死」
「あ、当たり前だべ! こちとら一世一代の大勝負だってんだ」
「ねぇ、スガたちへの報告は澤村に任せていい?」
「あぁ。田中の報告より先にしてやる」
「それはやめたげて。田中が可哀想」
「んなの関係ねぇ。俺は触れて回りたい」
「自己中」

 そして同じように「おめでとう!」と喜んでくれるのだろう。ねぇ、潔子。好きな人と幸せになれるって、良いものだね。

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